第三話「独立砲戦車隊」(中編その2)

 


「――憶えてやがれっ!」

 身を乗り出した山田七四中尉はぎしぎし歯ぎしりしながら、遠ざかる街並みに向かって力強く握りしめた拳骨をぶんぶん振り回しました。

賑やかな喧騒もようやくに去り、いささかの傷といくらかの汚れを車体にまとい、二式砲戦車は速度を上げて前進します。

 

「・・・忘れましょうよ」

 久喜曹長は頭ひとつ出して呟きました。戦闘室内の硝煙が出入り扉と換気扇を通じて排出されても、顔から疲れは消えません。

「ここから先、どうします?街中でうわさ話でも聞き込めればよかったんですが」

「なんにも聞けなかったな」

「・・・誰のせいですか」

「誰のせいだろうなあ」

 

しばらく二人は無言のままで、頬を風が撫でていきます。

 

「申し訳ありませんっ!」

「なんで謝るんだよっ!!」

 

「実際のところどうするんですか?まだ街道沿いを進みますかね?」

通信手席から加須軍曹が呼びかけました。

「行き当たりばたりで見つかるもんでもないとは思いますが」

「前進あるのみだ。とにかく、前に進め!・・・そのうちなんとか、なるだろうさ」

 市街地を出れば広大な平原、なんの邪魔もなく、なんの目標もなく、ただただ伸びる街道には

およそなにかの手がかりなど、ひとつも見えはしないのです。

 

「もしかしたら・・・」

操縦桿を握りしめ、羽生伍長はぼそりと声をもらしました

「ん、どうかしたかい?伍長どの」

「いえ、なんでもありません」

となりの加須軍曹にはそのように答えたのですが、羽生伍長のこころのなかには、

(もしかしたら、中尉殿はぜんぜんなにも考えていないのではないだろうか)

と、あらぬ不安が通り過ぎていたのです。

(いやいや、戦車隊は『中隊一団、小隊一丸、単車一体』が信条だ。自分一人がそんな疑いを抱いてはいけない。

 きっとなにか、お考えがあってのことだ)

真っ直ぐ前を見つめながら、こころのなかではかぶりを振って、羽生伍長は一心、操縦だけに専念します。

 

 しかしそこは『単車一体』が信条の戦車隊。加須軍曹もこころのなかでは

(どうせ多分、なんにも考えてないんだろうなあ)

と、思っていました。

 

「・・・むにゃむにゃ、なにも・・・」

伊勢崎軍曹でさえ寝言で出かけたその言葉を、久喜曹長が押し止めるのは、ひとえに学び習った経験の故でしょうか。

さすがに声に出せば殴られそうだと思ったか、ちらと横目で見るだけです。

「どうかしたか久喜」

「い、いえっ!その・・・『なにも考えていない』であります!」

巧みの技をほの見せて、なんとか切り抜けようと必死の努力。下士官たるもの将校に虚偽は振る舞えないのです。

「お前もちったぁ、アタマ使えよ。長生きできねぇぞ」

防護用の戦車帽を被っていれば、拳固に小突かれたぐらいではどうということはありません。

相手が普通の将校ならば。そうでなければ寿命と身長がすこし縮む事になります。

 

 一心同体を具現化したような戦車兵達を従え、山田中尉は獲物を狙う猛禽の様な眼差しで、虎のように歯を剥いた笑みを浮かべました。

「全速、前進!とっとと見つけねえと日が暮れちまうぞ!!」

自信満々、命を下します。行く手になにが待ち受けようが、どれほどの困難があろうが、歯牙にもかけぬ心情で。

前ばかり見ていたおかげで、背後から自分たちを見つめている目にも全然気がつきません。

 

