日の射さぬ部屋で西井山 至はいつものように指先を睨んでいる。

天井を抜ければそこには青空が広がっているはずだがこの地下室には窓がない。

家具と言えば無造作に転がっている寝袋と片隅に置かれたファクシミリ程度のこの部屋で、西井山は指先を睨んでいる。

 

 突然、呼出音も鳴らさずに、ファクスがジジジ・・・と文書を吐き出す。仕事の要請はいつもこのようなものだ。

機械的に習慣的に、彼は文書に手を伸ばす。

 ここしばらくの新聞記事の複写といくつかのデータ。そして、

 

 女の顔。

 

「『タイプ i、至急対処されたし』、か。いつもと、おんなじだ・・・」

 

 そうひとりごち、暗記した資料を処分する。

ろくにクリーニングもしない汚れた黒いコートを羽織り、右側しかない黒い手袋をはめ、青白い部屋を後にした。

留守の間は蛍光灯と換気扇がこの部屋の主だ。

 コンクリートの壁には泪が滲み、、足下の階段は擦り切れた身体を横たえている。世界は、その先に広がっている・・・

この雑居ビルの地下に住み着いてから随分経つが、西井山はテナントを知らない。

テナントも、彼を知らない。

 

 

 東京都心のとある駅の構内に、そのロッカーは置かれている。人通りもない通路の片隅にある、ごく普通のコインロッカー。

もし何者かがそこを定点観測していれば、いくつかのことに気づくだろう。あるひとつのボックスだけが、常に使用中であることを。

毎日異なる人物が、そこに追加料金を補充していくことを。あるいはもっと他のことに気づくかも知れない。

別の誰かが、自分を監視していることにも。

そのロッカーの扉が開かれる時を目にする者は、居てはならない。

 

 

 西井山にはそんなことは聞かされていない。彼はただ、通常の連絡手段のひとつとして合い鍵を用いてロッカーを開くだけである。

中にはいつも仕事で必要とされる物品が支給されている。

今回必要とされるものはいくばくかの現金、とあるライブハウスのチケットと、そして

 

「脱脂綿?ああ、そうか。しかしもう少し、なんとかならんのかな・・・」

空になったロッカーにコインを投入して施錠した。メッセージを残しておきたい衝動には、もう駆られない。

 

彼はいつも外を見ながら列車に乗る。まるで異なる目的を持ちながら、ただ同じ方向に運ばれていく乗客を見るに耐えられず、

目を閉じて無為に身を委ねることも出来ず、かといって自分とは無関係に流れていく世界を眺めることもせず、

ただ彼は窓ガラスを見ている。ガラスだけを見ている。

 

 高層ビルの建ち並ぶ都会は涸れ果てた谷のようなものだ。水の代わりに人の流れるその谷間を、西井山は歩き続けた。

四角く切り取られた空の下、墓場じみた街路には活気があふれ、地下鉄の高架をくぐり、

あらかじめ用意された地図に従い抜け道を辿って迷宮を進んだ先に、その店はあった。

 

 すでに何人かの客が集まりはじめていた。西井山よりずっと幼く、だが目には十分に危険な光を宿した少年達が。

あるいは武装している者もいるかも知れない、しかしその場にいる者たちは、

ある者は座り込み、ある者は壁に身を預け、誰を傷つけることもなくただ待ち続けていた・・・

 

『本日のライブ:水上小夜子 7:00pm!!』

 小さなボードにチョークで書かれた簡潔な告知が、入り口近くに置かれていた。

殴り書きとも言えるなんの飾り気もない文字だが、書き込んだ人物のささやかな自信が伝わってくるような文字が。

 

(彼女が来ているのか?いや、そんなはずは・・・)

 資料によれば水上小夜子はリハーサルを行なわない。通常は開場直前になるまでその場には現れないはずだった。

おそらく、これを書き記した者もまた

「ただのファン、か」

呟きながらも周囲を見回した。「ただのファン」では済まない者がいないとも限らないのだから。

 

 いずれにせよ不必要に姿を晒すことは適切ではなく、西井山はその場を離れた。

いくつかのルートを確認しつつ付近のビルの屋上に上る。ここは周囲で最も高い場所というわけではなかったが、

人目につかずにいるには充分隔離されている場所だった。

 

