「海の底へ」


 

 

  ――そはわがこころのおきてにして

    またわがこころのよろこびのいずみなれば

  

 

 私は今、海の底へ向かっている。

 この大地の亀裂の果て、今だ見えざる暗闇の地で何が私を待つのか、今の私には解るのだ…

 

 そう、今の私には…  

(メモはここで終わっている)

 

 

「君の家系ももとはあちらの出だそうじゃないか、まだ遺品も多数残ってるそうだし、

 ま、何かの供養だと思って行ってくれたまえ」

 

 さすがに今までただの一度もいったことがない、とは答えられなかった。

その日の内に私は志布志(註、鹿児島県東部海岸の都市)に着いていた。

 この辺りは奇跡的に被害が少なかったが、専門家でさえサジを投げたという震度8の直下型地震と

ここ数十年来で最大級と言われた大隅台風が同時に引き起こした“二重災害”によって九州南部はひどい有様になっていた。

 もともとこの地には我が社が海底に研究用の施設を建設していたのだが、

これを利用して地震で生じた亀裂を調査せよ、という事が私の仕事だった。

 だが、この仕事も結局我がサクラ海洋開発―ひいてはサクラグループ全体―が提唱する海底都市化計画のPRにすぎなかった。

おまけに相棒は中国人だった。私は最初からこの仕事にあまり乗り気がしなかった。

 実際に潜水艇から見たかぎりでは五稜郭―5個の球体モジュールをつなげた姿からこう呼ばれていた―は全く正常だった。

さすがに震度12という冗談のような数字に耐えられるだけのことはある。外観に異常はなかった、外観には。

 

 ともかく私は“脳水腫にかかったゴリラのように”ごつい耐圧潜水服を着込んで潜水艇を降りた。

中華野郎は私をモニター―高見の見物―していた。

 港モジュールから内部に入る、異常なし。海水を抜いて他のモジュールの点検に向かう。

主幹、居住区、そして微生物利用の特許ものの大気循環モジュールなど、すべて正常だった。

私はチャーリィ―奴は米国籍だった―に入ってこい、と伝えてうっとうしい潜水服を脱いだ。

 しかし大変なのはそれからだった。すべての電算機系をチェックし、機能を確認する。すぐに異常が発見された。

メインコンソールわきの主通信機―ようするに電話だ―の海底ケーブルが切断されていた。

幸い補助通信機の回線は無事だったがいちいち5mほど歩くのは面倒だった。

 その他、照明パネルや居住区のインターホンなどにいくつかの断線がみつかったが、取り立てて重大時とさわぐほどのものではなかった。

 

 …しかし、私は何故か妙な気がした。その時はただ漠然とした感覚だったが、今にして思えば私はその時から

―いや、もっと以前からか―監視されていたのだろう…

 

 その日の仕事はそれで終わりで―私達は十分に休息をとることを義務づけられている―次の仕事は翌日だった。

私は、本来の亀裂調査を行うために艇に乗り込んだ。チャーリィが呼び掛ける、

「そこら辺に色々落ちているはずだ、丁重に扱えよ。ほとけさんだっているはずだ」

 奴は遺体をモノ扱いしていた。割り切っているのだろう、私のように。

 確かに辺りには遺品が散らばっていた。私はそれらを拾いながらも、自分のしていることに意義を見出せなかった。

 それらはただのゴミでしかない―こんなものを集めて誰がよろこぶのか―それは私が家族というものに縁遠い存在故に抱いた偏見だろうか。

 だが予想に反して遺体はなかった。今回の仕事で私が死体を見ることはなかった。一人の例外を除いては…

 しばらく進むと、眼下に巨大な“穴”―そう、それは亀裂というより“穴”と呼ぶほうがふさわしかった― が現われた 。

陽の光も通さず、奈落のごとく、巨龍の口のごとく広がる“穴”。

 