 市街の出口、城門の上にその「目」はありました。

およそ乾燥した土地で走り続ける戦車ほど監視しやすい目標もなく、胸元にぶらさげた大型の双眼鏡を使う必要もなく、

謎の青年は市壁の縁に腰掛け立て膝に頬杖をついて、走り去る二式砲戦車と巻き上がる土煙をのんびりながめています。

「尾行は二台間を挟んでってのがセオリーなんだが、こんなところで使える手じゃないよなぁ」

 ひとり苦笑いを浮かべると立ち上がって砂埃を払い落とし、ゆっくり階段を下りていきます。

その先にはスマートな流線型の自動車が一台、主人を待つ猟犬のように止められていました。

空色のドアを開けて革張りの運転席に腰をおろし、背もたれに体を預けて考え込みます。

「・・・さて、どの手で行くかね」

 

(さて、どの手で行くかね)

 

独り言に合わせて、ルームミラーの中の唇が同じように動きました。

 

*                         *                            *

 

「本当に日が暮れちまいましたね」

「夜営だっ!夜営の準備をしろいっ!!」

 

*                         *                            *

 

 天の光はすべて星。たき火を囲む戦車兵達にも、肩を寄せて休む二人連れの旅人にも、愛車の窓辺にもたれる者にも、

夜のあかりは分け隔てなくそそぎます。

何処とも知れぬZZZ団の秘密の拠点にも、月と星々は光を届けているのです。

でもその輝きは、地下室に閉じこめられたままの瀬生博士を照らしだしはしません。

見上げても天井しか目に入らない部屋のなかで、こころもち憔悴の度を見せて、瀬生博士はじっとソファに座り込んでいました。

室内には大きなテーブルが据え付けられ、その上には万年筆や計算尺、いくつもの種類の鉛筆や大判のノートなどがきちんと並べられていますが

どれひとつ、手をつけられた様子はありません。

 

「失礼、よろしいかな」

ノックの音とともに、分厚い扉の向こうから穏やかな声が訊ねました。

 

「失礼だと思うならば遠慮願いたいものだね」

戸口に目を遣りもせず、瀬生博士はぶっきらぼうに答えます。

「やれやれ、ここに来ればご同業に会えると聞いたのに、どうにもこうにも偏屈な御仁だな」

苦笑いとともに部屋に入ってきたのは、戦闘服に身を包んだZZZ団の従兵などではなく、きちんとした身なりの、ごく普通の紳士でした。

年の頃は60に手が届く辺りでしょうか、上品なピンストライプのスーツや綺麗に撫でつけられた髪は年降りて尚、伊達者らしさを感じさせます。

「あなたは・・・?」

いつもの兵士達とは明らかに異なる人物の来訪に、瀬生博士も怪訝そうです。

「アンリ・コアンダという者だよ、よろしく。流体力学を少し囓っている」

「アンリ・コアンダ・・・あの、アンリ・コアンダ!」

その名を聞いて瀬生博士の顔が久しぶりに明るさをとりもどしました。

「すばらしい!お会いできて光栄ですよ。その、このような場所であれ」

アンリ・コアンダの方はもっと驚いた様子でした。

「私のことを知っている人間がまだこの世にいたとは驚きだなあ。いやいや、嬉しいことだね」

「勿論、存じ上げていますとも。あなたの研究、身を挺しての実験、見習うべき態度です。申し遅れました、私は瀬生草蔵です」

二人の科学者は固い握手を交わしました。

「座らせてもらってもいいかね?パリからこっち、なにしろ粗末な寝台車に乗せられてきたもので少々体が文句を言っとる」

「ああ、お疲れでしょう、どうぞこちらへ」

 

「瀬生草蔵君か・・・私もその名前には覚えがあるよ。たしか『水晶振動子による多機能動作制御』を書いたのは君だったな。

 あの理論は実現できたのかね?」

「ええ、なんとかものになりました。もっとも、おかげでこんなところに連れてこられてしまいましたが」

きらびやかな部屋を見回し、自嘲気味に呟きます。

「コアンダさんも、やはり?」

「うん、私とあともう一人ね、同じ列車に途中から乗ってきた男がいる。さっきまで上でさんざん演説を聞かされてきたんだが

 葡萄酒は不味いわ女っ気は全然ないわで退散してきた。どうもあの総統という人物、同席していると身体中が労働争議を起こしそうになるなあ。

 連中、我々三人で共同研究をやるのだとかなんだとか言っていたが果てさてどうなることやら」

「あなたの、あの技術までも連中は戦争に利用しようとしているのですか!」

「どうもそういうことらしい。他に候補者も大勢いるだろうに、よりにもよってこの老骨とは痛み入る」

「私も、無理矢理でした・・・私達は戦闘機械を制御する為に“水晶頭脳”を開発したわけではないというのに・・・

 戦争はなにもかもを巻き込むもの、理不尽なものだということを我が身に照らしてようやく実感できましたよ。コアンダさん、あなたもそうでしょう」

 