彼はそこでしばらくの間、ずっと空を眺めていた。

やがて陽が落ち、足下から歓声が聞こえてくる。

 

 歌姫が、あらわれたのだ。

 

 ギリギリの時間まで待って、ライブハウスに足を踏み入れた。当然かなり後方に位置することになるがむしろその方が都合が良い。

西井山は明らかに観客の中で“浮いて”いる、彼のような年齢の人間は、ここにはひとりもいなかった。

自分の姿を見咎められずにいるには、このような片隅の方が望ましい。

 

 照明が落とされ、ステージ脇から水上小夜子が上がってくる。バックメンバーなどいない、独りだけの舞台。

淡い光に照らされギターを携え、時折は語りを交えてライブ自体は驚くほど落ち着いた雰囲気のまま進んでいった。

観客は皆じっと聴き入っている。中には鋭いエッジや鈍く光るチェインを身につけているような少年もいたが、

誰かが嬌声をあげるようなこともなく、ただ静かに空間が流れていた。外で感じた危険な匂いは潮が引くようにかき消え、

そんな中で西井山は感覚を研ぎ澄ましてただじっと彼女を見つめていた。

 

 やがて、アンコールとスタンティング・オベーションとともにライブは終わった。

観客の多くはその場に残っていたが西井山はすぐさまそこを抜け出し、先刻のビルへと向かった。

その人気のない屋上こそが、水上小夜子の秘密の場所なのだ。

 

「東京の夜空には、星が見えないね」

「でもそのかわり、地面にはいっぱい落ちてるぜ」

 誰かとそんな話をしたのは、いったいいつの頃だろう。指を空にかざして、もつれた記憶を呼び戻す。

地面に星が落ちているなんてお笑いだ、それはみなまやかしの光・・・

 

「ぼくは、だれかのためにやくだつことがしたいです」

 地面に落ちたから、空にないわけではない。そんなものは、最初からなかったのだ。

 

「ウソだろ?」

嘘ではなかった、彼らにとっては。そしてまた彼にとっても。

 

「何も、見えやしない・・・」

四角く切り取られた夜空を覆う雲を見ながら、西井山 至は呟く。足音が聞こえる、彼女がやってくる・・・

 

 へたくそな口笛が聞こえた。

 

 所々で音色は途切れ、およそ曲の程を成さない。調子の外れたもの悲しいメロディーを吹く水上小夜子の顔は、ただ笑っていた。

 物陰からその表情を見た西井山は、我知らずに声を掛けた――

「そんな曲を、楽しそうに吹くものじゃないよ、水上小夜子さん」

 

 

「わぁッ、ビックリしたぁ!・・・ちょっと、おどかさないでよね。あんた誰?」

 意外な呼びかけに驚きを隠せずにいながら、決して怯えてはいない。振り向いた瞳の輝きは消せない。

「もしかして、このビルの管理人さん?やっぱ入っちゃあマズかったのかな??」

「いや、そういうわけではないんだけれど・・・」

 西井山も暗がりから歩み出る。

「なんだ、さっきいたお客さんじゃないの。よくこの場所の事知ってたわね」

「・・・え?僕はずいぶん後ろにいたのに、憶えてるのかい?」

「まぁそりゃねぇ、あんた全然歌聞いてなかったでしょ。顔見てればわかるわ」

「そうか、わかってたんだ。それは・・・すまなかったね」

「少しも表情変えないんだから、やってる身は辛いわよ。めずらしく同い年が来てくれたってのに、ね」

「同い年って、なんでそんなことがわかるんだい」

「あんた7−年生まれでしょ?なんとなくわかるのよ、同い年のひとは」

ふっ、と微笑む。

 

「それより、なんでこの曲を吹いちゃいけないのよ、第一、なんの曲だかホントにわかってんの?」

「“牛車(ビドロ)”だろう、「展覧会の絵」の」

 小夜子は目をしばたかせ、本気で驚いた。

「ありゃー、すごいね。私の口笛、一発でわかった人って初めてよ。“牛車”、好きなんだけどなー。

重い荷物を背負って峠道を登ってる、辛くても苦しくても、頑張ってる――そんな感じがしてこない?」

 

