第三話「独立砲戦車隊」(後編その1)

 


「・・・!」

 照準眼鏡のなかで倒れたガン・ホーの姿を見て、伊勢崎軍曹は真っ先に異常に気がつきました。

大地に伏したロボットと、そこからまだうっすらと立ちのぼる筋煙り。

「曹長殿、只今の・・・」

 言い終わらないうちにもう、山田中尉の軍靴が久喜曹長の頭を蹴り飛ばしました。

「久喜ぃ、手前この馬ッ鹿野郎!」

「な、なんでありましょうか中尉殿」

外部の状況が解らぬ久喜曹長にとってはまったくもって訳が解らず、こめかみを抑えて問い返します。

「お前、今の砲撃に榴弾(りゅうだん)なんか装填しやがったな!徹甲弾(てっこうだん)込めろ、馬鹿野郎!!」

 

 確かに、ガン・ホーに命中したのは装甲を貫徹して内部を破壊する徹甲弾ではなく、炸裂して破片を撒き散らす榴弾でした。

 

「はぁ、しかしそう申されましても即応用に砲弾庫に入れてあるのは全部榴弾でありますが」

「何ぃ?」

 山田中尉の目は砲塔後部の張り出しに設けられた砲弾庫を見つめます。それから手を伸ばして久喜曹長の頭を鷲掴みにすると

床下砲弾庫の扉に押しつけるような勢いでぐいぐい抑えつけました。

「装填手なら徹甲弾の一発も準備しとくのが当たり前だこの馬鹿。言われなくともっ、それぐらいやっとけ!」

「それがその・・・」

冷や汗ともあぶら汗ともつかぬ汗をかきかき、久喜曹長はしどろもどろに言葉をつなぎます。

「徹甲弾は只の一発も積んでないんであります」

「なんだってえ!」

 

 山田中尉の大声に、流石に加須軍曹や羽生伍長も驚いた顔で振り返りました。

 

「どういう事だそら、九九式七糎半戦車砲にはちゃんと徹甲弾が用意されてんだろうが」

「はぁ、しかし本車の受領試験の際に中尉殿がどかすか撃ちましたもので」

「おぉ、ありゃ気分が良かった。戦車たるもの歩兵直協ばかりが仕事じゃねえんだ。装甲目標にだって砲撃演習しとかにゃならんからな」

「おかげで支給されてた徹甲弾は全部使い切っちまったんで、大隊長に始末書出す羽目になったでありましょう?」

「なにィ?オレはそんなものを書いた憶えは無いぞッ!」

「そりゃあ、そうです。自分が無理矢理代書させられ、提出し、怒鳴りつけられたんであります」

「なんだとぉ!・・・だ、だがな、その後に内地から補充されてる分が有るだろう」

「いや、それがまた。こんな僻地の、あんまり任務もない部隊の、たったの一輌しかない砲戦車には、徹甲弾なんか全然支給されんのです。

 隊の備蓄を廻そうにも、二式砲の主砲は他の車輌とは口径が違いますから・・・新型なんざ、どうも使い勝手が悪くていけませんな」

「使い勝手が悪いのは手前の脳味噌だこの大馬鹿野郎!なんで先に言わねえんだ!!」

「はぁ、鋼鉄の塊でも相手にしない限り問題はないかと思いまして」

「ロボットってのはなぁ、鋼鉄のカタマリなんだよ!」

 

「おお」

 

「『おお』じゃねぇ!」

 得心したようにぽんと手を打つ久喜曹長の頭を飽きもせずに殴りつける山田中尉。いい加減にくたびれてきた戦車帽を抑えながら、

上目使いに久喜曹長は返答します。

「しかし、榴弾であっても特に問題はなかろうかと思いますが・・・伊勢崎の腕前なら命中したんでありましょう?」

「まあ、そらそうだがな。一発必中、見事に仕留めたよ、後は牽引索引っかけてズルズル引きずって帰えりゃ一件落着だな」

 