アンリ・コアンダは困ったような照れたような不思議な表情を浮かべて言いました。

「いや、そうでもないかな。五分五分といったところだよ。赤(ルージュ)と出るか、黒(ノワール)と出るか、ルーレットはまだ回り続けている」

 

「・・・なんですって!」

瀬生博士は心底驚きました。

「コアンダさん、あなたはZZZ団の野望に手を貸すつもりなのですか!あの連中は科学技術を戦争の道具としてしか考えていないと言うのに!

 あなたの発明は人の未来に希望の路を与えこそすれ、決して絶望の淵に押しやるものではないはずでしょう・・・」

「目的はどうであれ、自分の技術をひとつ結実させることには大変に興味があるよ。もたもたしている間に私の研究分野は、

 よりにもよってイタリア人などに先陣を切られてしまったのだぜ。これは非常に心外だ」

アンリ・コアンダは冗談めかして言うのですが、瀬生博士は真剣に食ってかかります。

「確かに、あなたの実験は失敗に終わりました。今ではあなたの名を憶えている者も少ないでしょう。でも、だからといって

 戦争屋の手先としてその名を後世に知られるよりはずっと素晴らしいことだと私は思います。どうか、どうか考え直して戴きたい・・・」

「無名でいることにはいくらでも耐えられる。しかしね、無力であることには耐えられないよ」

「そんな・・・なにが無力であるものですか」

「私だよ、自分自身の無力にさ。世界大戦の時、私はパリに居たのだけれども、あの頃ほど自分の無力が悲しかったことはない。

 『フォッカーの懲罰』、『血塗れの四月』、どちらの時も大勢の若者が死んでしまった。笑いながら出かけていって、

 そのまま二度と家に帰らなかった。

 その時つくづく思ったものさ。 もしもあの、私の実験が成功していたらこんなことにはならなかったろうと。

 秀でた力、より進歩した技術の力が死んだはずの彼らを守る盾となり、敵を倒す矛となっただろうとね」

「だが、それは同時に相手の側に悲劇をもたらすだけではないですか!いやそれだけではない、連合軍が戦車を作れば同盟軍も戦車を投入する、

 同盟軍が毒ガスを用いれば連合軍も毒ガスを製造する。結局は交互に殺戮が加速されていくだけです。そんなものを、進歩とは呼ばない」

「そうだなあ・・・そうだろうね。だがそうであっても尚、私は自分の稚拙さ故に本来失われなくても良かったはずの命を救えなかったのだと、

 責め立てる声は止まないんだ」

「兵器は人を救いはしません!『出来るはずのない兵器を開発出来ずに戦争に寄与しなかった罪』などと糾すのは世の中でそう、

 あの総統ぐらいのものでしょうに。およそ真っ当な神経の持ち主ならば、誰がそれを責めるものですか!」

 

「友達の手助けを出来なかった間抜けな発明家がだよ」

 

「・・・しかし、それとこれとは違う話です。過去はどうあれ今はもう、世界大戦の時代ではないでしょう?戦争を起こそうとしているのはZZZ団だ。

 そもそも彼らに手を貸さなければ無意味な戦争で無辜の命が失われていくこともない」

「今は確かにその通りだね。驚くほどに平和な時代だ。国際連盟は十全に機能し、不戦条約が破られることもない。だが明日のことを誰がわかる?