 西井山は首を振った、昔は彼も、そう思っていたものだが・・・

「いや、“牛車”はそんな曲じゃない。あれは、あの曲の元になった絵は、

弾圧されたポーランドの独立運動家たちが、処刑されているところの絵だ。

人間としてごくあたりまえのことを願った罪で、理不尽に殺されてしまった人々の曲なんだよ。

だから、どうかそんな曲を楽しそうに吹くのはやめてくれ」

 

さすがに気を悪くして小夜子は答えた

「・・・嫌な解釈ね、知らない方が良かった。さよなら、口笛評論家さん、あーあ、今日は日が悪いみたいね、さっさと帰るわ」

 きびすを返し、非常階段に足を向ける。が、西井山は手を伸ばして彼女を押さえた。

「待ってくれよ、君に話があって来たんだ」

「あんたどっかのエージェント?CDデビューの話なら一足遅いわよ。インディーズだけどね、

来月発売だからちゃんと買って、私の歌もちゃんと聴いてよね」

 

「 君はもう、歌を歌ってはいけない」

 

*        *        *

 

「なに、言ってんの?」

「だから・・・歌ってはいけないんだよ、どんな歌も」

 物腰からは想像も付かないほどの獰猛さで、彼女は西井山の襟首をつかんだ

「あんた何?ストーカーかなんか!?フザけたこと言ってると警察につきだすわよ」

 

「待てよ、最後まで人の話を聞け・・・」

 細い腕は、いともたやすくほどけた。

「君の歌を聴いた観客が、どんどん人を殺してる。全部君の歌のせいなんだ。だから・・・君はもう歌わないほうがいいんだ」

 

「え・・・?」

「それが、君の力なんだよ。君の歌を聴いた者の全員ではないが、何人かは確実に君の歌から影響を受ける。

他人を、それもできるだけ多人数を殺して大抵は自分も死ぬ」

「私は“人を殺せ”なんて歌は歌ってないわ!馬鹿じゃないの。私が歌ってるのはね、“人を殺すな”って歌よ。“誰かを好きになれ”って歌。

どうしてそういう歌を聴いて人殺しなんかしなきゃいけないのよ!」

 

「歌詞や曲調は、問題じゃないんだ。“歌う”って行為が、それを引き起こすんだよ・・・」

「そんな、そんな話信じられるわけないでしょ!」

「動物園に来ていた小学生達がナイフを持った男に襲われた事件があったね。住宅展示場が爆破されたことも。

通学電車の中で手作りの散弾銃を乱射した事件、動機不明、死者多数、最近の一連の事件の犯人は、みんな君の歌を聴いていた。

ファンだったんだ・・・」

「・・・私の、ファン?・・・だからってそれが、わたしのせいだって言うの・・・そんなの、信じられないわよ・・・」

「信じなくてもいいよ。けれども、それが事実なんだ」

そう認定されたのだ。

 

「そんなのって・・・」

「80年代の中頃、未だに理由も方法も不明だけれども」

 西井山は話し始めた

「何者かが、当時10代だった子供達に何かを“施し”たんだ。どこかの政府か、秘密機関か、あるいは」

 そっと空を見上げる

「宇宙人かも知れないな・・・」

 

「そいつがなんでそんなことをしたのかおよそ見当も付かないけれど、

君の世代の人間の中には、他とは違う、特殊な能力を持った者が存在する。

能力の発現はそれぞれ異なる時期、異なる形になるけれども、全員に共通していることは、

それがすべて“人を殺す力”だってことだ・・・」

 

「可聴領域の音波を使って人間の攻撃性、破壊衝動を高める力。それが君の受けた“施し”だ。

君は知らずに、大量殺人の幇助をしていたんだよ・・・」

「歌が・・・」

「そう、歌だよ。通常の会話、ハミングや口笛では何も起こらない。歌を聴いた者だけが、影響を受ける」

「なんでそんなこと、わかるのよ、そんな話が通ると思ってるなら」

「通るんだよ」

 彼らには通るのだ。

「だから、もうこれ以上、君を歌わせるわけにはいかないんだ。そのほうが、君にとっても・・・」

 

