第二話「マシーネン・メンシェ」(後編)

 

 


 “機械人間”がとつぜん話しかけてきたのでタケルは心底驚いてしまいました。

「あ・・・」

呆然と目も口も開いたまま、声も出てきません

「立てますか?」

そこへ、ひといきでタケルを握りしめられそうなほど大きな手が差し伸ばされました。

「だ、大丈夫・・・ひとりで立てるよ」

あわてて立ち上がり、周りの人たちを見回して言いました。

「こ、このロボット、口をきいたよ。まるで、まるで・・・そう、人間みたいに!」

「はっはっは、恐れ入ったかい。人間のようにものを言う機械なんて初めて見ただろう。この機械は他にももっともっといろんなことが出来るんだぞ」

高橋研究員が胸を張って答えます。

「すごいなぁ・・・ねえ、ほかにどんなことができるの?」

「うん、それはまぁ・・・色々だよ、ははは」

モーターがジィィッと音をたてて、“機械人間”の赤い目がタケルに焦点をあわせました。

「あなたは瀬生タケルさんですね?こうしてお会いするのははじめてですね」

「ぼくのことを知ってるの?」

「ええ、私がまだ仮の『目』と『耳』につながっていた頃に瀬生草蔵博士があなたの写真を見せて下さいました。

 博士はあなたが私を日本に、本当の『目』や『耳』や『身体』の待つところに運んでくれるのだと仰っていました。

 私はいま、こうして自分の身体を動かしている。あなたのおかげなのですね。ありがとうございます」

“機械人間”はぶるんと身を震わせて立ち上がり、頭部をめぐらせて周りの人々をゆっくりと見渡しました。 

「はじめまして、皆さん」

計器や記録用紙に目を遣っていた研究員達も「やあ」とか「どうも」などと挨拶を交わします。

「さてと、早速だがいろいろと試験を始めさせてもらうよ。おまえさんに何が出来て、どういうことが可能なのか調べなければならんでな」

「あなたは西村真琴教授ですね、よろしくお願いいたします。ところで、瀬生博士はどこにいらっしゃるのですか?」

なにげなく発せられた問いかけが、まわりの空気を止めてしまいました。

 

「・・・うむ。瀬生君はな、今はここにはいないのだ。ちょっとその、事故があってな」

「事故!どこかお怪我でもされたのですか?」

“機械人間”の赤い目が激しく点滅しました。

「そうじゃないんだ・・・お父さんはね、捕まっちゃったんだよ。悪いやつらに・・・」

「捕まった??」

「・・・ZZZ団っていうやつらさ。世界中で、戦争をはじめようとしているんだって。それで、お父さんをさらっていったんだ!」

「なんということを!博士をお救い致さねば!!」

エンジンが激しく回転し、背中の排気口からごうっと黒煙が吐き出されます。

排気ガスに口元を抑えながらゆき子さんが割って入ります

「大丈夫よ、心配しないで。いま大勢の人が瀬生博士を救おうと色々と手を尽くしているわ。だから、安心なさいな・・・

 タケル君も、お邪魔にならないようにね」

「う、うん・・・」

“機械人間”を諭すように、西村教授も声を掛けます

「さぁ、おまえさんも落ち着いてな。ここで騒いでも、どうにもならんことだからな」

「はい、わかりました」
 

タケルはゆき子さんに連れられ、少し離れたところから“機械人間”が手や脚を動かしたり、玉子を摘んだりする様子をおとなしく見学していました。

でも、こころでは違うことを思っていたのです。

 

「どうしたの?ぼんやりしちゃって」

「・・・え?あぁっと、オルゴールの中身はどうしちゃったのかなぁって、ね」

 

*                   *                         *

 