 朝、目を覚ましたら見知らぬ兵士が道路に立っているということが突然起こるのが戦争なのだよ。これから先がどうなるか・・・

 少なくとも私は憶えている。恐れを、怯えを、人の死を。だがいつかはきっと現れるだろう。恐れを知らない若者、怯えることのない世代、

 戦争を知らない子供達がね。そんな時代が来る前に、私は出来ることはすべてやっておくつもりだ。例え地獄の悪魔をパトロンに迎えても」

 

瀬生博士はがっくり、頭を抱え込んでしまいました。

「残念です、あなたがそのような考えの持ち主だったとは・・・」

「まあそう気を落としなさんな。言ったろう、ルーレットはまだ回っていると。まだはっきり決めたわけでもないのさ」

アンリ・コアンダは失意の学生を励ます教師のような態度でぽんぽんと肩をたたいて慰めます。

「そう、もうひとり来ていると言っていましたね。その人はどういう人物なのですか、せめてそちらとは話が合えばよいのだが」

闇夜に灯火を見つけたような瀬生博士でしたが、それを聞いたアンリ・コアンダはワインとまちがえて酢を飲み込んだような顔をしました。

「あいつか?ううむ、あの男とは会わない方が良い。君はたぶん心臓麻痺でも起こすぞ」

「それはいったいどういう・・・」

 

話の最中、突然扉が凄まじい音と共に開かれました。

「やァやァ諸君始めまして!いやいやそっちの方とはずっと一緒だったから挨拶は別にいいかそこの君、宜しく!!」

戸口に現れたのはよれよれの白衣にぼさぼさの髪の毛、がりがりに痩せこけてぎらぎらと輝くひとみ、見るからに怪しげな風体の人物です。

片手には封を切った火酒の瓶を持ち、真っ赤な顔から辺り構わず酒精の臭いをまき散らす様は酔いどれ以外の何者にも見えません。

「・・・人間なのですか・・・」

「彼が三人目だよ」

 

その男はずかずか部屋に踏み込むとみょうにぬるぬるした手で瀬生博士の手を無理矢理に握り、ぶんぶん振り回します。

「君は日本人か?日本人だな!日本人に出会うのは生まれてこの方初めてだ。ああここはなんて素敵な場所なのだ気持ちの良いやつばかりだなあ 実は日本人にあったら是が非でも聞きたいことがひとつあったのだがこれでようやく、願いがかなう」

早口でまくし立てる言葉に瀬生博士は声もなく目を丸くしたままです。

「ななな、なあ君日本陸軍のジュウテキな、あれは一体、兵士が膝に乗せて撃つことが可能な兵器なのかね」

「・・・じゅ、じゅうてき?」

詰め寄る気迫に圧されても、意味のわからないことには答えようがありません。

「重擲(じゅうてき)だ!重擲弾筒(じゅうてきだんとう)だよ!!あれだけ簡便な迫撃砲もあまりないだろう?歩兵の膝撃ちが可能ならばどんな場所でもどんな姿勢からでもいくらでも曲射砲撃が可能ということになる。こんなにすばらしい兵器もないぞ。人類史に名を残す偉大な発明じゃあないかええ?」

「そんなことは知らん!」

瀬生博士は慌てて手を引っ込めました。

「兵器なぞに興味も関心もない!一辺たりとて知識などない!!」

 

 それまではとても楽しそうだったその男は、突然カードを裏返したように暗く、冷たい目つきになりました。片手に持った火酒の瓶を、

そのまま直に口元に。ぐびりと飲み込むと唾を吐きかけるようにしかめっ面の声を出します。

「・・・なんだ、つまらない男だな。あんたには、黒パンに生えたカビほどの価値もないな・・・」

「おいおい、世の中の人間が全部が軍事や兵器に通じてる訳じゃないぞ」

アンリ・コアンダがたしなめますが相手は聞きもしません。瀬生博士をにらみつけると指をさして怒鳴りつけました。

「ここ、国際戦争協議会ZZZ団は戦争を遂行するために全世界から意識ある者達が集まった理想郷ではないのか!なのにどうしてこんな男がいるのだ!これではまるで弾薬庫に出来損ないの不発弾を紛れ込ませるようなものではないか!」