「ちょっと待って」

 小夜子の目が、光を帯びる

「じゃあ何で、あなたはライブハウスにいたの。おかしいじゃない」

 自信を持って、理不尽な虚偽を看破するように

「私の歌で人が死ぬって、あなたは言ったわね。あなたはどうなの?人を、殺さないの?」

「僕は君の歌を聴かなかったからね」

ポケットの中から丸めた綿を取り出す。原始的だが、効果的な耳栓――

「だったら・・・だったら今日あそこにいた子たちはどうなのよ。あの子たちが人殺しにならないように、どうしてライブをやめさせなかったのよ!」

「理由はある。君は知らない方がいい」

知らない方がいいことは、この世の中に山ほどある。

「僕は君を助けに来たんだ。もうこれ以上誰かの勝手な思い通りに人殺しの機械みたいな生き方を続ける必要はない。

今なら、まだ間に合うんだよ」

 

 そう、生き続ける方法はあるはずだった、彼女にもまだ生きる道は残されている。

ただ歌わなければ、ただそれだけで彼女はこの先も生き続けられるはずだ・・・

「どんなに辛くて、苦しくてもあきらめなかった・・・最初、この屋上でひとりで歌ってたときに、あのひとと出会って、

小さなステージで、歌うことができて、だんだんお客さんも増えて、ようやくもっともっと多くの人に私の歌を、聴いてもらえる。

夢が、やっと夢が叶うところなのに・・・もう、歌えないの・・・」

「声帯を除去すれば、充分生きていける。庇護下に置かれ、自由は束縛されるけれど・・・他の生き方もあるけれども、君の特性では」

 

 本人の自覚なく発現されているタイプ i を稼動状態のまま指揮下に置くのはほぼ不可能だと結論が出ている。多くの失敗例と共に。

 

「声が、出ない・・・」

「そうするしかないんだよ、いつ、いかなる時に、自然に歌い出さないとも限らない。そうなってしまえば、また・・・」

人が、死ぬ。

 小夜子は両手を自分の体にまわし、そっと自分を抱きしめた

「それじゃあ、おなかの子に何を聞かせてあげればいいの、この子が生まれてきても、子守歌も夜伽話も聞かせてあげられないの・・・」

「子供が、いるのか・・・それは、聞いてないぞ・・・」

 情報漏れがあったわけではない。不必要なデータだと判断されたのだろう。所詮彼とてすべてを知らされているわけではないのだ。

「形質は遺伝する可能性が高い。堕胎手術と、不妊処置を受ける必要が・・・」

「可能性!?可能性って何よ!!」

きっ、と西井山を睨む、怒りに震え、わななき、

 

「いつだってその言葉を信じて生きてきたわ、きっと出来る、って。がんばれって、言われて・・・言われてきたのに」

 そしてうなだれ、涙がこぼれ落ちる

「この子を残して、あのひとも逝ってしまって・・・そんな、・・・まさか・・・」

 

「ああ、そうか、・・・彼が父親だったんだね」

 資料に記されてあった中でも、最大の事件。彼女の特質によって起こされた、おそらくは最初の事件。

この事件の原因を調査するうちに浮かび上がってきたのだろう。動機無き謎の殺人犯たちと、それを操る黒幕の影が。

 

「事故よ・・・」

黒幕は、ここにいた。街の隙間でひそやかに、何も知らないままに。

「高速3号線、渋滞最後尾のタンクローリーに乗用車が激突。死傷者36名」

夜の風が、やさしく彼女を包み、

「わたしの、うたが」

雲間から照らす月の光が、水上小夜子の姿を浮かばせる。

「仕方が、ないよ」

小さなステージの中央で、うたひめは涙をぬぐって

「ねぇ、今ここで私がなにか歌ったら、あなたを殺せるの?『しあわせなら手をたたこう』を歌っても、あなたを殺せるの?」

 

「それでもいいよ」

たったひとりの観客はそう答えた。

 

「そんなこと、できるわけないでしょう!私は人殺しなんかしたくない、私の夢はもっと別のことで、ただ歌いたいだけで・・・」

 刹那。

「夢を奪われたまま生き続けるぐらいなら、死んだ方がマシよ!!」

パァン、と頬を打たれ、一瞬の隙をつかれて西井山は彼女を取り逃がした。

脱兎のごとく駆けていく、屋上の、手すりに向かって

その向こう側を目指して――

 

「・・・そうかもしれないね」

 頬をさすりながら西井山は驚きも慌てもせず後を追った。反応としては十分に予測出来る行動だったから。

 

