第三話「独立砲戦車隊」(前編)


 中国大陸東北部、俗に「満州」と呼ばれる地域。公主嶺(こうしゅれい)という街がそこにあります。

それほど大きな街ではなく、地図で見つけることもなかなか難しい場所なのですが、とある事で有名な土地となっています。

現在この公主嶺には、日本陸軍の戦車隊が駐屯しているのです――

中国大陸派遣軍、独立混成第一旅団所属、独立戦車第一大隊。その司令部官舎、大隊長執務室の扉が勢いよく叩かれました。

 

「――誰か。」

「山田七四中尉、下命により出頭致しました」

「うむ、入りたまえ」

応じる声に扉を開いて、軍靴の足音も高く入室してきたのは詰襟の軍服をりゅうと着こなした若い戦車兵中尉です。

戸口に背を向けて窓の外を見通していた大隊長の大佐はゆっくりと振り向き、山田中尉に答礼を返しました。

「何用でありましょうか、大隊長殿」

「楽にしたまえ、中尉。大隊の現況はどうなっておるか」

山田中尉は色白で端正な作りの顔に疑念の表情を浮かべました。

「は?万事滞り無く進んでおります。現在のところ第一中隊を鉄道線警備に分派し・・・別段異常なしと思われます。

 他隊はすべて駐屯地内にて待機中、既に御承知のことかと存じますが」

「万事滞り無し、すなわち何事も無し、か・・・まあわざわざそんなことを聞くために呼びつけた訳ではないのだが」

深々と椅子に腰掛けながら出された大隊長の声にはなにか自嘲のようなものが含まれていました。

そんな様をみて山田中尉は切れ長の目に少し咎めるような色を浮かべて、やや気色ばんで答えます。

 

「何事もないのは、現に我々がここに駐屯しているからでありましょう!大陸派遣軍あってこその華北安定でしょうに」

「そうは思わん連中は多いさ。南京政府部内にでさえ、結局は利権目的の派兵だと非難が高まっとる」

「そもそも我々を呼びつけたのはあちらでしょうが。自分の手が届かない背中に『孫の手』なんぞ入れさせて・・・

 ま、非難されるのはあながち誤解とも思えませんがね」

「・・・それを言うな。目的を成せば当然結果も出てくるものだよ、中尉」

大隊長は顔をしかめました。

 

「とは言えだ。近々我が大隊は公主嶺を撤収、内地に帰国することとなろう」

「それは・・・決定事項でありますか」

「いや、まだ内々だけの只の観測だがね。独立混成旅団といえば聞こえは良いが現状は戦車隊は連隊にも充足しない我が大隊のみ、

 それをわざわざ引き抜いて機甲戦力を喪失させることは正直、上策とも思えんのだが・・・三宅坂上では『ツブしの効かない穀潰し』等と、

 戦車不要論まで出始めとるそうだ。確かに我が隊はここではさほど役に立っている訳でもない」

「参謀本部で算盤弾じいてる連中には現場のことなど判かりゃあせんのです。戦車は歩兵の弾避けでもなければ出前便利な砲兵でもない。

 戦車隊が役に立つ時が来れば、幾らでもそのことを証明して御覧に入れます」

山田中尉は小鼻をぴくぴくふくらませながら自信ありげな顔で答えました。

「そのような日が本当に来れば、その時には・・・な。しかし乍ら、今現在はそうではないのだ。無用と言われても、仕方のないこともある」

「その用が無いからと言ってその能まで無くすことはありますまい。『備え有れば憂い無し』でしょうに」

「君に言われるまでもない、そんなことは承知の上だ。さて、本題はここからなのだが・・・」

大隊長は机上で腕を組み、少し考え込むような表情を浮かべました。気のせいかそこにはやや陰りが見える様子でした。

 

*                          *                       *

 

「時に中尉、君はロボットというものを知っているかね?」

「ロボットぉ?ああっ、はいはい。浅草の花やしきに置いてある、十銭入れると動くやつでありますな」

きりりとした口元に笑みがこぼれます。

「私は別に子供の遊具の話をしているのではないぞ」

「は、はっ、失礼いたしました!」 

山田中尉は教室で叱られた子供のように頬を真っ赤にして、背筋を伸ばしました。

「正式には『マシーネン・メンシェ』と呼ばれる代物なのだそうだが、現物はこれだ」

そう言うと大隊長は引き出しから一枚の写真を取りだし、執務机の俎上にのせました。

「先日大連市郊外で撮影されたものだ」

山田中尉は身を屈めてその写真(みなさんにはおわかりでしょうがそれはガン・ホーの写真なのです)を一瞥するなり

「こいつぁ・・・登戸(のぼりと)の仕事ですか!?」

と、素っ頓狂な声を挙げました

「つまらないことを言うな。いくら秘密戦研究所だってそんな代物はつくっとりゃせんよ」

「鯖缶や番傘に爆薬仕込んでるって話ですがね」

 ・・・それこそ妄言の類だ。君は少し言動をわきまえた方が良いぞ」

「はぁ、まぁ・・・自戒致します」

「これは軍部の仕事じゃない。京都大学附属の研究所が建造した物だそうだ」

「京大なんぞに国家予算を回すぐらいなら、新戦車の充足にこそカネをつぎ込んでいただきたいものですがね。

 それにしても学者連中の考えることはさっぱりわかりませんな。こんな代物を大陸に持ち込んで、なにをやらかそうってんです?