文字通りに口角泡を飛ばす勢い。止まるところを知りません。

 

「心外だ、出て行け!!」

「それが、それが出来ればっ、こんなところになどいるものかっ!」

温厚な瀬生博士もさすがに怒りだしました。

「おいおい瀬生君、君の言い分ももっともだがね、落ち着き給えよ」

アンリ・コアンダの諫める声も聞かずに椅子を蹴って立ち上がります。

「うるさい!何処ともわからぬ所で、誰とも知れぬ男に、何とも見当違いの罵詈雑言を受けて黙ってなんぞいられるか」

向き合った白衣の人物はそれでも平気な顔のまま、火酒をひとくち、ぐびりと飲み込みました

「ああなんと感情的な男だな君は厳密な理論と冷徹な分析に忠たる科学者としてはあるまじき態度だ」

自分の言動は棚上げして、そんな事を言うのです。

「私はな、科学に忠実であると同様に自分の感情にも正直なのだ!人間、不躾な事を言われれば腹もたつ!!」

瀬生博士は目の前の男のだらしなく結んだネクタイを掴んで詰め寄りました。 しかし寄られた方は気にも留めず、むしろ冷ややかな笑顔で

見下すような事を言い出しました。

「この野蛮人め」

「なんだと!」 

「二人とも、いい加減にしないか。殴り合うのは拳闘家の仕事だぞ」

アンリ・コアンダは審判のように間に割って入り、二人を引き離します。

「それともなにかね、君達は殴り合いで会話できる技術を解明したのかね」

「む・・・」

「はははそんなものがあってたまるか」 

「瀬生君、私から紹介しておこう。彼はアレクセイ・クルチェフスキーだ」

「知りませんな、そんな人物は」

「フフフ知らんのも無理はない、今はまだな。しかしわたしはこれから全世界に名を轟かすことになるのだ!いずれ20世紀の人間なら誰でも、北はアルハンゲリスクから南はケープタウンに至るまでありとあらゆるどこにでもわたしの名を知らない者はいなくなるだろうよ!」

「はぁ・・・一体全体なにを研究しているのですか?非現実的な扇動政治の研究ですか」

「砲填兵器開発者、つまり大砲屋らしい」

「やれやれ、なんとつまらないことだ」

「なにを言うか!大砲ほどすぐれたものは世の中に存在しないぞ。『より高く、より早く、より遠く』、この人類永遠の夢を叶える科学技術の結晶こそが大砲なのだ。山砲野砲臼砲重砲、迫撃砲に加農砲、噴進砲、口径漸減砲、無反動砲、高射砲に歩兵砲に対戦車砲、機関砲、およそ砲と名がつくものならどれも同じにすばらしいのだ。これがわからないやつは大馬鹿だ、重馬鹿(じゅうばか)と言ってもいい。やい重馬鹿、貴様の研究課題は何だ」

「私は“マシーネン・メンシェ”とその行動制御を研究している」

「・・・なんだ、それではつまり、ただのオモチャ屋風情ではないか。そんなヤツに大砲の悪口を言われると腹が立つな」

「しかしな、クルチェフスキー君、わたしの知る限りではその『より高く、より早く、より遠く』という言葉は確か運動に関する提言だったはずだが?」

アンリ・コアンダは流暢な発音でその三つの単語を口にしました。クルチェフスキーはぱっと目を輝かせると早口に戻ってしゃべり出します。

「そうだ運動だよ運動!よくわかっているじゃないかさすがはフランス人だな」

「いや、私はルーマニア人なのだが」

「ちぇっ、生まれなんぞどうでもいい!要するに運動なのだよ大砲というのは。精神的な運動を目に見える形に具現化した純粋な芸術なのだ。無秩序に存在する空気の海を切り裂いて、螺旋運動を円弧に描き、わたしの可愛い砲弾は虹のその上を雲のその向こうに飛んでいく・・・どこまでも、どこまでも・・・」

 