そのころオルゴールの中身は、何処とも知れない地の、窓もない部屋の中でやさしい調べをぽろろん、とゆるやかに響かせていました。

瀬生草蔵博士の手のひらの上でささやかな機械はゆっくりと作動し続け、やがて演奏を止めました。

その部屋の大きな重い扉が間髪を入れずに打たれる無粋な拍手のように勢いよく開き、銀の仮面のZZZ団総統がずかずかと入ってきます。

「素晴らしい、実に感傷的な楽曲ですな!感傷に浸る間があれば吾輩の計画にもっと協力していただきたいものですがな!!」

「冗談ではない。お前達の陰謀になど誰が協力するものか」

調度ばかりは豪奢な部屋で、臆することもなく瀬生博士は総統に告げました。

「いったん誓約した約定を果たさないとは、なんとも紳士らしからざるご振る舞いにて、吾輩失望いたしましたなぁ」

ふん、と総統は鼻白んで、細やかな刺繍で飾られたソファにどさりと腰を下ろします
 

「脅迫の下に自由意志を阻害して無理矢理締結された約款などに拘束力は発生しない。紳士ならば常識的なことだがね」

「いつまでもそんな強情を張れるものでしょうかね?博士。そんな名も知れぬメロディなどにうつつを抜かされていては、

 折角の知識も無用の長物ですぞ」

「これは『エンゼル・コォリング』という歌だ。死んだ妻が好いていたものだよ」

「おぅ、奥様のご趣味であらせられましたか。『水晶頭脳』の基礎理論を確立された方が早逝されてしまったのは残念なことですな。

 存命であれば是非とも我等の同志としてお招きいたしましたものを。確かお名前は――」

「黙れ!お前の口からその名を呼ばれるのは耐え難い」

巌とした答えに総統は大仰に肩をすくめ

「おっと!失礼致しました。いやはや実に感傷的なお方だ。まったく、浪漫にも程というものが御座いますぞ」

そのままククク、と喉を詰まらせたような声であざけり笑いを浮かべます。
 

「さしずめ君の浪漫はワーグナーといったところかな?破り捨てられた英雄なぞも、君にはお似合いだよ」

皮肉めいた瀬生博士の問いかけを聞いて総統は大声で笑い出しました。

「はははは、ワーグナー?それに『英雄』ですと!わははは、なんと矮小な!