 中華民国で万国博が開催されるなんて話は聞いた覚えがないですが」 

「なんでもだな、開発途中で国際連盟所属、“セント・バーナード”機関の一機関員によって奪取、搬送されたということだ。

 現在当該人物は拘束され、因果関係を調査中なのだそうだがなにしろ相手は国際公務員でね、あまり尋問も進展していないようだな」

「あぁ、あの自分の首にぶら下げた酒樽に、自分で酔っぱらってる集団の仕業でありますか。成程、合点がいきました」

「うむ、そういうことだ。海軍の徴用した民間船舶に便乗させて渡洋したとかで、陸戦隊の撤収用で行きは空荷の輸送船に載せたらしいが

 そちらの方でも大変らしいのだが・・・」

「外面ばかり気にかけてる連中には、良い薬ですよ」

我が意を得たり、とばかりに深々とうなずきました。

「あまりそう得意でもいられんぞ。尻拭いをするのは我々なのだ」

「は・・・?そらまた一体・・・どういう・・・まさか?」

「まがりなりにもこのロボットは国家財産なのだ。好き勝手に歩き回らせとく訳にもいかんだろう。国際連盟理事国の義務と責任に於いても、

 かかる行為を見過ごすことは沽券に関わるとの意見もある。さりとて歩兵任せではいかにも分が悪そうな手合いなので、

 戦車隊にお声掛かりということだな」

「しゅ、出動でありますかッ!」

舌を噛みそうな勢いで大隊長に詰め寄ります。

「嬉しそうだな中尉」

「勿論ですとも!そ、その、自分が指揮を執れるのでありましょうか?」

「ああ、君をいつまでも大隊本部付の連絡将校などと閑職に押し込めておくのも気の毒ではあるからなぁ。今回は抜擢だ」

「はッ、では早速に部隊を編制いたします!」

山田中尉は喜色満面、はち切れんばかりに胸を張って言を続けます

「して部隊規模はどの程度でありましょうか?出払ってる連中にも伝令を送れば今からでも駐屯地に呼び戻し、合流が可能ですが」

「まぁ、なんだな。一輌も出しておけば十分だろう」

 

窓の外をそよ風が通り過ぎる程度の時間が流れました。

 

「い、一輌ってそいつぁ・・・いくらなんでも・・・」

「時節柄、あまり派手なことも出来んのだよ中尉。大袈裟に事を構えて日本陸軍に二心有りなどと勘ぐられても迷惑だからな」

「せめて、一個小隊は動かさなければお話になりません」

「口説いぞ中尉。戦車一輌を以て当該“ロボット”を捜索、発見後速やかに適切なる処置を施すべし。これが命令だ」

「無茶な話ですなそれは。軍隊ってのは無茶なところですが、これはあまりにも道理が無さ過ぎる・・・」

考え込む瞳はガン・ホーの写真を睨みつけ、しばし値踏みするかのように目を細め、

内に秘めた思いがきらりと輝いてひとつの問いかけを生み出します。

「・・・それは、どこから出てる命令なんです?旅団本部はいや、北平(ペイピン)の派遣軍司令部はこいつを了承してるんですかね?」

大隊長はそれに即答せず、少し間をおいてゆっくりと言い聞かせるように話し出しました。

「中尉、君は軍人の本質とは何だと思うかね?」

 

*                          *                       *

 