「いえ、そうもいかないようであります」

 怒号渦巻く最中にあっても照準眼鏡からいささかも目を離さずにいた伊勢崎軍曹が二人に声をかけます。

「曹長殿、次弾の装填を願います」

「何ィ?」

「目標、再度起動。命中の効果は認められません」

 冷静な伊勢崎軍曹の声にも、僅かに焦りの色が見えました。照準眼鏡の十字線は土埃を巻き上げて立ち上がったガン・ホーの姿を、

はっきりと捉えていたのです。榴弾の直撃をものともせず、両脚を地面に踏みしめ、その赤い「目」が輝きました。

まるで怒りに、炎を燃やすように――

 

*                         *                            *

 

 ガン・ホーの操縦席の中で、タケルは目を開きました。

憶えているのはテレヴィジョンの映像の中で、どんどん大きくなる戦車の姿。突然巻き起こった火の玉と土煙。

そして真っ暗になった画面と、

衝撃と爆発。

「ど、どうしたのガン・ホー!大丈夫なの?」

「タケルは無事なのか?怪我はないのかね」

「う、うん。ぼくは平気だよ。君の方はけがしてないの?いったい、何がどうなったんだろう・・・」

 転倒の衝撃に体のあちこちを打ちつけてはいましたがタケルは気丈に答えました。

いつもと変わらぬ落ち着いたガン・ホーの声でしたが、そこにはなにか怒っているような気配が感じられます。

「あの戦車が突然大砲を撃ってきたんだよ。寸前で外部視察装置を閉じたんだが」

言葉と共に映像が回復しました。透き通るような青い空に、白い雲が流れています。

「流石に回避は出来なかった。どうやら深刻な被害は無いようだが」

頭部の旋回に合わせて映像も左肩を映し出しました。その鋼鉄の身体は真っ直ぐに命中した砲弾を表面で跳ね返し、

炸裂した榴弾の弾片は、焼けこげといささかの凹みを除いては傷跡を残していません。

「危ないところだったな。当たり所によっては君も私も無事では済まなかったろう」

「ひどいことするなあ。ぼくたちなんにもしてないのに・・・」

「何の理由もなく攻撃してくるとも思えない。一発撃ってきたからにはおそらく、次が来るぞ」

「ええっ!本当かい!?だ、大丈夫かな」

「うむ」

 

ガン・ホーのエンジンが、回転数を上げていきます。身体のなかのいくつもの箇所で、動力伝達機構の動き出す音が聞こえてきました。

鋼鉄の両腕は大地を握りしめ、鋼鉄の両脚は大地を踏みしめ、全身に力をみなぎらせ、

 

「今度は、大丈夫だ」

 ガン・ホーはもう一度立ち上がりました。テレヴィジョンの映像は空を流れて眼前の光景を映し出します。

「タケル、私達の考えは間違っていたのかも知れない」

「うん?なんのこと?」

「戦車というのは戦争の道具だ。戦争の道具を扱う軍隊ならば、ZZZ団のことについてなにか知っている可能性がある。私はそう思ったんだ」

「そうだね、ぼくもそう思うよ」

「だがね、タケル。この満州で戦争の道具を扱う集団が、もうひとつあるだろう」

「・・・そうか!ZZZ団だ!」

ガン・ホーは焦点距離を調整して二式砲戦車の姿を鮮明に捉えました。

「どうしよう?もし本当にZZZ団だったら・・・」

「ともかく、乗員から話を聞き出したいな。逃げ出す訳にも、いかない」

「そうだね、ガン・ホー」

 ガン・ホーは地面を蹴って走り出しました。こんどは、全速力で。

 

*                         *                            *

 

