第二話「マシーネン・メンシェ」(中編)

 


「――“機械人間”と呼ばれているわ」

「ロボットだ!!」

 

 その建物のなかには人の型をした大きな機械が、水銀灯に照らされ、鈍い銀色にその身を輝かせてじっと座り込んでいたのです。

立ち上がればその丈は、4メートルにもなるでしょうか。

今はただ身じろぎもせずに、彫像のように座して。

「すごいや!こんなに、こんなに大きなロボット、今まで見たこともないよ!クリスタル・パレスの公園にも、

 こんなにすごいロボットは置いてなかったなあ!!」

 タケルは胸の高鳴りを抑えることが出来ずにおおきな声をあげました。

「ふふ、そうね、英語で“ロボット”と呼ぶほうが良く知られている名前ね。人間のような形をして、人間のように動く機械。

 これが、あなたのお父様が研究されていたものなのよ」

ゆき子さんはタケルの傍らに立ち、巨大な機械人間を見やりました。

全身はゆるやかな曲面で構成され、傍目には西洋の騎士が纏う甲冑のようにも見えます

お椀を伏せたような形の頭部が天辺に坐し、両腕は内にみなぎる力を思わせるように太く、

ひとたびその鋼鉄の身体が蠢くときには、必ずや轟音を巻き起こすであろう二本のたくましい脚が伸び

それらすべてがじっと成りをひそめて、ただ座り込んでいるのです。

 

「でも、お父さんはロンドンに行っていたのにどうして?このロボットもぼくたちみたいにイギリスから来たの?」

と、訊ねるタケルにゆき子さんはかぶりをふりました。

「いえ、そうじゃないのよ。このロボットはここ京都大学で造られたの。瀬生博士が英国で研究なさっていたものは・・・」

「やぁ、よくいらっしゃいましたね」

そのとき機械人間の足下から、誰かが二人に声をかけました。

白衣を着込んだ白い髭の老人がにこやかに、でも少し疲れたような顔で微笑んでこちらを振り向きます。

 

「ああ、西村教授、この子が瀬生博士のご子息です。名前は――」

「タケル君、だね。君のことはよく聞かされていたよ。瀬生のやつはアレで結構、子煩悩だったからね」

「はい、瀬生タケルです。はじめまして」

少し緊張して体をのばして、タケルはお辞儀をしました

でも西村教授はにこにこ笑ってぽんぽん、とタケルの頭をなでて膝を折り

「私は西村という。ここでちょっとした研究をしているんだ。君のお父さんにもずいぶんと力を貸してもらっていたんだが

 大変な目に、あったんだってなあ。ともかく、君だけでも無事でなによりだよ。よく来てくれたねえ」

「はい・・・。いろいろな人のおかげで・・・でも、」

うんうん、と西村教授はうなずき、立ち上がってロボットの方を振り返りました

「まあ少し見学して行きなさい。これが君のお父さんが造ろうとしていたもの、“マシーネン・メンシェ”だよ。

 この国で建造された物では第二号になるものだ」

「二番めなんですか?じゃあいちばん最初は?」

「ああ、昔私が造ったんだよ」

タケルはおどろいてとなりの老人を見つめました。

西村教授は笑ったままです。

「遠慮せずに行ってきなさい、タケル君」

「はい!」

ゆき子さんに言われて心なしか早足で、タケルは機械人間の足下に向かいました

二人はその背に暖かい眼差しを向けて、

 

「速水さん、あなたが言ったように準備は万端、整えてある。燃料も電池もね。だが本当にこれを起動させることが出来るのだろうか。

 瀬生の研究成果がなければこれはただの機械のままだ。『人間』にはなれん」

「ええ、きっと大丈夫ですわ。教授」

 