「本質、でありますか?無論それは命に服し任務を遂行することであります。が・・・しかしこのような命令は」

「まあ聞き給え。もう十四、五年も前になるかな?私は在仏日本大使館付武官の補佐として欧州に派遣されていたのだが・・・

 そう、丁度階級も年齢も今の君とさほど違いは無い頃の話だよ」

古い思い出を懐かしむように、遠くを見るように目を投げて話を続けます

「その頃はまだ我が軍にも戦車隊が設立されたばかりでね、私は用法とてままならぬこの新兵器を活用すべく随分と研究したものだ。

 知っているかね、当時フランス陸軍が装備していた世界大戦型のルノー戦車は最高時速が10キロにも充たなかった。『馬の方がまだ早い車』

 などと呼ばれていてね。そんなものでもまだまだ一線級の車輌だったので日夜演習を見学したり、軍事論文を読んだりと

 随分と根を詰めたものだよ。君はまだ子供の時分だったろうが、何をしていた?」

山田中尉はつまならいことを思い出したように答えました。

「餓鬼の頃はよく神社の境内で佐々木小次郎をやっておりました」

「佐々木小次郎?らしくないな。君なら武蔵かと思ったが」

「宮本武蔵なんぞよりも巌流佐々木小次郎の方が男前と相場が決まっております」

「あぁ、成程・・・いや脱線したな。そんな風に毎日を繰り返していたらどうも体を壊したようでね、しばらく静養するように言われて、

 折角の休養だ、無駄にしては勿体が無いと自転車に乗って戦跡を巡ることにした」

「病人のすることじゃありませんなそりゃ」

「はは、まだ若かったからなあ。思い返せば無茶をやったとは思うよ。で、いろいろと見てまわっていたある時ベルダンに行ってみた」

「ベルダンと言えば世界大戦で随分な会戦をやったところですな。いったい、何がありました?」

「墓があった。ただ墓だけがあった」

「墓・・・ですか」

「両軍の死傷者は70万にものぼったと言うが・・・ただ人員だけを闇雲に投入し、擦り潰しの消耗戦を続けた結果がそれだ。

 青々とした空と、その下に広がる草原にな、まるで閲兵を受けるかのように数え切れないほどの真白な十字架が並んでいた。

 辛苦を嘆く者もおらん、怨嗟を訴える者もおらん。誰一人として無言のままにな、ただ墓だけが残されていたよ。

 作戦計画にも図上演習にも存在しない、それは真に我々が全力を尽くした後には必ず残される者達なのだ。

 空しさを感じなかったと言えば嘘になる。自分が、軍人であることに対してね。戦争を戦うことが、やはり軍人の本質なのだろうがな・・・」

「無論であります。死を厭んでいては――」 

「・・・ベルダンはどこにも行かない。ベルダンはいつもそこに在るのだ」

「は?」

 大隊長は少しおかしな事を言って話を止めました。しばし瞑目した後に再び開かれた目と、その口からは更に重く、強く、言葉が続いていきました。

 

「例え典範の要求がどれほど苛烈であっても、ひとたび命を受ければ粛々と是に従い、如何に困難な任務であろうと躊躇うことなくそれを遂行する。

 そうで無くては、我々は「軍人」たり得ん。身に銃剣を帯び、それを振るう力を持つ者が、己の勝手に身を任せてはならんのだ。

 戦車隊とて、それは変わらぬ。その身を戦場に置けば号令一下に縦横無尽に疾駆し、他に類せぬ獅子奮迅の働きを見せよう。

 しかしそれでもだ、戦争を始めることは軍人の任務ではない。真に我々の任はこれ全て勃発した戦争を、終わらせるためにこそ発揮されるのだ。

 そうでなければならん。無思慮に戦線を拡大させ、未曾有の戦果を挙げたとて、それに伴って国を傾けさせるなど愚の骨頂だ。

 それを、忘れるなよ。如何に単騎独行とはいえ貴官はその指揮下にある要員と共に常に我が軍の一部であり

 また同時に全体としての責を担うのだ。独断専行は厳にこれを慎み、可能な限り穏便に事を解決したまえ」

「・・・派手な事はするなと、そう仰しゃいましたな?」

「まあ、そういうことだな」

「勿論、尽力致しますよ。我々は暴威を振るうために渡洋派遣されているわけではない。すべては安定のため、

 国際連盟の要請に基づく中華民国外辺境域安定のためにこそ、ここに来たのですから。

 それに大体、自分はそれほど信心深い訳でもありません。自分の所為で坊主が丸儲けするなんぞ性に合いませんよ」

「まあ、頼むぞ中尉。人員及び車輌の選抜は一任する。調律の良いのを自由に持って行け」

それを聞いて山田中尉の眉が片方だけ、ぴくりと跳ね上がりました。

「自由に?」

「構わんよ、その程度の裁量は与えるさ。なんなら本部小隊の車輌を出してやっても良いが」

いままでにない種類の輝きが瞳に宿り――

「いえ、それよりも」

執務机にばん!と両手をつき、大隊長の眼前にたたみ込むように身を乗り出しながら――

「自分にひとつ、提案があるのですが」

話し始めた中尉の軍帽の、その目庇(まびさし)からはらりとひと筋、前髪が落ちました。

 

*                          *                       *

 

「・・・うむ、まぁ良いだろう、許可する。好きに使え」

山田中尉の言にしばし耳を傾けた大隊長は、わずかにためらいを見せながらもそれを了承した様子でした。

「それでは準備完了次第、暫時出発致します」

「御苦労、退がって良し」

「はッ!」

一分の隙も無い、見事な敬礼を示した山田中尉はきびすを返して背を向けました。

と、そこへ大隊長が声をかけます

「ああ、そうだ中尉」

「なにか?」

「その、なんだな。詮索するようで悪いが・・・やはり何故に佐々木小次郎なのだ?結局は斬られ役だろうに。

 それこそ、君の性分には合わんと思うのだが」

「いや、そんなことはありません」

振り返って答えます。

 

「相手が『小次郎敗れたり―』なんぞとお決まりの口上言ってるところに撃ちかかればですな、業物(わざもの)はこちらが上ですので楽に勝てます。

 先手必勝、この手で向う三丁の武蔵はあらかた叩きのめしたものですよ」

 

山田中尉は爽やかな笑顔を残して部屋を出ていきましたが大隊長は唖然としたまま残されました。

 

*                          *                       *

 