「目標、移動開始。速い!」

 走り出したガン・ホーの姿はたちまち伊勢崎軍曹の照準眼鏡から姿を消します。山田中尉は慌てて展望塔の覘視孔にその顔を押しつけました。

「畜生ビクともしてねえぞ!久喜ッ、とっとと弾込めろ。榴弾しかなかろうが関係ねぇ」

「あーその、発煙弾なら二発分ありますが」

 山田中尉は久喜曹長をじっと睨み付けて、刀のように澄み切った目で、出刃包丁のように歯をむきだして言いました。

「手前の頭を、装填される前に、さっさと、やれ」

「は、はァッ!」

 腰を屈めて砲弾を取り出す久喜曹長を後目に山田中尉は覘視孔からガン・ホーの姿を追い求めました。

「目標は右方向に流れる。砲塔、二時方向に指向。羽生、右に信地旋回(しんちせんかい)だ」

伊勢崎軍曹が力の限り転把を廻すのに伴い、羽生伍長は右側の履帯だけを後進させます。二式砲戦車は左側の履帯を支点にその場で

車体を右に向けて回り出しました。

「加須は車載機銃でヤツを足止めしろ。頭を抑えるんだ」

「りょ、了解っ」

 加須軍曹は車載重機関銃の銃把を握り直して照準眼鏡をぴたりと眼窩に合わせます。先刻とは打って変わって快速で迫り来るガン・ホーの姿は、

すぐさま十字線に重なりました。引き金に掛けた指にすっ、と力を込めると機関銃は鍵盤打楽器のような音を立てて弾丸を打ち出し始めます。

タタン、タタタンと続けて響く銃声。曳光弾(えいこうだん)の光跡はまるでアイス・キャンデーのようにも見え、

真っ直ぐにガン・ホーの足元に吸い込まれていきました。

しかし、戦車砲弾を跳ね返したガン・ホーの巨体は機関銃弾などものともせず、大きく回りこみながら二式砲の喉元へと

力強く脚を進めてくるのです。

砲塔内部では伊勢崎軍曹が必死に転把を回転させていました。歯車の作用で砲塔が右へ右へと頭を回し、

動き続ける砲尾の中に、久喜曹長は七糎半砲弾を押し込むと

「装填完了!」

と大声で叫び、同時に伊勢崎軍曹の背中をばん、と叩いて知らせます。

ぴたりと止まる軸線。主砲の照準眼鏡に、再びガン・ホーの姿が浮かびました。

「目標零距離、ぶっぱなせっ!」

山田中尉の号令が車内外の騒音を圧して響き渡ったその瞬間――


ガン・ホーの姿は一同の視界から、瞬時に姿を消しました。


「なにっ!」

 と伊勢崎軍曹さえも驚きの声を上げます。一瞬の間をおいて

ずん

と、なにか大重量の物体が地面に落下したような音が後方からどよめき伝わり

「飛び越しやがったァ!?」

慌てて後方の覘視孔をのぞいた山田中尉はすぐさま命令を下しました。

「羽生、全速後進!弾き飛ばせ、砲塔は間に合わん!!」

「了解、後進全速掛けますッ」


 二本の操縦桿をいっぱいに引くと二式砲の発動機は一声唸りを上げ、ガン・ホーは向き直って両腕を振り上げます。

満州の大地で、ふたつの大型機械は金属性の咆哮をあげて激突しました。

ぎしり、ぎりりと悲鳴をあげる鋼板、回転する発動機。排気管はもうもうと煙を吐き出し、互いに一歩も譲りません。

ですがガン・ホーは戦車には絶対についていない機構、「腕」を使って車体をゆっくりと、しかし確実に持ち上げ始めました。

車体は前部の起動輪(きどうりん)を支えに梃子のように抱え上げられ、荷重の掛かった変速機は悲鳴を発して履帯を空転させます。

そしてガン・ホーはつかんでいたその手を離し、バランスを崩した二式砲はその自重で地面に叩きつけられました。

車内は大地震にあった家屋のように大変な様相を呈します。砲弾は転がり落ち、乗員はそこら中に投げ出され、室内灯も消えてしまいました。

激突の衝撃は戦車の心臓部、発動機の動きをも止めてしまいます。


「き、機関停止!再度点火します」

 真っ暗になった戦闘室内で羽生伍長は手探りのままセルモーターの始動釦を押し込みますが、はずみ車は空回りするばかり。

動力は一向に回復しません。

固唾を呑む一同の耳に、巨大な万力が締めつけるような異音が響きました。

「砲塔旋回装置が作動しません。どうやらMaschinen Mensch”の腕に押さえ込まれているようです」

伊勢崎軍曹の声は、こんな時でも冷静でした。

「なんてこった、俺達はみんなノシイカにされちまうぞ」
 
久喜曹長は暗転した皆の心持を代弁するかのように呻きます。

「馬鹿野郎簡単に諦めるな!まだ、戦えらあ!!」