「なあ、それはとても美しいことだとは思わないか」

「思わん」

遠くを見つめてうっとりするクルチェフスキーと対照的に、瀬生博士は床石を見つめてげんなりするばかり。

そんな二人を見回しながら、アンリ・コアンダはなにか楽しそうです。

「ま、我々三人、これから仲良くやっていこう、ケ・セラ・セラだよ。人生、なるようになるさ」  

三人の科学者はそれぞれがそれぞれに、互いの顔を見つめました。

 

「それは難しいですな」

「しかしな瀬生君。かといって今の立場を考えれば、ZZZ団の機嫌をそこねるのもあまり得策とは思えないがね」

「また、そんなことを・・・」

 不機嫌な瀬生博士と心配そうなアンリ・コアンダを代わる代わるに見つめると、クルチェフスキーは火酒の瓶をテーブルに叩きつけ、

憤然と立ち上がりました。

「君達二人に言っておくことがあるっ!っつ!!」

そのままなにも言わずに、どぅと後ろにひっくりかえります。 

「・・・いったい、何が言いたいんだこの男は」

「さあなぁ、『私は酒に弱いぞ』とか、そのようなことかな。おい瀬生君、足は私が持つから君は頭のほうを運んでくれ給え」

「なんで私が、こんなことを・・・」

 頭を打ったか酔いが回りすぎたのか、すっかり寝込んでしまいまったクルチェフスキーは間近で見ると実はまだとても若い人物だと知れました。

度が過ぎた不摂生に体を蝕まれたか、ひどく剣呑な形相がおもてに出ている人物と。

「怖れを知らない若者、か・・・」

そんなクルチェフスキーを抱えながら、しみじみと瀬生博士は呟きました。 

 

*                         *                            *

 

 翌朝――、いえもう日はとっくに昇りきった昼下がり。

二式砲の車内はまったくもって沈黙に閉ざされていました。

ひとり賑やかなのは隔壁の向こう側のエンジンだけ。快調に回り続けています。

でも戦闘室内ではだれもなにも言いません。

言い出さないのです。

山田中尉は顔中に「不愉快」と書き込まれたような表情で前方を見つめ、久喜曹長は右目の周りに出来たまんまるい青あざを気にしています。

加須軍曹は眼鏡を外してレンズを磨くことに全身全霊をかけ、羽生伍長はもう自分自身が操縦機構の一部と化したかのように

無言で手足を動かしています。

 

伊勢崎軍曹はぴくりともしません。 

 

「喉が、乾いたな」

実に二時間ぶりに山田中尉が声を発しました。実に実に不愉快そうに。

「だれか水筒に残って・・・ねーか」

それはなかば諦めきったような力のない声でした。

「・・・先刻、申し上げた通りであります」

二時間前に殴られた青あざを気にする様子で久喜曹長がおそるおそる答えます。

「わかってらぁ、独り言でえ」

隣も見ずに指先を弾くと、眉間の真ん中に直撃の命中となりました。まるで二時間前の光景を繰り返すかのようにばたりと倒れる久喜曹長。

「どこかに井戸でもねえかな。歩いてくると尚更良いけどな」

誰に言うでもなく、言葉だけがねっとり広がりました。

 

(井戸は普通、自分で出歩いたりはしないのではないだろうか)

羽生伍長のこころのひだに、また少し疑いの花が芽をつけました。

(いや、いやいや、中尉殿のことだ、きっとなにかお考えがあっての――)

その芽をつむことに熱心だったためか、視界の果てに捉えたものを見つめた羽生伍長はついとんでもない事を大声で口に出しました。

 

「いどがあるいております!」

「井戸が歩くか馬鹿」

そっけない返事の山田中尉。羽生伍長は真っ赤になって言い直しました。

「い、いえそのっ、人です、人がこっちに歩いてきますっ」

 

「おっ、本当かそいつはっ!よしっ、水でもよこしてもらおうぜぃ」

「やめて下さいよ、我々追い剥ぎじゃないんですから」

そう言う久喜曹長を踏み台代わりに展望塔の扉を開けて、山田中尉は半身ずるりと乗り出しました。

思ったよりもずっと近くに見える人影に大音声で呼びかけます。

「オイコラそこのお前、ちょっとこっちに来やがれ!」

そんな不作法な声にもかかわらず、前から来る人は片腕を挙げて走り出しました。

どんどん近づき、どんどん大きく。

それは決して思ったよりも近くに見えた人影などではなく、ずっと遠くに離れていた大きな姿。

ごしごし目元をこすってあてた、軍用双眼鏡のレチクルに映し出されたものは紛れもなく、

 