 私はちょうどその“穴”の真上に停止し、震度探査/海底図示用のビーコンを降ろした。

次々にワイヤーが繰り出されていく、50m、60m、ビーコンは超音波を投射しつつ沈んでいった。

80m、90m、現在の震度と合わせなくとも、かなり深かった。カウンターは、上がり続けていき、突然切れた。

WARNINGが点滅する、ワイヤーが切れた!?とっさにワイヤーの長さをチェックした、1018m。

地形のCGを見ても直前までになんの異常もなかった。何もない、なに一つ。その時になって私は“静けさ”に気がついた。

―ここにはなにもいない―そのことに気がついたのだ。魚はもとより、ありとあらゆる生物、海草にいたるまで、この海域には何もいなかった

 私は不安にかられた。この奈落に引きずりこまれる、そんな気がした。私は艇を反転させ、そのまま逃げ出した。

 

 戻ってみると、五稜郭の内部が少し不快に感じられた。

 チャーリィが不満気に問う

「どうして急に戻ってきたんだ?」

―怖かったからさ

「あれは非常に興味深い資料だ、なぜ自分で観察しなかった?」

―冗談じゃない

「おい、ひとの話を聞いてるのか!」

―聞く耳もたん

 回収した遺品を調べる、そういって私は自室にこもった。

 

 その時どんなものがあったかは、良く覚えていない。どちらにせよ、私が拾ったもののなかにたいした物はなかった。

だが、私が拾った覚えのない物があったのだ。

 それは最初、ただの紙切れに見えた。何かの―なんだったか想像したくもない―動物の皮に書かれた古文書だと解った時にも、

さほど驚きはしなかった。

私が本当に驚いたのは、そこに私の名を見つけた時だった。それが家系図である事はすぐに解った。

なぜなら、そこには私の父と兄の名も書かれていたからだ。

 

 父ならばこの事に何か説明をしてくれるかも知れない、だがそれを聞くには30年ほど遅過ぎた。

兄もまた、つい二年前に鬼籍にはいったばかりだった。

なぜどう見ても数十年前のものとしか思えない文書に二人の死ぬ―べき―年が書かれていたのだろう、

なぜ私の名の脇に今年の年号が書かれていたのだろう、

誰がこの地で私達の記録をしていたのだろう。

これが私のもとに来たのは、偶然だろうか。

 チャーリィが部屋にはいってくる、無礼な奴だ、中華野郎め。自分で潜る、

などとたわけたことを言う。おまえはディスプレイとにらめっこしてりゃいいんだ。とっとと出て行け、自分で潜れる。ああ、頭が割れそうだ!

 チャーリィは驚いて出ていく、疲れているようだな、少し休めよ だと、偽善者め。

 

 結局、私がチャーリィのオペレーターをやる事になった。無性に暑い、エアコンの故障か?大気循環モジュールをチェックしなければ…

チャーリィは“穴”にはいっていく、たぶん奴は戻ってこないだろう、そんな気がした

 

 ちょうどその時、上から通信が入ってきた。私はもうろうとしたまま、受話器を取りあげた。

「…いいぞぉ こっちはいいぞぉ…」

 どこかで聞いたことのあるようだが、妙に抑揚のない声だった。酔ってるのか?

「そんなせまくるしいところにいないでもどってこぉい…」

 ふざけたやつだ、きっとこいつも中国人だろう、チャーリィのような。

やはり、上にもどったら会社に中国人難民の受け入れ中止を求めなければ、そう思って、私は受話器を叩き付けた。

 

 その通信機が、未だに故障中のはずの主通信機だと言うことに気ずいたのはその時だった。そしてあの声が、死んだ兄の声だったことも。

 

 頭が割れるように痛む、部屋の中はますます暑くなる

 

 

そはわがこころのさけびにして

 またわがこころのなぐさめのいずみなれば

 

 

 いつのまにかチャーリィが戻ってきていた。無事だったのだろうか。私はこの時ほど、チャーリィがいてうれしいと思ったことはなかった。

私の態度の変化に途惑っているのだろうか、チャーリィがあとずさりする。

 私は、早速大気循環モジュールの故障の事を告げた。チャーリィが途惑って、答えた、異常はない、と。

そんなはずはない、調べてくる、と私は言う。

 扉へ向かう私の手を、チャーリィがつかむ。俺が行ってこよう、あんたは、ここに残っててくれ。やけに愛想がいい、別人のようだ、別人の…

すぐにチャーリィは戻ってくる。ちょっとしたトラブルだ、修理したから、じき、もとどうりになる。私は安心して部屋にもどり、休む。

 