「さてと・・・」

廊下に出た山田中尉は窮屈そうな詰襟のホックをぱちぱちと外しました。こころなしか一本張りつめていた気合いをふっと抜いたように、

そしてごきごきと首を鳴らしてんっ、と背を伸ばして

「やれやれ、どうも上官といると疲れてかなわんなあ」

真っ直ぐに被っていた軍帽を無造作に脱ぐとぱたぱたと団扇代わりに使いながらずかずかと歩き出します。

丁度そこへ、つなぎの作業衣も中身の方も少しくたびれたようなやや年かさの兵隊がひとり、のんべんだらりとした調子で通りかかりました。

「お、久喜(くき)じゃねえか!いいところに来たなおい、久喜曹長!!」

突然大声で怒鳴られた久喜曹長は稲妻に打たれたように弾かれ、立ち止まりました。

「はぁッ!も、申し訳ありませんッ!!」

「なんだよ、別に譴責しよってんじゃねぇぞ」

大股でずいずいと寄ってくる山田中尉に怯えた顔を向けて

「中尉殿が大隊長殿の所から出てくる時はえてして虫の居所が悪くて自分は馬鹿野郎と殴られます」

「馬っ鹿野郎、毎度毎度んなことがあってたまるかっ!」

拳骨を作ってぽかりと久喜曹長の頭をはたきました。

「痛ッ、やっぱり御機嫌斜めじゃありませんか」

「なに言ってやがる、こちとら今日はすこぶる上天気だぞおい。出動が決まったんで人数を集めろ」

「出動ってえと、どこぞで馬賊討伐の助勢でもやるんで?」

「はン!そんなケチ臭せぇもんかよ。もっとデっカい獲物さ、ロボット狩りだぜ」

「ロボット?あー、あの花やしきに置いてあるような、十銭放り込んで動かすやつでありますか?」

「こ、子供の玩具の話をしてるんじゃねぇや!」

退屈そうな久喜曹長の返事に、山田中尉は真っ赤になって怒鳴り返しました。

「身の丈4メートルはあろうかってぇ、鋼鉄製の怪物だ。歩兵も騎兵も手出し勘弁だってんで、オレ達戦車隊に出番が廻ってきたのさ」

気が急くのでしょうかそのままの勢いで歩き続けます。そのあとを小走りに久喜曹長が続きました。

「はぁ、そりゃあまた、大仕事のようですなあ」

「応よ!認可は得たんで腕利きを連れてくぞ。伊勢崎(いせざき)と加須(かぞ)、それから羽生(はにゅう)を呼んでこい」

「それなら一通り揃いますが・・・他には?」

「いらん。出動するのは一輌だけだ」

「い?一輌ってそいつはちと厳しいのでは?」

つき従う曹長に目を向けることなく、頭をぼりぼり掻きながらぶつぶつ文句を呟きます。

「仕方ねぇだろ、そういう命令だ。大隊長は適当に誤魔化してたがありゃ上から来たような話じゃあねぇな、多分。

 ・・・ロクに役立つこともないまま帰国したって錦のひとつも飾れる訳じゃ無し、そもそも出世なんぞ永久にしそうにないタマが

 自分の範疇で使える手駒動かして、適当に得点稼ごうって腹だぜ。大隊長の家系を辿ってみろよ、どこかで狐狸の血が混じってるに違いねぇ」

「はぁ?」

「いや、気にせんでいい。それでな、材料廠(ざいりょうしょう)に第五中隊用の新型器材が置いてあるだろ。アレを使うことにした」

「名前だけの五中隊の?あー“ホイ“ですか?あいつは・・・少々不味いかと・・・」

「別に不味かぁねぇだろう。ウチの隊じゃ火力も装甲も“ホイ”が一番だ。いま使わねえでいつ使うんだよ」

「そりゃま、そうでありますが・・・その、いろいろと・・・」

だんだんと久喜曹長の声はか細く消えていきます。

山田中尉はぴたりと足をとめて静かに、それでも鋼のように重く答えました

「久喜よぅ、四の五の抜かしとるとこの『〆張鶴(しめはりつる)』がもう少し錆を喰わせろと騒ぎ出すぜ。オレが営倉入りにならんように、

 ひとっ走りしてきてくれんか、あぁん?」

本気で軍刀を抜き放ちそうなその物腰に、白くなったり青くなったり顔色をぐるぐる変えながら久喜曹長は駆け出しました。

「は、はぁっ!合点でさぁ、姉御!」

その声にむっ、と振り向き彼女――山田七四(やまだ ななよ)中尉――は

「馬っ鹿野郎!だぁれが姉御だッ!!」

と、大声で怒鳴りつけました。

「ったく、しょうがねぇなぁ・・・」

そう言うときりりと結い上げた頭に手を伸ばしてすぱっと髪留めを外したので、たくしこんでいた長い黒髪が鳥の羽のようにふうわりと広がりました。

 

*                          *                       *

 

 「材料廠」とはすなわち部隊内で戦車の整備や修理を手がけている部署のことです。平穏無事な日常にあってもここの詰所の内側だけは、

打ちつけられるハンマーの音や溶接機の炎、起重機の鎖などがせわしなくうごめき続けてまるでちょっとした工場が操業されているかのようです。

何輌も戦車が並べられているそんなところへ、手持ち無沙汰の久喜曹長がひょろっと顔をのぞかせるものですから、

作業に没頭している兵員たちはその姿に気づきこそすれ誰ひとり声もかけません。

 