 吾輩が好むのはそんなちんけな歌劇やしみったれた交響楽などではありませんよ!もっと遠大で、勇壮なるもの、

 そう、戦争そのものですよ」

骸骨のような仮面の下で、にいっと口元を歪めて

「これほど素晴らしい音楽を、吾輩は他に知りませんぞ。重榴弾の打撃音、軽機関銃のスタッカート、地を埋め尽くす兵士のテノールに遙か天空より

 応じる航空爆弾のアルト、ソプラノの悲鳴ととどろく軍靴のバリトン。そして響きわたる勝利の声に客席の涙は止まりますまい。

 これほどの芸術、ただ鑑賞していることなどどうして出来ようものでしょうかね?是が非でもこの身で指揮杖を握りしめ、演台に上りたいもの。

 交響楽団?そんなものは軍集団に較べれば子供だましの手合いに過ぎん。それを否定する者なぞ・・・吾輩に言わせれば馬鹿に等しい」

 
「物事の区別がつかない人間のことを、馬鹿というのではなかったかね?」

「現実を認められない人間のことを、馬鹿というのですよ。

 博士、現実を御覧なさい。世界大戦でどれほどの人間が死んでいったかご存じですかな?」

「・・・無論、そんなことくらい知っている」
 

「しかし、何が兵士を殺戮したかは知りますまい・・・。ワーテルロー、ゲティスバーグ、旅順要塞の戦役に於いても

 人の命を最も多く奪ったのは銃弾だった。 人の目によって照準され、必殺の意志を以て放たれた銃弾ですよ。

 だが、世界大戦の戦場で兵士の生命を断ったものはそうではなかった。

 地図と測量と計算によって不遠慮に打ち出された砲弾、幾重にも渡るその弾幕の・・・ほんの小さな破片が実に何万何千という兵士を打ち倒した。

 『砲兵は戦場の華』と言ったのは皇帝ナポレオンでしたが、彼の人も本当に砲兵が集中運用されたときに何が起こるかなど

 想像だにできなかったに違いない。ククク・・・まさしく百火繚乱、命など枯葉ほどの価値もない。

 生死の境を分けたのは勇気や忍耐などではなく、ただ立っている場所がほんのわずかに違っていたこと、その程度のことだった。

 現代の戦場を支配しているのは強固な人の意志どころか気まぐれな運命の悪戯に過ぎないのですよ」

「何が言いたいのかね、君は」

「私は戦争を支配したいのですよ。自らの手で、意志の力で。その為にこそ貴方をここまでお連れしたのです。

 機械に心をもたせようとする貴方の研究には、吾輩感服いたしましたぞ。人間のように他者を憎み、人間のように互いに争うことのできる機械、
 
 それこそ我々ZZZ団の必要とするものですよ」

「そんなことのために私は、私たちは『水晶頭脳』を作ったわけではないぞ!」

「だが、それは可能でしょう。なぁにほんのすこしばかりこころをいじって、我々の要求通りの物を作っていただければよいのです。

 抗することなく命令に服従し、指揮官の望むがままに今日はA国を憎み、明日はB国を憎む。

 そんな便利な心を持った兵士がいれば、どれほど心強いことか。

 疑いのない純真な憎悪こそ、まっこと人の力の源となるものですよ。憎悪さえあれば、如何に困難な障害さえも軽々と乗り越え、

 どれほど強大な敵をも倒す事が可能だ。それが現実なのです。

 鋼鉄の身体に金剛石のような心を持ち、世に生み出される以前にあらかじめいかなる古強者にも匹敵するほど高度な訓練を受けている兵士、
 
 貴方にならばそれを作り出すことができるでしょうに。どうです、まだ意地を張るつもりですかな?」

「御免被る。マシーネン・メンシェは戦争の道具などではないのだ」

 

やれやれ、と首を振って総統は立ち上がりました。

「向上心のないお方ですな。軍神マルスの傍らで冶神ペパイストスの地位に就くことができるというのに」

「願い下げだな、そんなものは」

「もうしばらく、頭を冷やしなさい。次の機会には良い返事がもらえることを期待しておりますよ」

そして扉を開き、去り際に投げつけるような言葉を残していきました。
 

「マシーネン・メンシェは戦争の道具ですよ。人間が戦争の道具であることと同様にね」

 

地の底が閉じるように、錠が降ろされました。
 

*                   *                         *
 

「今日はもう遅いから、ここで休ませていただきましょう。明日になったら、あなたのこれからを考えないとね」

ゆき子さんにそう言われて、タケルは研究所の別棟、仮眠室のベッドに寝ころんでいます。

とはいえその瞼が閉じられることもなく、明かりの消えた部屋の中に窓から差し込む月の光は

瞳の中にひとつの光景を浮かび上がらせます。

タケルはむくりとベッドに体を起こし、両手をじっと見つめて

「もし――でも・・・もしかしたら、きっと」

と、呟きました。

そっと布団を脱けだし、手早く身支度を整えます。空っぽのオルゴールを大事そうになでて

「ここに置いておけば、きっと大丈夫だね」

そう自分に言い聞かせると静かに扉を開き、夜の闇の中へと踏みだしました。
 

月光に照らされ、木立の間を縫って、小さな影は一心不乱に走っていきます。

その両手はかたく握られ、目には決意を秘めて。

やがて学校の体育館のように大きな研究所の前に出るとしばし足を止め

「ゆき子さん、みなさん、ほんとうにごめんなさい。でも、ぼくはやっぱり」

と、背を向けて

「行かなくっちゃ、いけないんだ!」

勢いよく駆け出したので研究所の大きな扉が開いていることにも気づきませんでした。

遠い空に消えていった“飛行要塞”を追うかの様に瞳は天上を求め、遙かな隔たりを詰める一歩は小さく、それでも休むことなく。

ただまっすぐに前へと――

 

だから、どんな星よりも明るく輝く、赤い光にはすぐに気づいたのです。

 

「君は・・・」

立ち止まったタケルの目の前には“機械人間”の影が大きくそびえ立っていました。

その頭はぐるぐると左右に回り、まるで何かを探しているかのようです。

やがてタケルの姿に気がつくとゆっくりと向き直り、すこし身体をかがめて

「ああ、よい所でお会いしました。ここから出たいのですが、どうすればいいのでしょうか。私には道がわからないのです」

そんなことを、告げるのです。

 