身長4メートル程の、鋼鉄の身体。

 

「・・・ロ、」

山田中尉の口元は「ろ」と言う文字をカタカナで書いたように四角くすとんと落ちました。

「ロボットだっ!」

大急ぎで車内にもどり、出入り扉を閉める間もあらばこそ。

 

「全員戦闘態勢ッ!」

 

途端、戦闘室内は緊張感に満たされました。 

 

*                         *                            *

 

 そのちょっと前、ガン・ホーとタケルはのんびりと街道筋を歩いていました。

(もちろん並んで歩いていたわけではありません。この二人はいっしょに並んで歩くには大きさが違いすぎるのです)

 

「なんだか・・・たいくつだね、ガン・ホー」

操縦席に腰掛けて、ぱたぱた動くレバーやペダルを見つめて、あくび混じりのタケルです。

「最前から特に変わったことも起こらないから仕方がない。でもタケル、同時にそれは危険なこともなにひとつ起きていないと言うことだよ」

ここまでの道のりで、二人はもうすっかりうち解けています。 

「うん、それはそうなんだけれどね」

と、タケル。

「お父さんをさらっていった飛行艇は北の方に飛んでいったし、ゆき子さんはZZZ団のアジトは満州にあるって言ってたけれども、

 満州って、広いんだねえ・・・」

「ここまで来る間にも特に手がかりの様なものは見つけられなかったなあ」

リズム良く進む歩みとは裏腹に、ガン・ホーも心配そうな様子です。

「どこかにだれか、いないかな?くわしいことを知ってる人とかさ」

「どういう種類の人間ならばZZZ団の情報を知っているのだろうか?」

「う〜ん、そうだね。ZZZ団は悪いやつらだから、悪いやつどうしなら仲がいいんじゃないかなぁ?ぼくたちで大どろぼうをつかまえたら、

 そいつが知っているかも!」

「でもタケル、それにはまず大泥棒を見つけなければならないよ」

「そ、そうだね・・・」

「しかし、それは良い考えだ。同じような性格の組織や集団ならば、なにか情報を持っているかも知れない」

「同じようなって、ZZZ団みたいなのが他にもたくさんいるっていうの?スリーエックス団とか、そんなのが」

「いや、例えば」

言いかけてガン・ホーは突然黙り込んでしまいました。

「どうしたの、ガン・ホー?・・・なにかあったの?」

「前方から未確認の物体がこちらに接近してくる」

操縦席に備え付けられたテレヴィジョンの画像が、突然大写しに切り替わりました。

 

「うわっ、そ、それを歩きながらやらないでよ」

いきなり視界が変化したので、タケルは目をぱちぱちさせました。

「あ!ああ、すまない・・・」

ゆっくり優しい拍子で足を止めます。そのまま頭部をぐるぐる回すと、それに連れて映像も右に左に動きます。

「ほんとだ、なにかこっちにくるね」

タケルの目にも街道上に立ち上る砂煙がはっきりと見えました。ガン・ホーはレンズの焦点距離を調整させると近づいてくるものをしっかり捉えます。

「あれは一体なんだ?タケルにはわかるかい」

タケルはガン・ホーが増幅した映像に必死に目を凝らします。

四角い車体、四角い砲塔、つきだした大砲。三色まだらの迷彩塗装に太い黄線の塗り分け。

休み無く回り続ける無限軌道。

「あれは・・・きっと・・・そう、戦車っていう乗り物だよ」

「戦車?」

「うん、兵隊さんが乗ってるんだ。前にはくぶつ館にかざってあるのを見たことがあるよ。大きくて強そうだったけど」

「そうか、あれは軍隊が使用する車輌なのか。それは丁度良いな」

「え?なんで?」

「この辺りに駐屯している軍隊ならば、ZZZ団のことを何か知っているかもしれない」

「ああ、そうだね!じゃあ行ってちょっと話してみようよ」

「うん、そうしよう」

 