 どさり、と音がした。

 

 狭いビルの屋上の、さほど高くはない手すりを前にして、女が倒れている。

羽根をもがれた蝶のように、四肢は捻れその顔は歪み、

「あ・・・が・・・」

言葉を発することもできない 。

 

 西井山は膝をつき、優しく小夜子の身体を抱き上げた。

「大丈夫かい?」

「・・・な・・・んで」

 右側しかない黒い手袋を外し、吐瀉物と涙で汚れた顔を素手で拭う。

つい先刻までステージで輝いていた顔は、今は理不尽な苦しみに喘ぎ・・・

「“施し”を受けた人間はみんな誰もそうなんだよ。肉体的にも精神的にも全力で生きようとする反面、

自己破壊衝動は識域下で厳重にブロックされている。

君が君の夢をそう簡単に投げ出さなかったように、君自身もまた簡単には――」

「し・・・ね・・・」

 

「死にたくても死ねないんだよ。ぼくたちはね」

 西井山 至は指先を開き青酸ガスを噴霧して彼女の生命を奪った。

 

 水上小夜子のささやかな夢は夢がはじまったまさにその場所でひそやかに幕を閉じた。

 

*        *        *

 

 西井山は打ちのめされ、うなだれたまま階段を降りていく。

『殺害を優先、可能であれば保護も認証する。標的はタイプ i、至急対処されたし』

繰り返し何度も読まされてきた指令、何度も摘み取った命・・・

 

 ビルを抜け出た先には白い男が待っていた。この世でただひとり、西井山がたったひとりだけ憎んでいる人間が、彼を待っていた。

「全部、見てたんだな・・・」

「当たり前だ。おまえは俺の飼ってる中では一番有能だが全く信用が置けないからな。しかし、まあご苦労だった。おまえの仕事は楽な方だがね」

ソフト帽からエナメル靴まで、全身を白で包んだ壮年の男は言った。

「俺の仕事はこれからだ。今日来た客の全員を監視し、追跡し、調査せねばならん。

何割の人間が影響を受け、活動し、実際に殺人を行うのか、見届けなければならん。

まったくもって大変だよ。どうせなら何人か会場で暴れてくれればよかったかもな」

「この、人殺しめ・・・」

「勘違いするな、人を殺してるのはお前で、俺はなにもしとらん。ただデータを取ってるだけさ。

いずれこの研究も役に立つよ。“施し”の傾向も対策も、そして正体もやがては明らかになるだろうな」

「そんなもの、どうでもいい・・・」

 

「しかし、タイプ・インフレンスは悲惨だな。大抵の者は自分のやってることの影響に気が付かない。わかったときには既に手遅れだ」

 白い男はポケットから手も出さずにニヤリと笑った。

 

「今度はタイプ d を回せ、ダイレクトリなら少なくとも・・・」

「少なくとも人殺しの自覚はあると言う訳か、キルケゴール?」

「巫山戯た仇名でオレを呼ぶな!」

 西井山は白い男の眉間に指を突き立てた。タイプ・ダイレクトリ、直接型の殺人人間として彼が生かされているただ一つの理由、

水上小夜子の涙と血と死で汚れたままのその指を――

 

「俺を殺すか、キルケゴール?俺を殺せばおまえも死ぬぞ。それでも、俺を殺すか?」

 頬に、胸に、手足にいくつものレーザー光がポイントされる。彼を狙っている銃口は、10では利かない。

 身体中が小刻みに震え、汗が落ちる。神経と肉体がせめぎあい、とても長い数秒が過ぎ・・・

「・・・おまえはオレの仲間じゃない、仲間じゃない奴は殺さない」

 指を降ろし、背を向ける。後ろから、哀れみと蔑みに満ちた声が投げつけられた。

「そう思うなら、せめて殺した人間の分だけは生きるんだな!」

 

 西井山は部屋に戻る前に階段でうずくまり、少しだけ泣いた。

 

*        *        *

 

 日の射さぬ部屋で西井山 至はいつものように指先を睨んでいる。

天井を抜ければそこには青空が広がっているはずだがこの地下室には窓がない。

 ――仕方なく、ただ夢だけを見ている。

                                                                      BGM:中谷 美紀「砂の果実」


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