 

「君たちのご両親は…」

何だこれは…

「飛行機が海に落ちて…」

父母の写真が笑っている…

「今日から君達はおじさんの子になるんだ…」

だれだこいつは…

「どうせこいつもその内出ていくんだろう、恩知らずが、」

どこへ行ったんだ、兄さん…

 

かれらが私を追い出した 私はかれらに追われた

 広い大地…草原…大河…

 

 雨、雨が降っている、夜の、雨が、海に、

「もう助からんだろうに…」

クレーンがきしむ…

「昨日はひどい嵐だったから…」

サーチライトが海面を照らす…

「どうせヨッパライだ、どうせ…」

鉄のかたまりが浮かび上がる…

全く予期しなかった、二十年ぶりの再会…

「ひでえな、前半分ごっそりだ…」

しかし、車の中に兄の姿はない…

「やはり、行方不明ということで…」

何を伝えたかったのか…

 雨、雨が降っている、夜の、雨が、海に

 

 かれらが私を追い出した 我らはかれらに故郷を追われた

 連なる奇岩…洞穴…故郷…

 

 父が笑いながら海に落ちていく…

 兄が発狂して、車ごと沈んでいく…

 

 かれらが我らを追い出した 我らはかれらに故郷を追われた

 黄色い荒野…軍勢…薄汚い人間ども…

 人間め!人間め!人間め!

 

私は自分の絶叫で夢からさめた。頭は、悲鳴を上げ続ける。そして焼けつくような暑さ。チャーリィは私をだましたのか?

 と、その時、枕元から一枚の紙片が落ちた。伝言だろうか?私はもうろうとした意識のまま、それを拾って読んだ。

―おまえの故郷に帰れ

そこにはただ、そう記されていた、確かに。私は、自分でも不思議に思うほど逆上して部屋を飛び出した。チャーリィ!

 ヤツガスベテシクンダノダ エアコンに細工をし、私を殺そうとしたのだ。中華野郎め、こっちが殺してやる。

 

 チャーリィは、こっちを見るなり、わっと叫んでナイフを抜いた。

「おとなしくしてろ、部屋にもどるんだ」

何だと、貴様、

 エアコンに細工をして私を蒸し焼きにする気だろうが

「何を言ってるんだ?」

 とぼけやがって、ちょっとしたトラブルだと、何が修理しただ。この部屋の中は電子レンジじゃないか。

「環境表示を見てみろ、このキチガイめ。さっきもてめえを黙らせるために引っ掛けたんだよ」

室内温度は―摂氏二十度だ

ひどいことに、機械まで狂っていた。なんてこった。

頭は悲鳴をあげ続ける。

 それにこの紙切れは何だ、何のマネだ、大きなお世話だ。

「紙切れだと?なんだそれは」

 おまえが書いたんだろうが、おれはどこにもいかんぞ。

「そんな落書きがどうかしたのか」

 落書きだと、これをよく見て―

そこには訳の解らない記号―だろう―がならんでいるだけだった。

「おまえはやっぱり病気だよ、すぐに迎えがくる、おとなしく部屋で待っていろ」

病気だと…私はどこもおかしくない、それに迎えとは…

チャーリィ―そいつは本当にチャーリィだったのだろうか―は嘲るように言った

「何、おまえがおかしいと解ったんでな、さっき上とはなしをつけといたんだ。すぐに交代要員がくる、今度はまともな奴がな」

 なんて奴だ、私をどうする気だ、この中華野郎め。

私は絶えられないほどの頭痛に、半ば叫びながら、チャーリィに飛びかかった。

    