「い、一体どうしたのさ!こんな所にいちゃいけないよ。研究所のみんなが心配してるよ!」

「皆さんお休みになったようで、どなたもいらっしゃいませんでした。私は暖機運転を続けるように言われていたのですが

 どうしてもそのままではいられなかったのです」

「だからって、一人で出歩いたりするものじゃなないよ!早く戻ってあげないと。なんだってこんな所を歩いてるのさ」

「瀬生博士をお救いに行かねばなりません」

「お父さんを、助けるって・・・そんなこと、君がやらなくてもいいじゃないか!誰かが、もっと別の人たちが代わりにやってくれるよ」

「私もお手伝いしたいのです」

「そんなこと、出来るわけないよ!お父さんが捕まってるのは『満州』っていうところで、海の向こうで、ずっと遠くで・・・

 ひとりでなんか、行けるわけがないよ・・・」

タケルはがっくりと地面に膝をついて、シンガポールの洋上でひとりぼっちになってから、はじめて涙をこぼしました。

 

「出来やしないんだ、なんにも!お母さんだって病院に行ったまま帰ってこなかった。

 お父さんだってぼくの目の前で連れて行かれて、本当はどこにいるのか、ぼくは全然知らないんだよ!!

 どこへ行けばいいのかなんて、わからないよ!!

 それにもしかしたら、もう・・・」

両手で地面をかきむしり、爪の間に泥が混じっても、その指は硬く閉じられ、小さな拳は大地にたたきつけられ

「・・・でも、ぼくは行きたい。もう一度お父さんに会いたいんだ・・・さがして、助けてあげたいんだよ!

 なにもわからないけれど、それでもなにかがしたいんだ!!」

泥と涙で汚れた顔をあげると、そこにはタケルをつつみ込むほどに大きな手が伸ばされていました。

「では、ご一緒に参りましょう。どこへ行けば良いのか私にもわかりませんが、タケルさんもわからないのでしたら、二人で探しましょう」

「ふたりで・・・いっしょに?」

おそるおそる、タケルは“機械人間”に手を伸ばしました。招くように、ゆっくりとおおきな手のひらが開かれます

「お乗り下さい。お運びいたします」

 

おっかなびっくり、そろそろと手のひらに乗るとそのままゆっくりと“機械人間”は立ち上がりました。

ぐん、とタケルの身体は持ち上がり、木立の上に顔を出します。

眺望ははるかに開けましたが、夜の風が冷たく吹き寄せます。

「うわあ、寒いや・・・君はこんな風を受けていたのかい」

「寒い?ああ、体感温度が低いのですね。ではここにお入り下さい」

ちょうど襟元にあたる部分につけられた蝶番を基にして、胸の部分が扉のようにぱかりと開きます。

「ここは・・・人が、乗れるの?」

「ええ、そのように造られています」

ぽっかり開いた暗闇に、タケルはもぐり込みました。計器板のラジウムの輝きが、かすかに内部を照らします。

「天板に、室内灯のスイッチが取り付けられています」

スピーカーを通じて“機械人間”の声が内部に聞こえてきました。

「ここかなぁ・・・」

ぱちん、とスイッチを入れるとたちまち座席の周りに操縦桿やペダルや、そのほかいくつもの複雑な機構が照らし出されました。

「すごいや・・・でもぼくこんなの動かせないよ!」

「心配ありません、私は自律行動が可能です。そこにあるのはすべて補助動作機構ですよ。では、参りましょう」

扉が閉じられ、乗っているタケルにも“機械人間”がぐるりと向きを変えたことがわかりました。

目の前で操縦桿やペダルがぱたぱたとひとりでに動きだします。ずしん、と振動が伝わり一歩また一歩と動き始めます。

「外は見えないの?」

「操縦席の左右前方に三角窓はありますが。ああ、これを使いましょう。『テレヴィジョン』という外の景色を映し出す機構です」

ぽん、と音がして座席の正面のちょうど扉の内側になる部分に光が灯りました。砂嵐のようなものが見え、しばらくすると写真のように白黒の

外の光景が映し出されます。

「ここはガラスになってるんだ。まるで本物の窓みたいだね」

画面に手を伸ばしてみて、タケルは言いました。

「赤外線投光器を用いれば夜間であっても暗視能力が付与されます」

「なんだかむずかしいことがいっぱい詰まってるんだね。君の中には」

「そうなのですか?」

「だってぼくには、よくわからないもの」

「私にもあなたのことはよくわかりませんが」

「そうだね。おたがいさまだね」

くすっと小さな笑顔がこぼれました。

「ねぇ、ちょっと見せてもらえる?その・・・『あんしのうりょく』っていうのをさあ」

「はい、おまちください」

“機械人間”は立ち止まり、正面の画像がうっすらと変化します。

暗い中にだんだんとぼやけるように物の姿が像を結び始めました。

「赤外線を投射し、物体からもどってくる反射光を映像化しているのですよ」

「ふぅん、木が生えているのがよくわかるね・・・あれ、誰か人がいるよ!」

 