 いきおいよく駆けつけたのにおっかなびっくり、タケルは機械人間に手を伸ばしました。

鋼鉄の身体はただ冷たく、見れば頭部には写真機のレンズのようなものが取り付けられていますがその「目」がタケルを見おろすこともありません。

「動かないのかな?」

拳固をつくって機械人間の身体をごんごん、とたたいてみました。それでもなにも動きません。でもその代わりに

「こら、叩くヤツがあるか!」

と、大きな声が突然浴びせられました。

機械人間の背後から眉の太い、きつそうな目をした若い男の人がちょっと怒った顔でタケルを見ています

「あっ、ご・・・ごめんなさい」

あわてて手を引っ込めて謝ります。

「おいおい里見、べつに子供が叩いたからって壊れるもんでもないだろう。あんまりおどかすなよ」

もうひとり、四角張った顔の人がその横で苦笑しています。

「君が瀬生博士のお子さんかぁ。博士がまだ日本にいた頃にはずいぶんお世話になったもんだよ。僕は伊吹、こっちのほうは里見ってヤツだ。

 今ちょっと気が立ってるが別に君を取って喰ったりはしないから安心しなよ」

「ほんとにごめんなさい、ただちょっと動くのかなぁって思ってその・・・」

タケルは真っ赤になって謝りました。

「あーその、伊吹が言ってるように別に君が力いっぱい叩いたからって壊れたりはしないがね、そういうことをするものではないよ」

「はい・・・」

「まぁまぁ、別に里見が怒ってるのは君のせいじゃないよ。他に理由があってコイツは八つ当たりしているだけなのさ」

「八つ当たりとはなんだ、そもそもだな」

 

「いや申し訳ない!うっかり寝過ごしてしまいました!!」

 

いきなり大きな声が建物中に響きわたりました。

入り口の所で小柄な人がバツの悪そうな笑顔のまま、頭をかいています。

「何が『うっかり寝過ごして』だ!どうせどこかで蕎麦でも食べてきたんだろう。」

里見さんが怒って言いました。

「今日はようやくの起動試験で、昨日からずっと教授も我々も走り回っていたというのに肝心なときになって見あたらないのだから―」

「まぁまぁ里見君、高橋君も頑張って疲れていたのだからちょっとぐらいはうたた寝することもあるだろうに、そうそう咎めるものでもないだろう」

西村教授はかかかと笑っていま入ってきた人の所に向かい小声でこっそりと耳打ちしました

 

「口元にネギがついとるぞ」

「おっといけねぇや」

 

「で、里見さん伊吹さん、どうなんですかねえ、結局の所こいつは動くんですかい?瀬生博士がスリーなんとかってぇ輩にとっ捕まったままじゃあ

 いくらなんでもでくの坊のままなんではないですか?やれやれですね」

なんともしようのない、といったふうに両手を広げて機械人間を見つめてふとタケルに気付き

「おいおい坊や、こんな所に入って来ちゃあ駄目だよ。危ないからさぁどいたどいた」

どたどた近づいてむんずとつかみかかります。

「ちょ、ちょっと待ってよ、ぼくはただ見せてもらおうと・・・」

「ここはね、大人の仕事場なんだから。坊やみたいなのがいると邪魔なんだよ」

タケルの言い分も聞く耳持ちません。

 

「よしたまえ、高橋君。その子はタケル君と言って瀬生博士のご子息なんだよ」

西村教授の声にぴたと動きを止め、目をぱちくりさせ、ひえっとつかんだ手を離し

「こ、こいつはとんだ失礼を、ついうっかりしてまして申し訳ありません、お坊ちゃん」

あわててぺこぺこ頭を下げます。

「そうですよ、高橋さん。今夜連れてくるからってちゃんと私が言いましたでしょう?なのにどうして・・・」

「あいや、これは速水さん、その、どうも・・・」

ぼりぼり頭をかいてすまなそうな顔をします。

「い、いいです、そんなにあやまらなくてもいいですよ。ぼくがおじゃましているんだし」

タケルの方が慌ててしまいました。

 

「みんな揃ったところであらためて紹介しましょうね。タケル君、この方達が京都大学第三機械工学研究所、西村研究室の皆さんよ。

 見てもらったとおりここで“マシーネン・メンシェ”の研究開発を行っているの。そして皆さん、この子が瀬尾タケル君。瀬生草蔵博士の息子さんで、

 ロンドンから博士の研究成果を無事に守って、ここまで運んできてくれたのですわ」

 