 ガン・ホーは立ち止まっていた足をまた再び前に踏み出し、力強く歩きはじめました。地面が揺れ、乾いた道路に土煙が立ちます。

「ねえ、手を振ってあいさつしていこうよ、おーい、おーい!ってさ」

「それだね、そうしよう。そうすれば向こうにもこちらの意図がわかるだろう」

右腕を振りあげると、足を速めました。まるでこころが躍るように、速度はだんだん上がっていきます。

 

*                         *                            *

 

 しかし、二式砲の中は騒然とした様相を呈していました。

 

「拳を振り回してこっちに向かって来ます!!」

操縦席に座る羽生伍長、幅の狭い覘視孔(てんしこう)からはそのように見えます。

 

「やはり、随分な大きさですね」

伊勢崎軍曹は主砲の照準眼鏡からもう目を離しません。

 

「やけに早足で駆けてくるな」

加須軍曹の車載機銃の照準眼鏡にも、近づいてくるガン・ホーははっきりと映し出されています

 

「なんだよ、ど、どうなってんだ!」

装填手の久喜曹長には外をみる術がないのでなにがなにやらさっぱりわかりません。 

 

「無駄口叩くなッ!」

山田中尉は一同を一括するや矢継ぎ早に指示を出しました。

「羽生、右に切って路外に出せ。草地に出ればそうそう向こうも走れまい。久喜は即応入れとけ!もたもたしてんじゃねぇぞ」

羽生伍長は巧みな操作でギアを入れ替え、路肩を乗り越えて草原に車体を向かわせます。

久喜曹長は砲塔後部の張り出しにある弾薬庫から一抱えはある7糎半(75ミリ口径)の砲弾を一発引き出すと、

揺れる室内にしっかり足を踏ん張って砲尾の中に押し込みました。

「装填完了!」

閉鎖機が閉じると大声で告げます。

展望塔の覘視孔からはガン・ホーもまた走る向きを変えて草原に入り込んでくるのがはっきり見えました。

「よーし、ヤツめ食いついたぞ、停止。伊勢崎、砲塔左旋回、十時。向こうは飛び道具は無さそうだ。安心して狙え」

旋回用の転把(ハンドル)を回しながら伊勢崎軍曹は訊ねました。

「中尉殿、砲撃するのでありますか?」

「『保護しろ』とは言われたがな、傷をつけるなと聞いた覚えはねぇ。何、どうせ相手は只の機械だ。

 手足の一本もいだ所でウンともスンとも言わねえだろ。聞くまでもねえが、当てられるだろうな?」

「当たりますよ」

照準目盛りにガン・ホーの体を捉えると、伊勢崎軍曹は冷静に言葉を継ぎました。

Maschinen Mensch”を武装して塹壕戦に投入しようとした“Zonder Schwerer Panzer Grenadier”

 つまり、『特殊重装甲擲弾兵』の製造計画が頓挫したのは、いくつか理由があるのですが」

 

ガン・ホーが近づくにつれて、その姿は照準眼鏡の中でどんどん拡大されていきます。

 

「もっとも致命的だったのは前縁投影面積が過大だったことです。ロボットは陸戦兵器に用いるには大きすぎ、目立ちすぎたんです」

「確かにな、二階建ての家に当てるぐらい、簡単な目標だ。距離二○○、移動目標」

山田中尉は一呼吸置いて、冷静に命令を下しました。

 

「撃て」

 

 轟然と砲撃音が鳴り響き、発砲の衝撃に二式砲戦車の車体は揺れ動きます。開栓された砲尾からは空薬莢が転げ落ち、

打ち出された砲弾はまごうこと無くガン・ホーの左の肩口に命中して、そのまま破裂しました。

 

 バレエ・ダンサーのようにくるりと回って、ガン・ホーは大地の上に倒れ込みました。

 

つづく

 


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