それは白衣に身を包んだままのゆき子さんでした。

「こんなところで何をしているの、“ガン・ホー”?早く研究所に戻りなさい」

外からの声もスピーカーで増幅されて内部にまで聞こえてきます。

「ねぇ、外にぼくの声を聞かせられるのかな?」

「もちろん、できますとも。『マイクロフォン』が組み込まれていますから」

「あっ、これだね。ありがとう・・・ゆき子さん、ぼくです、タケルです!」

突然内部から思いもよらない声が聞こえてきたのでゆき子さんも驚きました

「タケル君!?あなた・・・操縦席に乗っているのね!出てきなさい、なにしてるの!」

“機械人間”は片膝をついてその場に止まりました。

「お父さんをさがしに行くんです。この“機械人間”といっしょに、二人で!」

「そんなこと出来ないわ。早くおりていらっしゃい、危ないわよ!」

「搭乗者の安全は常に確保されています」

落ち着いて“機械人間”が答えました。

「・・・あなたは黙っていなさい。言ったでしょう、タケル君?私たちがなんとかするって。信じてくれないの?私を、私たちを・・・・」

「そうじゃない、そうじゃないけど・・・」

タケルの声はうつろに響きました。

「なにもできないかもしれないけれど、なにかしたいんだ。なにもわからないけれど、なにかしなきゃいけないって、思うんだよ」

その言葉にゆき子さんはぎゅっと胸元をにぎりしめます

「ひとりじゃなんにもできないかもしれない。でも、ふたりだったらなにかできかるもしれない・・・それに、だからそう」

勢いよく、胸の扉が開きました

「三人だったら、きっとなにかができるよ!ゆき子さんもいっしょに行こうよ!!」

身を乗り出し、小さな手を精一杯に伸ばします。

ゆき子さんは肩をすくめて、ちょっと不思議なことを言いました

「どうして誰でも皆同じことを言うのかしらね。『何か』なんてなんのことだか本当は誰もわからないのに。

 ・・・いいわ。ついていらっしゃい。あなた達を運んであげるから」

「運ぶ?」

「そのままじゃどこかの港に辿り着く前に大騒ぎになっちゃうでしょうに・・・だいたいどうやって海を渡るつもりだったの?

 ガン・ホー、あなたは泳げないのよ」

「限定的な渡河能力は備えています」

 

*                   *                         *
 

 京都大学第三機械工学研究所の正門を出て少し脇道に入ると、毎晩屋台でそば屋が出ています。繁盛しているときは学生のお客で

にぎわうのですが、今夜はひとりだけ。でもその晩二度目の常連客でした。

 

「いやぁ、こっちに来てからついぞうまい蕎麦に出会わなかったんだけど、親父さんの屋台は別格だねぇ・・・何度食べても夏ばかり

 「あきがこない」ってね、わはは」

なにやら落語のような事を言っているのは誰あろう、高橋研究員でした

「やっぱりつゆもダシも濃いめに限らぁ。 もしやお江戸の生まれじゃないの?」

「出は信州ですがね」

屋台のご主人は無愛想に答えます。

「信州かい、あすこも蕎麦の美味いところだねぇ。水が綺麗で山が綺麗なところはどこも蕎麦が美味いねぇ・・・

 でも、京都はいけねぇや。『にしん蕎麦』ってぇのがあるけど要するにありゃおせちの数の子取った後の『身欠きにしん』だろぅ?