覘視孔から差し込む一条の光は、ギラギラと闘志に輝く山田中尉の目元を照らし出します。手元には既に抜き出された自動拳銃が携えられ、

注視するまなざしに落ち着いた声で命を下しました。

「全員降車。下車戦闘用意」

「な、無茶ですよ中尉!やめてくださいっ」

「無茶を通せばそれが道理だっ!」

久喜曹長を一喝すると出入り扉を開いて展望塔から半身を乗り出します。

すると眼前には二式砲に覆いかぶさって覗き込むガン・ホーの単眼が、らんらんと目を輝かせていました。


「おうわぁっ!のわっひゃぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っ・・・」


車内に取り残された四人に見えたのは、あられもない絶叫をあげた山田中尉の足がじたばたともがきながらスー、

と持ち上げられて車外へと消えていく様。

砲塔が圧迫される音が消え、その代わりに遠ざかる足音がズシズシ聞こえてきます

皆呆然とただ見つめていた中で羽生伍長は真っ先に大声をあげました

「中尉殿!中尉殿ーッ!!」

操縦席から転がるように飛び出すと、矢も盾もたまらず外へ向かおうとするところを、久喜曹長に止められます。

「おい、馬鹿やめろっ!戦車の外は三途の川原だぞっ」

「離してくださいっ、中尉殿をお助けしなれば!」

「もう駄目だ。あのひとはそこを越えちまったんだ」

「だったらロボットを殺して自分も死にますっ!!」

腰に下げた銃剣を抜き出して構える様子は軍人というよりもやくざ者の三下のよう。目の色を変えて詰め寄ります

「そうだ曹長殿は決して相撲取りには負けない程の強さと伺いました。一緒に中尉殿の敵を討ちましょう」

「お前何言ってんだよ、あんなバケモノ双葉山だって勝てやしねえよ」

「勝ち負けなんて関係ないんです!」

支離滅裂になる羽生伍長の肩口に、伊勢崎軍曹の手がしっかりと掛かります。

「羽生君落ち着きなさい。闇雲に飛び出してもなんにもなりませんよ」

「し、しかし・・・」

「そうだぜ、まずは状況を把握しなくちゃな」

丸眼鏡の奥から凄みのある顔を見せて、加須軍曹は銃眼から車載機銃を取り外しました。

「まだ死んだと決まった訳じゃないさ。だいたい、あの中尉殿がそうそう簡単にくたばる筈もないよ。

 自分と伊勢崎で先に出ます、曹長殿は羽生と後詰を頼みます」

「お、おぅ」

と頷く久喜曹長。伊勢崎軍曹は車内の架台から銃身の短い騎銃を取り出して

「心得ました」

と、槓棹を引いて弾丸を装填しました。

 二人はそれぞれに銃を携え、二箇所の出入り扉の下に位置を占めると

「よし、行こう」

「ええ」

互いに声を掛け合って、加須軍曹は砲手用の出入り扉を跳ね上げて機関銃を天板に据え付け、

伊勢崎軍曹は展望塔からすばやく車外に飛び出します。

戦闘室から不安そうに見つめる久喜曹長に羽生伍長。

車外からは銃声も悲鳴も聞こえず、加須軍曹の機関銃も押し黙ったままひとつも火を吹きません。

「おい加須よぅ、外はどんな塩梅だい」

「中尉殿は無事でありますか!」

「いや、それが・・・」

加須軍曹は訳がわからぬと言った顔で二人のほうに向き直りました。

「山田中尉は無事です。ピンピンしてます。どうやら・・・子供相手に説教をしてるようです」

「なんだそりゃ」

伊勢崎軍曹も気が抜けた様子で機関室に座り込んでしまいました。

*                         *                            *

 ガン・ホーは二式砲戦車の砲塔を両側からがっちり押さえ込みました。

「これでもう、大砲はうてないね」

「ああ、そうだ。中の人間も諦めるだろう」

エンジンも停止し、すっかり沈黙してしまった砲戦車。ガン・ホーはその上に身を屈めて様子を伺います

「投降を呼びかけてみよう。どこの誰であれ話を聞かないことにはな」

「あっ、誰か出てくるよ」

砲塔上の扉が開き、中から枯草色の軍服を着た人物が半身を乗り出してきます。その兵隊は、慌てた様子で右手に握り締めた拳銃を構えました。

「ピストルを持ってる!」

「まだ、戦うつもりなのか?」

ガン・ホーはその兵隊に腕を伸ばしました。生卵を器用に割る事が出来るその指が、襟元からその兵隊を摘み上げます。