「おーい羽生、羽生伍長はおるか!」

大声を出しても、少しも届かないのです。

仕方なく中へと踏み入るのですが床の上には様々な工具や部品が散らばっていて歩くだけでも一苦労。

たちまち巻き取られていた牽引索(ワイヤーロープ)に足を取られて傍らに屈み込んでいた兵隊に倒れかかりました。

「バカモン、人の通り道に物をおいとくヤツがあるか!」

叱りつけられた方はくわっと目をひんむいて、ゆうに久喜曹長を頭ふたつは越えるひげ面でこわもての大男が立ち上がりました。

「物の置き場を通り道にするなこの馬鹿者が!」

「おひゃっ!こ、これは廠長殿!!シツレイいたしましたっ・・・」

両腕にかかえられた大きなかなてこを目にして久喜曹長はささっ!と後ずさりします。

「誰かと思いやぁ大隊本部の御用聞きじゃねえか。邪魔だ邪魔だ、用なんぞ無ぇからとっとと帰れ」

「いや、そちらに無くともこっちにはあるんで・・・隊舎で聞いてきたんですが羽生の坊主が今日はこっちに出張ってるとかで」

「あぁん?羽生伍長ならほれこの下にいるぞ」

すぐそこで整備されている一輌の軽戦車を指さします。

「ああ、こいつはどうも。おーい、羽生よぅ」

車体の下を覗き込んでひと声かけると機械油で真っ黒になった小柄な兵隊がひとり這い出してきました。

顔の汚れもそのままに、丸い目をぱちくりさせて答えます。

「はッ、なんでありましょうか!」

「呼集だよ。お前、出動だぜ」

「は、はいっ!!・・・ってホントですか」

「ウソもホントもねぇやな。早う支度せい」

「おいコラちょっと待て久喜」

廠長の岩板のようにごつい掌が久喜曹長をがっちり抑えます。

「こいつはこれで結構こっちの用にも立ってるんだがな。どこの勝手か知らんがそうそう引き抜きされても迷惑な話だぜ」

「勘弁して下さいよ廠長殿。山田中尉のお達しなんで・・・」

 

「・・・山田の姉御かよ」

「山田中尉殿でありますか!」

二人の表情は好対照でした。ひげ面に困った顔を浮かべる廠長と、真っ白な歯をみせる笑顔の羽生伍長と。

「・・・仕方ねえなぁそりゃ。羽生、行って来な。ま、生きて帰れや・・・」

心なしか陰鬱な面持ちの廠長に対して羽生伍長は手拭いでごしごし顔を拭って

「立派な人ですよね、あの方は。自分これまであんないい人に出会ったことないですよ」

と嬉しそうに話します。

「お前は一体、今迄に人生経験が何も無いのか身の周りにとんだ外道しかいなかったのかどっちなんだ?」

久喜曹長が実に不思議そうに訊ねても、まだあどけなさの残る少年戦車兵はきょとんとしてまばたきするばかりなのです

 

「そうだ、加須がどこに行ったか知ってるか?街の方へ出ちまったそうだけどよ」

「加須軍曹殿ならさっき食堂に入るのを見かけましたよ。なんだかずいぶん楽しそうでしたね」

「あー、じゃぁ奴さんは俺が拾ってくるとするか。お前は伊勢崎を見つけてきてくれ」

「伊勢崎さんですか?今日はいい天気だから、南向かいのポプラあたりでしょうかね・・・」

「おぅ、ひとつ頼むぜ」

「はいっ!失礼します」

たたっと駆け出していく羽生伍長を見送ると久喜曹長は決まり悪そうなまま

「それでですな、もうひとつお達しがありまして・・・材料廠から一輌お借りしてこいと言われまして・・・」

と、しどろもどろに切り出しました。

「予備車なんぞ使わなくとも大隊の戦車は大抵どれも暇もて余してるだろが」

「それが・・・“ホイ”を持ってくとかで」

「“ホイ”かぁ?そりゃま第五中隊なんぞいくら待ってもまともに編制されそうもないし構わねぇけどよ、本当に使う気なのか、あれ?」

二人は詰所の一番奥で覆いをかけられたままでいる一輌の戦車をじっと見つめました。

 

*                          *                       *

 

「ああ、やっぱりここでしたか」

兵舎の前で南向きに並んだポプラの並木に向かって、羽生伍長は話しかけました。

「伊勢崎さん、伊勢崎さん」

見上げればその太い幹に長身を預けて、ひとりの兵隊が樹上で昼寝をしているのです。

「起きて下さいよ、出動ですよ」

いくら呼びかけても、なんの返事もありません。

「あの・・・もしっ!起きて下さいっ!!」

大声を出してもすやすやと顔色も変えずにうたた寝を続けるばかり。

羽生伍長はぴょんぴょん跳び上がって枝に手を伸ばそうとするのですが小柄な体躯の悲しさ、少しも届きません。

「え〜、てっ、敵襲!!」

嘘をついても駄目なようです。

「戦線が突破されました!現在大規模な敵機甲部隊が我が軍の後背を突こうと進撃中であります!!

 直ちに側面より攻撃を加え、企図を粉砕すべく全員乗車、全速前進、全軍突撃っ!!」

折角身振り手振りまで交えての熱演なのに、少しも瞼は開きません。

「まいったなぁ、ちっとも起きやしないよ」

困り顔のなかに、ひとつの恐ろしい考えが浮かび上がりました。

「まさか、まさか死んでしまったのでは・・・・!!」

 

「いやですね、勝手に人を殺さないで下さいよ」

樹上の兵隊は何事もなかったかのようにふいと体を起こすと、

器用にその身を折り曲げて、鉄棒の要領でくるりと地面に降りてきました。

「やあ、これは羽生くんではないですか。どうかしましたか?」

「・・・いえ、その・・・出動であります」

なんとなくバツが悪そうに告げました。

「山田中尉殿がお呼びです、伊勢崎さん」

それを聞いてちょっと首を傾げ、

「山田さんですか、やれやれ困りましたねえ。いま見た夢が正夢にならなければいいのですが」

少しも困りそうにない顔で答えます。

「いま見た夢って、どんな夢です?」

「ひどい夢を見ました。クリーク(用水路)にカエルを釣りに行ってなぜだかワニに食べられそうになる夢です」

「でも、伊勢崎さんずいぶんと気持ちよさそうでしたよ」

「ああ、僕は考えていることがあんまり顔に出ないんですよ」

そう言うとのっぺりした顔をつるりとなでて、伊勢崎軍曹は眠気も覚めやらぬままに微笑むのです。

 