それを聞いて西村研究室の一同は驚きの声をあげました。でもいちばん驚いたのは他ならぬタケル本人です。

「え?ゆき子さん、ぼくそんなもの持っていないよ!」

「そんなこと無いはずよ。お父様から何か預かっているのではなくて?だってあのとき、おおとり号の機内で仰っていたでしょう

 あなたを『京都のオヤジに届けてくれ』って。タケル君、日本にご家族や親戚はいらっしゃらないのだから――

 あなたをここへ連れてきてくれっていうことだと、私は思ったのだけれど。それにそう、そのカバンずっと大切に持っているけれども

 何か大切なものが入っているんじゃないの?」

 

「大切なもの?う〜ん、入ってるけれど・・・これは、その」

肩からかけたままのカバンを開き、中から小さな化粧箱を大事そうに取り出しました。

「そうそう、それぐらいの箱になら収まる物よ。中を開けて見せてくれない?」

「かまわないけれど、でもきっとがっかりするよ」

ぱちんと留め金がはずれた、天鵞絨(びろうど)張りの箱の内側は

 

からっぽでした。

 

なにも入っていません。それを見てゆき子さんの顔がさっと青ざめます。

「そんなはず無いわ。どうして空っぽの箱なんて・・・」

西村教授も顔を曇らせて

「どうやら私たちは何か誤解していたようだね。タケル君、ありがとう。すまないね、その箱は君にとってとても大事な物なのだろうに。

 見覚えがあるよ。それはひょっとして君のお母様のものではないのかね?」

「はい、そうです。どうして知ってるんですか?これはお母さんの、『かたみのしな』だから大切に持っていなさいって言われて」

「君のお母様はね、以前私の下で助手をしていたんだよ。時々そのオルゴールで瀬生と一緒に綺麗な曲を聴いていたなぁ」

「あっ、そうだったんですか!このオルゴール、とってもいい音がするんですよ」

 

「オルゴールですって!タケル君、それ本当?」

ゆき子さんがあわてて訊ねます。

「うん。でもロンドンを発つ前に音が出なくなってしまって・・・日本に着いたらすぐ直るよって、お父さんは・・・言ってたのだけれど・・・もしかして」

「ええ、もしかしたらそうかも知れないわ。その内張り、はずせるのかしら」

「ちょっと待ってて。前に中身を見たことがあって・・・」

しばらくごそごそとした後、ぱかりと内張りが外れました。果たして中にはオルゴールの機構とは全く異なったものが隠されていました。

「これ、なんだろう・・・」

タケルが取りだした物は硝子(ガラス)の球体でした。よく見ればそれはいくつもの切子面が取られていて、

大きさは野球のボールよりもひとまわり大きな程度でしょうか。

中心部にはどういう技法を使ったのか、小指の先ほどのちいさな光が灯っています。そしてその灯火はかすかにこぉぉんと鳴りながら

少し震えているのです。

 

「これこそ、瀬生草蔵が造り上げたものだよ。見たまえ諸君、すでに自律輝動している」

三人の研究員がタケルの周りに集まってきます。

「すごい・・・これが『水晶頭脳』なのですか」

「うひゃぁ、はじめてみましたよう」

「世界にただひとつしかないのだから、そりゃあたりまえだろう」

 