丁度猫がそうされるように首根っこを抑えてぶら下げられた兵隊は、猫がそうするように手や足をじたばたと振り回しました。

勢いで軍帽が脱げ、長い黒髪が乱れて揺れます。

「女の人だ!ガン・ホー、この人は女の人だよ」

「そのようだね」

タケルは驚きの声をあげましたが、ガン・ホーは特に意に介することなく眼前に持ち上げました。

「降ろして、降ろしてあげてよガン・ホー!女の人にらんぼうなことしちゃいけないよ」

テレヴィジョンの画面に大写しになった山田中尉は、中ぶらりんになったまま、今にもこちらに食いつきそうな乱暴な顔をしていたのですが。

*                         *                            *

 ガン・ホーは戦車から少し離れたところに膝をついて、そっと山田中尉を降ろしました。

地に足がついた中尉は、挑むような視線で油断なくガン・ホーを睨みつけます。

そんな山田中尉も、巨大なロボットの胸が扉のように開いて中から小さな男の子が出てくるのを見ると目をまんまるにして驚きました。

男の子はロボットの手を台にして降りてくると、

「大丈夫だよ、心配しないで」

とそのロボットにひと声かけて、山田中尉のもとに駆け寄ります。

「ごめんなさい、おけがはありませんか?大丈夫ですか?」

と心底心配そうに問いかけるタケルに、山田中尉は言葉もありません。巨大なガン・ホーと小さなタケルの間を視線は行ったり来たり。

「お、おぅ・・・」

ようやく、のどの奥から搾り出す様に答えを返します。

「よかったぁ!」

タケルの顔はぱっと輝くような笑顔になりました。

「ぼくたちぜんぜん知らなかったから・・・」

呆然としていた山田中尉の青白い頬にだんだんと血色が戻り、

「おんなの人には親切にしてあげなくちゃいけないのに、」

それはどんどん赤みを増して上気して、

「らんぼうなことをしちゃって、心配で・・・」

やがて沸騰した薬缶のように激高すると、話の途中で拳骨を固めてタケルの頬を殴り飛ばしました。

「なにが心配だッ!この糞餓鬼ッ!!」

鞠のように転がったタケルは頬を押さえて目を瞬かせ、たまらず怒鳴り返します。

「な、なにすんだよっ!」

慌ててガン・ホーの手が二人の間に伸びますが、山田中尉は気にも留めずにタケルをびしりと指差し、餓鬼大将のように勝ち誇って言いました。

「餓鬼に心配されるような謂れは無いっ!なにが『女の人には親切に』だ。ふざけるんじゃねぇ!」

「なんだよっ、そっちから先に大砲なんか打ってきたくせにひどいじゃないか!」

 タケルは目元を真っ赤にして立ち上がりました。小さな拳を握り締めて、精一杯の声で叫ぶと山田中尉に突っかかっていきます。

けれども、年端の行かぬ子供が兵隊に叶う筈もなし。良いようにあしらわれ、片手で頭をがっちり抑えられてしまいました。

「おらおらどうした糞餓鬼。悔しかったらなんとか言ってみろ」

子供相手に得意げな山田中尉。しかしその黒髪のてっぺんに、なにか冷たくて大きくて重いものが乗せられます。

「乱暴は止めてください。その子から手を離さないとあなたの身に危険が及ぶことになります」

「むぅ・・・」

ガン・ホーの人差し指が山田中尉の頭を、静かに押さえていたのです。

タケルはなんとか身をよじって恐るべき山田中尉の手から逃れました。

「ガン・ホー、やっぱりこの人、ZZZ団かもしれないよ。なんてらんぼうなんだろう、ひどいや」

「なんだとっ!」

それを聞いてまたまた怒り出す山田中尉。

「誰が掏摸窃盗団(すりせっとうだん)だ!人をいきなり泥棒呼ばわりするなっ!だいたい、

 なんだって手前みたいなんがロボットに乗っていやがるんだ。そんな話は聞いちゃいないぞ」

「ぼくらはここまでふたりで来たんだ。友達だから、ずっと一緒に来たんだ。それだけなんだ。

 なのに訳もなく突然なぐりつけてくるなんて、おいはぎと変わらないよ」

「なにをっ、俺達は栄光ある日本陸軍の戦車兵だ!わかるだろう、あの二式砲戦車を見ろ」

そう言って山田中尉は自分達の戦車を指し示しました。迷彩塗装を施した、質実剛健を絵に描いたような砲戦車を。

砲塔には銃を持った二人の兵士が、ぴたりと身構えています

(幸か不幸か、拍子抜けした伊勢崎軍曹と呆然とした加須軍曹の表情はタケルと山田中尉からは見えませんでした)