*                          *                       *

 

「ふ〜、ふ〜ふ〜ん、ふっふ〜」

人気のない食堂の片隅から、陽気な鼻歌が聞こえてきます。

そこに置いてあるのは質素ながらもよく手入れされた蓄音機。

その前で丸眼鏡の兵隊がひとり、新品のレコードジャケットを手にしてリズムをとっているのです。

表を眺め裏を眺め、その背にじっと目を注いで題目を眺め、

「“ムーンライト・セレナーデ”に、“セント・ルイス・ブルース・マーチ”に、ふふふ、ふふ〜ん」

指先で英語の文字を追いながら、なにやら楽しそうに鼻歌を続けます。

くるりと回してもう一度表を見れば、それはポマードで髪を固めたアメリカ人が、トロンボーンを手にして洒脱な笑みをうかべる絵柄でした。

なんとなくその人物にも似た笑顔を無理してにぃっと浮かべると、慎重な手つきで薄紙からレコードをそっと取り出します。

「うふふふふ、グレン・ミラー・オーケストラの最新の一枚が・・・」

誰も聞いていないのにまるで誰かに説明するような口上を述べながら、回転台に乗せました。

「・・・今、ここに!」

「おぅっ、ここにいたのか加須軍曹」

針を降ろそうとするちょうどその瞬間、食堂の中に久喜曹長がどら声を上げながら入って来ました。

「・・・こ、これは久喜曹長殿、な、なんでありますか?」

びっくりしながら振り返り、ずれ落ちそうになる丸眼鏡を慌てて抑えてスマートに敬礼するという一連の動作を、加須軍曹はそつなくこなしました。

「退屈そうでよかったよかった。出動だぜ」

「た、退屈そうもなにも・・・自分は本日、非番でありますから」

「あー、たったいまからそれ取り消しな」

「な・・・!」

加須軍曹は絶句すると憤懣やる方無い勢いで食ってかかります

「なに言ってんです、久喜曹長!これ、これ見て下さいよ!!」

手にしたレコードジャケットを見せつけます。

「あぁ?なんだこりゃアメリカ音楽じゃねぇか。おい、加須よぅ。あんまり人の趣味には口出ししねぇけど、将校連中にはいい顔しないのもいるぞ」

「『アメリカ音楽』ではありません、本物の『音楽』です!」

「音楽に本も絵本もあるかよ」

「あります!」

加須軍曹はきっぱり答えますが、久喜曹長はてんで聞きません。

「蓄音機なんぞ何時でも聞けらね。装備一式、揃えて中庭に雁首持って来な」

「何時でも聴けるですって!自分がこれを手に入れるまでどれほど苦労したかご存じ無いでしょう!!」

「お、おぅ・・・知らねえなぁ」

必死の形相で詰め寄る加須軍曹に、さすがの久喜曹長も気圧されてかふいと首をすくめます。

「遠く地球の反対側、アメリカのスタジオで録音されたこの一枚が、この自分の為に、ただその為にカリフォルニアの港をいでて太平洋の波を越え、

 はるばる横浜までやって来て、そこの商会の手によって大陸の自分のもとに送られるはずが何の因果か上海に誤配され、

 廻り廻ってようやく天津にまで届いて、わざわざツテと鉄道を頼ってこの公主嶺にまで運ばれて、やっと巡って来た非番の今日についに手に入れ、

 日頃は誰も見向きもせぬものを、こつこつ整備してきたこの蓄音機のその針を、まっさらな竹針を新しく切って降ろして――

 ちょうど今まさにそのリズムに身を傾けようと・・・したところなのに・・・くぅっ」

「加須よぅ、お前も随分と苦労してるんだなあ」

久喜曹長は大袈裟に涙ぐむ加須軍曹の肩に手をぽんと置き、うんうんとうなずきます。

「わかっていただけましたか」

「ようっく、わかった」

「それでは自分、魂だけ海の彼方に飛ばしますので一切話かけんでください」

にこにこしながら蓄音機の方に戻ろうとする加須軍曹をぐっと留めて

「ま、それならも少し苦労してもバチあたらんだろ」

羽交い締めにしてぐいぐい引きずっていきます。

「勘弁して下さい、曹長殿!曹長殿ーッ!!」

「五月蠅えなあ、文句なら山田中尉に言ってくれよ」

それを聞いてぴたりと抵抗が止みます。

「山田中尉の指揮ですか」

「おう、そうだぜ。言わなかったか」

「・・・いけません、そりゃあいけませんよ久喜曹長。

 自分は以前あの人が酔って虎造をがなるのを目にしましたがあれでは虎造ではなくてただのトラだ」

「奇遇だなぁ、その時俺も同じ所にいたもんで、そっくり同じ事を言っちまってよ」

「そ、それはまた命知らずなことを・・・一体全体どうなりました」

久喜曹長はニヤリと笑って答えました。

「うむ、それがな」

「いや、やはり聞きたくないッ!自分は本日只今より脱走兵になります!!」

大慌てで逃げ出そうとする加須軍曹をしっかと掴み、そのままずるずる引き吊りながら

「俺の額のちょうど真ん中に一升瓶を振り下ろしてよ」

「勘弁して下さい、曹長殿!曹長殿ーッ!!」

二人の姿は廊下に消え、悲鳴だけがだんだん小さくなりました。

 