―おまえの故郷に帰れ

 声が響く、頭の中に。私には帰るべきところなどないのに。

 私には居場所がなかった。どこにも。私はいつも独りだった。

―そう、おまえはいつも独りだった。

 私はいつもどこかに自分のおさまるべき場所があるものと考えていた。

 私はいつもそれをさがしていた

―そう、おまえにはおさまるべき所がある

 私は他人を避けた。私は独りでいたかった。

―そう、おまえは他人を遠避ける

 おまえは誰だ、私に話しかける、おまえは誰なのだ。

―おまえには帰るところがある

 おまえは誰だ、兄さん、それとも父さんなのか

―おまえの故郷に帰れ

 だれだ、だれだ、だれだ、

 私の質問に答えろ、おまえは誰なのだ

―私は萬にして個々のもの、私は個々にして萬のもの

 

 わたしはおまえ おまえはわたし わたしはおまえの血の記憶

 

 逃避行…さいはての地…その向こう側…

 われらの民の、新たな故郷

 

 その時、ようやくすべてがわかった。すでに私の頭の中の呼び声も、体の中を駆け抜けたエネルギーも、共に去っていた。

私は独り残された。しかし、成すべき事はわかっていた。

 ああ、私を呼ぶのだ、兄弟姉妹、父母祖父母が。

 私の仲間たちが

…しかし、まだわからない事がある。なぜチャーリィ―ああ、あいつは本当にチャーリィだったのだ―は倒れていたのだろう、

なぜ私の手は血まみれだったのだろう。まあ、どうでもいい事だが。

 私は鱗に被われた手で扉を開いた、希望に満ちた扉を。

 

 私は今、海の底へ向かっている。

 この大地の亀裂の果て、今だ見えざる暗闇の地で何が私を待つのか、今の私には解るのだ…

 

 そう、今の私には…  

(メモはここで終わっている)

 


言い訳めいたあとがき

―あるいは好んで過去を語りたがる奴にロクなのはいないということ。

 

 どこにも書いてないんでなんですが、実はこれ、クトゥルー小説なんです。「インスマウスの影」みたいなのを書きたいなーと、

思ってたんですが・・・う〜ん、もう少しマトモなかたちのハズだったんですが、思い出ってのは美化されてるものですねぇ・・・

線囲いが多すぎて主人公が何考えてるんだかよくわからないし、なんの資料にもあたらなかったんでかなり矛盾、というより単純におかしな箇所が

ゴロゴロしてます。

「震度12」ってなんだよ。「1018m」ってことはこの潜水艇は長さ1km以上のケーブルを装備しているわけ??

そのくせ内容には当時見たり聞いたりしてたことがわかりやすく、あるいはわかりにくく投影されてます。

「天安門事件」とか「ふしぎの海のナディア」とか。

バラしてしまうと死人からかかってくる電話、というのも当時読んだホラー小説(タイトル忘れた)から投影、じゃなくて盗作した物です(ヲイ)

当時は東京創元社から毎月のようにモダンホラーが出版されるという夢のような時代でして、

それはやはり夢だったようで今では影も形も残ってません。ああ、創元ノベルズよ、何処へ・・・

ホラーと言えばこれを書いた年は海洋ホラー映画が多くて(二本だけだろ)、その辺も影響してたんだろうなぁ。

誤字脱字も多いんですが改行をいじった程度でそれ以外はすべて当時のままです。ウソです。

本当は本編終了後に引用文(斜字体になってる箇所)に用いた高村光太郎の「さびしきみち」が原稿用紙約二枚に渡って載せてありました(多すぎ)

さすがにコイツを載っけるのはどうかなぁ、と思いまして削除。興味のある方は岩波文庫の「高村光太郎詩集」に掲載されてるのでそちらを。

なんのこたぁない現国の教科書で見つけて「これはクトゥルーだぜ!」と勝手に一人で盛り上がってたのに

結局授業ですっ飛ばされたウラミが籠もっているのでした。

とはいえ高校三年生の、ともすれば受験対策のみの無味乾燥な時間ともなる時期に、このような小品を作る機会を与えてくれた

東京都立調布南高校国語科教諭(当時)の駒場先生と、その際に目を通してくれた友人と、そして、もちろん

いま読んで下さったあなたに・・・

お読みいただき、ありがとうございました!

 

「国」の部屋に戻る

 

inserted by FC2 system