でもそんな光景は、タケルには少しの感銘も与えません。

「知らないよ、そんなの」

「知れっ!」

*                         *                            *

「・・・説教というよりも、」

山田中尉とタケルのやりとりを眺めていた伊勢崎軍曹がぼんやり言いました。

「あれは喧嘩ですねえ」

「あぁん?なんであんな子供がこんな所にいるんだよ」

状況のわからぬのはなにも久喜曹長だけではありませんが、

「もしかすると・・・あの子が乗っていたのか?ロボットの中にさ」

「空から降って湧いたとも思えませんからね」

加須軍曹は伊勢崎軍曹と顔を見合わせて頭を抱え込んでしまいました。

「なんてこった、俺達は子供相手に実弾撃っちまったのか」

「なんだかそのようですね」

それでも、伊勢崎軍曹は明かりの切れた電球のように落ち着いています。

「中尉殿を止めたほうが宜しいのではないでしょうか」

いささか不安げな羽生伍長の目はむしろガン・ホーの巨体を警戒していました。

「ま、子供相手に本気で喧嘩するような人でもないだろ」

久喜曹長が投げやりに呟くと、一同は稲妻に打たれたようにハッと目を合わせました。

「中尉殿を止めろッ!」

戦車兵達は泡を食って走り出しました。

*                         *                            *

 もう一遍、拳骨を振り上げて殴りかかろうとする山田中尉。とっさに身を竦ませるタケル、手を伸ばそうとするガン・ホー。

危ういところで間に合った一同が、山田中尉を抑えて止めます。

「よしてください中尉殿、相手はまだ子供ですぜ」

久喜曹長を筆頭に、両手両足に文字通り武者振り付いた四人。しかし、羽交い絞めされた山田中尉はかっと目を剥くと

「離せッ、馬鹿野郎共ッ!」

とまるでつむじ風のようにその場で全員を振り回し、千切っては投げ千切っては投げ、殴り倒し蹴り倒し、

忽ちのうちに我と我が身を振りほどきます。四人掛かりでも全く以って相手にならず、

辺りには炭団のようにごろごろ転がされた兵隊達が残されました

タケルは目をまん丸ににしてそんな様子を見つめていました。

「お姉さん、すごいや・・・」

「誰が『お姉さん』だこの糞餓鬼」

そんなひと言が気に障ったのか、タケルの方にも拳骨がぽかりと飛んできました。

「痛っ、ひどいや、もう・・・ぼくには『瀬生タケル』って名前がちゃんとあるんだ。くそがきなんて呼ばないでください」

「うるせぇ、ガキはガキだ。兄弟でもねえやつにお姉さんなんて言われる義理もなきゃぁ、女だからと容赦される情はいらねぇよ」」

「あの、どうか皆さん落ち着いてください」

なだめすかすようなガン・ホーの声に仰天したのはひっくり返った戦車兵達です。

「こ、このロボット口を訊きましたよ!」

およそ機械が人語を解して話すなどということは、羽生伍長にとっては瓢箪から熊が出る程の驚きだったのですが

「それがどうかしたかッ!」