*                          *                       *

 

半刻ほど後、何輌かの戦車がぽつぽつ停車したままの中庭に三人の戦車兵が完全装備で集合しました。

期待と興奮を隠しきれない羽生伍長。

寝てるのだか起きているのだかよくわからない伊勢崎軍曹。

真っ青で呆然としたままの加須軍曹。

久喜曹長は少し離れて、そんな三人をのんべんだらりと眺めています。

 

「ようっし、全員集合したな」

防塵眼鏡を首飾りの様にぶら下げ、長い黒髪を後ろに束ねた山田中尉は皆を見回し

「突然の呼集ではあるが、出動だ。各員日頃の訓練の成果を存分に発揮し人車一体、一丸となって・・・む?どうした加須、具合でも悪いか」

顔色の悪い加須軍曹に目を留めます。

「い、いえ、別段そのようなことは・・・」

弁解する軍曹にずいと身を寄せ、にらむようにすると

「熱はなさそうだが」

額をぴたりとくっつけます。

「調子の悪そうなところをすまんな、加須よ。お前ぐらい色々と気の回る奴がいないと、どうにも不安でな」

「は、はぁ・・・」

「隊舎の備品が壊れる度に、いつも修繕してたろう?ラジオが壊れた時も、真冬にストーブが焚けなくなった時も、蓄音機が回らなくなった時も

 当番兵に任せておけばよいものを、皆が寝静まった頃に黙ってよ。ガサツ者揃いの戦車隊には実に貴重な人材だ」

「あ、あれはみんな加須軍曹殿が直していらしたのですか!」

羽生伍長が驚きます。

「ははっ、ものが壊れたままではどうにも落ち着かない質でして・・・中尉殿、よくご存じでしたね。見られていたとは、気づきませんでした」

ほんの少し照れ笑いを浮かべた加須軍曹でしたが

「ああ、大抵オレがぶち壊してたんで心配でな」

と聞いてやはり呆然とするのです。

 

「さて、我々の任務であるが」

改めて状況を説明し始めます。

「大隊より分派、独立行動し目下当地を徘徊しつつある“ロボット”を発見、これを捕獲することにある。

 正確にはなにか違う名前だったが、そんなこたぁ別にどうでもいい」

「それはきっと“Maschinen Mensch”や“Zonder Schwerer Panzer Grenadier”と呼ばれているものでしょう」

寝ぼけ眼に流暢な発音で伊勢崎軍曹が言いました。

「世界大戦の折りに当時のドイツ帝国が“Strum Troppen”の浸透戦術に使おうとしたそうですが実用化できたとはついぞ知りませんでした」

 

「なんだ詳しいな伊勢崎」

「実家が電気屋だったものでして」

 

「なるほどぉ、さすがですね!」

「あんまり関係ないと思うけどな」

その横では感心したような羽生伍長と呆れたような加須軍曹が顔を見合わせます。

 

「まぁともかくだ。発見して捕まえるだけの至極簡単な任務である。天井裏でネズミを探すようなもんだが今回、

 実地試験を兼ねて“ホイ”車を使うことにした」

にんまり笑うと並んだ三人の後ろに目をやり、

「そら、来たぞ。見てみろよ」

と、促します。

ディーゼルエンジンの排気音に一同が振り向き、傍らの久喜曹長もひょいとそちらを見ると、丁度中庭に一輌の戦車が入ってくるところでした。

 

 周囲にある他の軽戦車や中戦車とは違い、古めかしい尖頭鋲(リベット)などは打たれていません。

一枚板と直線を多用した装甲板はそれぞれが綺麗な溶接線でがっちりと組み合わされ、四角張った大きな砲塔からは太い砲身がにゅっと突き出し

居並ぶ他車を圧倒するかのようです。機関室も一回り大型化され、消音器を介してさえ中のエンジンが力強く回転しているのがはっきりと判ります。

これら総ての装備を片側六個の転輪と横置きバネ式の懸架装置がしっかとささえ、

三色まだらの迷彩と太い黄帯で塗装されたこの戦車こそ日本陸軍最新鋭、秘匿名称“ホイ”こと二式砲戦車なのです。

 

「すごい、すごいや・・・」

「!」

「ああ!二式砲ですか」

 

「おお、おおおおおおおぅっ!」

いざ目の前に来ると一同胸を打たれ感銘を受けたのですが、大声をあげてはしゃぎだしたのは誰あろう山田中尉でした。

がさがさと前進するカニのように近づいていくとまだ熱を発する車体に頬を寄せて

「見ろ見ろ!この主砲にこの装甲、このあふれんばかりの益荒男振り、質実剛健さがたまらん・・・」

それはまるで想い人の胸に身をあずける乙女のような姿なのです。

 

「ありゃ、病気だな」

ぼそりと久喜曹長が呟きました。

 