 そいつはいけねぇ。取らずにそのまま乗せてくれってのが人情だぜ。だめと言われりゃかけのままのがいっそ清々すらぁね」

「そういうもんですかい」

「うんうん、そういうもんだよ親父さん。上方の食いもんはどうにも口にあわないね。ああでもアレは別だな。何度食べてもいけるのは

 そう、『ぶぶ漬け』だね。どこへ遊びに行っても出してもらえる。ありゃあ美味しいねぇ」

「そいつは結構なことで」

「結構結構、こっちはようやく一段落でね。あしたになったらようやく“マシーネン・メンシェ”の完成披露だよ」

「麺?」

「いや、そうじゃなくてね。あー、なんだろうね・・・人の形をしたでっかい機械だよ。おいら達が作ってたんだよ」

「はぁ、お客さんは人形作りですかい」

「人形って別に雛人形じゃないんだからさ、もっとでかいの、もっと!」

両手をぶんぶん振り回して説明します

 

「大仏さんぐらい大きいんですかい?」

「・・・いや、奈良の大仏よりは小さいかな」

 

「こいつはすごいぜ。なんせ自分で玉子を割っちまうんだから」

「玉子ぐらいあっしも割れますがね」

「あー、そうじゃないんだよ・・・そうだよそうだよ!明日はお披露目なんだからさ、親父さんも招待しちゃうよ!本当に見たら驚くの驚かないのって!」

「・・・成る程、こいつは驚きですなあ」

しわだらけの顔があんぐりと開いて高橋研究員の背後を見ています。

「あぁん?こ、こりゃ一体?!」

振り向けばちょうど大きなトラックの荷台に乗せられた“機械人間”が目の前を通り過ぎるところでした。

「た、大変だぁ・・・当直はなにやってんだ・・・あっ!」

食べかけの蕎麦に目を落としました。

「うっかりしてた!俺じゃないか!!」

勢いよくずずずとすすると脱兎のごとくに駆け出し・・・はしませんでした。力強い腕がぎゅっと押さえて

「お勘定」

とにっこり告げたからです。

 

*                   *                         *

 ようやく暁光のさしてきた舞鶴の港で、“機械人間”の大きな体がクレーンでゆっくりゆっくりつり下げられて行きます。

タケルはひとり甲板の上で、じっとそれを眺めていました。

 

「何も聞かず、何も言わずにこの船に乗りなさい。あなた達を大陸まで運んでくれるから」

「ゆき子さん、ゆき子さんはいっしょに来てくれないの?ぼくらといっしょに・・・」

「私はここに残らなくちゃいけないから。本当はね、こんなことをしちゃいけないのよ。私は・・・

 でもね、これが正しいんじゃないかと思うの。心のどこかではあなた達を京都に留めておくのが正しいはずだって、わかっているのに

 やっぱりあなた達二人が、こころから願うことをやった方が正しいとも思う。

 ねえ、タケル君。『正しい方か間違った方かどちらかを選べ』って言われたら答えは簡単よ。誰だって正しい方を選ぶわ。

 でも世の中には『正しい方と正しい方と、どちらかを選べ』ということが沢山あるのよ。どっちも正しくて、それでもどちらかを選ばなければならない。

 あなたが間違ってると思うことでも、他の誰かは正しいと思っているかも知れない。そんなことがね、いっぱいあるの。だから・・・

 だからね、あなたが本当に正しいと思っていることを信じて、ちゃんと戻っていらっしゃい。お父様を見つけて、無事にね。

 約束よ、帰って来るって」

「・・・うん、帰ってくるよ。ちゃんと、お父さんといっしょに」

「これを、渡しておくわね」

「えっ?こんなもの、いらないよ・・・ぼくは・・・」

「お願いよ、持っていて頂戴。使わないに越したことはない、無い方がよい物だけれど・・・それでもね、持っていてほしいの」

「う、うん、わかったよ・・・」

 