「瀬尾タケル君、これを我々に使わせてもらえないだろうか。本来ならばお父上がここに持ってきてくれるはずだったのだが、

 いま彼はこの場所にはいない。だから、これを委ねられた他ならぬ君自身の許しを得ずに、我々がこれを勝手に使うことはできないよ」

西村教授が真剣な面持ちで、おごそかに告げます。

タケルは手のひらの中で小さな星のように輝く水晶の球体を見つめながら言いました。

「これは、何に使うものなんですか?とてもきれいだけれど・・・」

「それはね、“機械人間”を動かすための力の源になる部品なの。お父様が英国で世界中の科学者と知恵を絞ってお作りになったものなのよ」

「じゃあ、これはエンジンのようなものなの?こんなに小さいのに、あんなに大きな体をこれで動かすことが出来るの?」

「『エンジン』は“機械”を動かすためのものでしょう。この『水晶頭脳』はね、“人間”が動くためのものなの。

 わたしやあなたが今こうして生きていること、そのための力が湧き出す泉のようなもの・・・」

「それはひとのこころを形にしたものなのだよ」

「こころ・・・」

光が、少しだけ揺らぎました。

「機械に、こころをもたせること・・・それが、お父さんが望んでいたことなんですか」

「そうだよ。従来の歯車式機械頭脳では成しえないこと、計算だけではできないことを行うために、

 本当の意味での“マシーネン・メンシェ”を造るために必要な、とても大切な部品なのだ。

 本来なら起動時には瀬尾自身に立ち会ってもらいたかったのだが・・・どうかこれを使わせてはもらえないだろうか」

タケルは目を上げ、鋼鉄の機械を見つめました。

「もしも機械にこころがあったら、人間みたいになるんですか?人間みたいにものを考えたり、ゆめを見たりするのですか?

 そうなるのだったら・・・だったら、これを使ってください。お願いします」

「ありがとう、タケル君」

手から手へと、『水晶頭脳』が渡されました。西村教授はそれを少し高く掲げて

「では諸君、只今より“機械人間“の起動試験を開始する」

と、低い声で告げました。

 

*                      *                         *

 

「はい教授!」

と答えて三々五々、研究員達が散らばり、自分の所定の位置へと就いていきます。やがて大きな脚立が“機械人間”の横に据え付けられ

『水晶頭脳』を抱えた西村教授がそこをゆっくりと登り“機械人間”のお椀のような頭に付いた小さな蓋を開きました。

そして何事かを誰にも聞こえないような声で囁き、内部に開いた空洞の中へ『水晶頭脳』を収めます。

蓋がとじられ、白衣のポケットから取り出された小さなスパナでひとつひとつ、丁寧にボルトが締められていきました。

タケルは壁際で、ゆき子さんと一緒にその様子を逐一見守っていました。

「お父さんの分まで、ちゃんと見届けてあげなさい。よく憶えておくのよ、この光景を」

「もちろんだよ・・・」

 

西村教授は脚立から降りると、

「頭脳封入完了、発動機、回転」

と指示を出します。

背中に取り付けられた長いクランク軸が大柄な伊吹研究員の手によってゆっくり、だんだん早く回されて行き

「コンタクツ!」

の声と同時に点火栓の連続音があたり一面に鳴り響きました。

「電力は正常値で発生しています」

「空気圧、異常ありません」

里見研究員も高橋研究員も真剣にメーターを見つめます。

「水晶子、振幅を開始しました・・・定期律動値を検出、起動します」

 

「動き出すみたいだね」

「ええ、そうね」

 

エンジンの轟音にかき消されそうになりながら二人が言葉を交わしているとき、

“機械人間”の頭部に取り付けられたレンズの「目」がカシャ、カシャと音を立ててしぼりを開きました。

それはまるで目を覚ましたばかりの人間がまばたきをするかのようです。

開いた「目」にぼぉっと赤い光が灯りました。

それまではだらりと垂れ下がっていた腕が突然びく、と震えゆっくりと持ち上がり硬く握りしめられていた拳が徐々に開かれ

頭部全体が右へ、左へと回りうつむき加減だった上体をそらします。

そして、ゆっくりと立ち上がりました

 

「うわぁ、すごい、すごいや!」

起きあがった巨体を前にタケルは我を忘れて喝采を挙げ、思わず駆け寄ります。

「タケル君、だめ!危ないわよ!!」

ゆき子さんの声も届かず走るタケルは、床を走っていた電導線につまづきました。

「うわっ、と・・・痛たた・・・!」

膝小僧を押さえて目を上げ、思わず息を呑みます

目の前すぐ近くに、“機械人間”の大きな手が伸ばされていたからです。

 

「大丈夫ですか?お怪我は、ありませんか?」

 

赤い目の巨人は心配そうに声をかけました。

 

つづく

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