「・・・では、お預けいたします。」

材料廠からここまで操縦してきた廠長が、大きな体を小さくしながら山田中尉に二式砲戦車を引き渡します。

「こんな僻地の我が隊に、ようやく回してもらえた新型車輌ですからその、壊わさんでくださいね」

「あったりめぇだ、オレを誰だと思ってる!」

ばっしばっしと力いっぱい廠長の肩をひっぱたいて

「こいつの受領試験の時だってオレが面倒みてやったんじゃねえか、安心して任せろよ!わはははははっ・・・」

と、大喜びの大笑いです。

「あー、それでですね・・・」

と、何か言いかけた廠長の言葉も聞かずにくるりと振り返るととふんふん鼻息も荒いままに

「全員、乗車!!」

と号令をかけました。向いた拍子に肘が入ったので、廠長はみぞおちを押さえてギュゥとひっくりかえります。

 

「しかしこれでは人数が足りませんよ中尉殿」

伊勢崎軍曹が半目も開けずに指を一本あげ、文字通り指摘します。

「車長は言うまでもなく中尉殿、操縦は千葉学校出の俊英、羽生くん。無線と機銃、保守一般は加須さんにお願いするとして」

「おう、そのつもりだぜ」

「自分が砲手を担当するのでありましょう」

「お前、常日頃は五里霧中の無我夢中だけど目が覚めてる時には一発百中ぐらいの腕前だからな」

「二式砲戦車の搭載する九九式七糎(センチ)半戦車砲には自分の他にも装填手がひとり必要です」

「おぉ!すっかり忘れてたぜ。“チハ”や“ハ号”とは格が違うんだったな、こいつの砲はよ」

「いや・・・、忘れんでくださいよそういう大事なことは」

加須軍曹も冷や汗混じりに言い出します。

「ま、装填なんぞ誰でも出来らね。おい久喜よ、お前いっしょに来い」

 

「は?」

我関せずと見物していた久喜曹長はまさしく晴天の霹靂と言った調子で目をぱちくりさせます。

 

山田中尉はつかつかと大股で近づきばっしばっしと久喜曹長を頭から叩きました。

「お前、装填手な。常日頃オレサマの一の部下だとか言ってるじゃねえか、丁度いーや」

「いや、いやいや・・・中尉殿、仰る通り自分は中尉殿の一の部下を自認しております」

「だろ?」

「ですからこう、『一の部下』としてはですね、いざ上官の出撃とあらば毎朝三杯は食ってる麦飯を二杯に減らして、一杯を神棚に備えて

 以て武運長久を祈りしっかと留守を守るがスジかと存じますが」

「存じねえなあ、そんな話は」

「いや、いやいや・・・中尉殿、実はですね本日自分には裏の畑でイモを採種するという特殊任務が」

「そいつのどこが特殊任務だ。うだうだ言っとらんでさっさと乗り込め」

「そうだそうだ、曹長殿が同行してくれれば自分も心強いですよ」

加須軍曹のまなじりは丸眼鏡の奥でなんだか楽しそうです。

「・・・久喜曹長殿は以前銀座の易者から『相撲取りに決して負けない方法』を伝授されたほどの腕自慢と聞きましたが」

「え!本当でありますかそれは!!」

伊勢崎軍曹の言に羽生伍長が目を丸くして驚きました。

「曹長殿にそんな秘技があったとは知りませんでした!」

 

「なんだよ久喜、ホントかよそれは」

「ええっ、いや、まぁ・・・そうですよ」

「それじゃ決まりだ。それほどの豪傑が自分の部下にいたとは知らなかったなぁ。そら、乗り込めよ。さもねえと――」

山田中尉の左手がうねうねと動き、愛用の「〆張鶴」の鞘へと伸びていくのを目にして

「は、はひっ!さ、早速にッ!!」

大慌てになって駆け出しました。

 

*                          *                       *

そんなこんなでようやく全員が乗り込み、それぞれの配置につきます。

「撃発機はずいぶん勝手が違うようですが、照準眼鏡はそれほど変りはありません。充分扱えます」

伊勢崎軍曹もこのときばかりはぱっちり目を開いて戦車砲を点検します。

 

「無線手用の出入り扉は無くなってるんだよなあ」

「砲塔が拡大してますからね。もとの“チヘ”車体にはちゃんとあったそうですけど」

車体前部で左右にならんだ加須軍曹と羽生伍長も互いに声を掛け合います。

「万が一、弾が当たった時に困るよ」

「当たらないように動かすから大丈夫ですよ」

 

「まぁ、なんとかなるとは思うがな」

ひとり久喜曹長だけは戦闘室床下の砲弾庫を見つめて呻きました。

 

「ようっし!エンジン回せい!!」

展望塔から半身を乗り出したまま、山田中尉が指示を飛ばします。

羽生伍長が操縦席でセルモーターを始動させると二、三咳き込んでエンジンが動き出します。

「前進ヨーイっ、前へ!独立砲戦車隊、出撃!!」

高く掲げた左腕をぶんと前に降り出すと、二式砲はゆっくりと前進を始めました。

「隊もなにも僚車なんぞひとつもありゃしないじゃないですか」

「馬ッ鹿野郎、こういうことはな、形が大事なんだよカタチが!」

藪から棒に軍靴が飛び、久喜曹長の頭をぽかりと蹴りつけました。

 

*                          *                       *

 

 駐屯地の正門脇で、大隊長がじっと立っています。

速力を増しつつ通り過ぎる二式砲戦車の車上から山田中尉が敬礼し、大隊長もそれに答礼を返しました。

砂塵を巻き上げ、風の向こうに遠ざかっていく姿をずっと見つめて、しばらくそのままでいました。

 

つづく

 


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