クレーンが回りワイヤーが繰り出されて、“機械人間”は船倉の中に降ろされました。

「速水ゆき子さんは、おいでにならないのですか?」

「ああ、そうだよ。ぼくたちふたりだけなんだ・・・機械人間さん」

「そうですか、私とタケルさんと、ふたりだけなのですか」

「・・・ねぇ、やっぱりさ、『タケルさん』って呼ばれるのは苦手だなぁ。そう呼ぶのは学校の先生かロンドンの下宿のリリィさんだけで

 その時はいつも怒られる時だったから・・・ただ『タケル』でいいよ」

ちょっと照れくさそうにタケルは言いました。

「そうですか、そう呼べばいいのですね・・・タケル?」

「なんだい、機械人間さん?」

「私にも名前があります。『ガン・ホー』といって、瀬生博士がつけてくれたのです」

「あ!ゆき子さんが呼んでいた名前だね。それが、君の名前なの?お父さんがつけたんだ・・・ねぇ、どういう意味なの?ガン・ホーって」

「意味?」

「うん、名前にはみんな意味があるんだって。ぼくの名前も・・・」

空中に指で「建」のように文字を書きます。

「けんせつ的なことが出来るようにって、そういう意味なんだってさ」

「建設的というと橋やビルディングをつくることでしょうか」

「・・・いや、そうじゃないと思うけどね、君の名前にはどんな意味があるの?」

ガン・ホーの赤い目はしばらくの間、すこしだけ明るさを下げました

「いえ・・・『名前の意味』については聞いていません。わかりません」

タケルにはそれがとても残念そうに聞こえました。

「そっか、じゃあ早くお父さんを探しだして、君の名前の意味もちゃんと聞かないとね。よろしくね、ガン・ホー」

「はい、よろしく・・・タケル」

 

ちいさな手が伸ばされて、おおきな指先に触れました。 

こうして二人は出会い、冒険の旅を始めることになったのです。

 

*                   *                         *

少し離れた丘の上から、今まさに出航しようとする船をゆき子さんが見つめていました。

向かい風に白衣の裾もひるがえり、すっと目を細めます。

胸元に手をやり、ブラウスの中から銀色のロケットを取り出しました。

「――何も出来ないけれども、何かがしたい。何もわからないけれど、何かをしなければいけない――か、

 ねえ、どうしてみんな同じことを言うの、どうしてどこかへ行ってしまうの?」

ぱちんとロケットが開かれました。

中には地面の窪地に身を寄せ合っている子供と、小銃を持ったまま怯えて前方を見つめる兵士の写真が入っていました。

「兄さん、もしどこかに心が残っているなら・・・あの子たちを守ってあげて。間違ってるってわかってるのに、それしかできない大人よりも

 兄さんの方がずっと正しかった。カメラでは身は守れなくても、子供に銃を渡すような大人よりは、ずっと正しいわ・・・」

 

涙は風に消えて、ゆき子さんは船に背を向けて歩き出しました。

 

つづく


付録:水晶制御式機械人間「ガン・ホー」

「えー、本日はようこそおいでくださいました。本学第三機械工学研究所所属、西村です。

 今日のこの日を祝えること、まっこと喜ばしいものであります。考えてみれば実に大勢の方がこの研究に協力していただいたわけでして・・・」

 

「で・・・結局見つかったのか?」

「いやあこれが空に消えたか地にもぐったかという有様でしてはははのは」

「笑ってる場合じゃないだろ!」

「あいて!はたかんで下さいよ里見さん、わたしのせいじゃないんですから」

「あのなぁ高橋、当直はお前の当番だったんだから、やっぱりお前の責任だよこれは」

「伊吹さんまでいやだなぁ、、ついうっかりしてただけですって」

「どうせまた蕎麦屋にでもいってたんだろうに」

「そんなことあるわけないじゃないですかいやだなぁはははは」

「おっ、列の端っこにいるのはいつも屋台を引いてる蕎麦屋の親父さんじゃないか、誰が呼んだんだ?」

「誰でしょうかねぇははははは」

 

「・・・残念なことに、本機の最大の特徴たる『水晶頭脳』の発明者、瀬生草蔵博士は現在この場に居合わせませんが・・・それでも尚

 この機械人間開発に於いて最大の功労者であることに変わりはありません。彼の無事を祈りつつ、除幕いたしましょう」

 

「おい、教授は現物がないって知らないのか?幕を降ろしちまうぞ!」

「あ、うっかり伝えるの忘れてました!」

「ど、どうするんだよ」

「写真でも出しときましょうよ、とりあえず」

「いや、それはまずくないか・・・」

「怒られますかね?ま、とりあえず」

 

「シ○・ミードには怒られそうだなぁ・・・」

「見れば見るほど相撲取りのようなロボットですねぇ」

「・・・気のせいか一年ほど前にも見たような」

 

「馬蹄については2.5話を参照せよ」って、なんだいこのメモは??」

 


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