と一喝されて

(ああ、やはり中尉殿は何事にも動じない、肝の据わったお方だ)

心中、ひとり感じ入るのでした。

 *                         *                            *

 ようやく一同は争いを止め、地べたに座り込んで話し合いをはじめました。ガン・ホーと山田中尉とは大人と仔犬ほどの大きさの違いがあるのに、

話し合う様は対等、それどころか中尉の方が余程大きな態度です

「私達はただ先に行きたいだけなのです。どうしてあなたがたはそれを妨げるのですか」

「どうしたもこうしたもねえや。俺達はお前さんを捜して来いと、そう命じられてるんだよ」

「何故ですか、私達はなにかあなた方にご迷惑でもかけましたか?」

「あのな、よく聞けこのデカブツ」

「私には『ガン・ホー』という名があるのですが」

「お前みたいなデカい物体はすべからく皆デカブツだ、そんなもんが当て所もなくノコノコ歩いてるだけで十二分に迷惑なんだよ」

「当て所ならばありますよ。そもそもそれを訪ねようと近づいたら・・・」

「いきなり大砲なんか打ってきたんじゃないか」

タケルがぷりぷり怒って合いの手を入れます。

「なんだとぉ!それは、手前らがっ」

「私達はなにも危害を加えていません。無警告で攻撃をしてきたのは明らかに貴方がたに非があると考えますが」

「むむむ・・・」

黙り込む山田中尉。べえ、と舌を出して目を剥くタケルに

「この糞餓鬼ッ!」

と、青筋を立てて掴みかかるところをひょいと身をかわしてくるりと避けます。

「確かに、我々に責任があるようですね」

猫の喧嘩のような二人を放って置いて伊勢崎軍曹が神妙な顔つきで言いました。

「全く以って、申し訳ない」

深々と頭を垂れます。ガン・ホーは慌てて言い添えました。

「いや、心配しないでください。タケルもあんなに元気だし、私は見た目よりも頑丈に出来ているのです」

「見た目で十分、頑丈に見えらね」

諦観の念も十分といったところの久喜曹長。

「で、問題はどうやって君達を連れて行くかだな。黙って僕らについて来てくれればそれでいいのだけれど」

加須軍曹の何気ない声に、逃げ回っていたタケルの足がぴたりと止まりました。

「え、連れて行くって・・・どこへ?」

「決まってらぁ。公主嶺の戦車大隊駐屯地だ。そこから、国に帰す」

ため息ひとつついて山田中尉は言いました。

「まったく、いらねぇ苦労をかけやがって」

「そんな・・・だめだよ。ぼくたちには行かなきゃいけない場所があるんだ」

「おいおい君達、一体全体どこに向かっていたんだい?」

羽生伍長もタケル相手には少しお兄さんのように振舞えるのでした。

「この満州のどこかにあるというZZZ団の秘密基地です」

タケルは大真面目に答えるのですが山田中尉は相手にもしません。

「さっきも言ってたなぁ。掏摸がどうしたとか窃盗団がなんだとか」

「スリーゼット団ですよ、中尉殿。国際戦争協議会のことです」

伊勢崎軍曹の細い目元はほんの少し開かれて暗く輝きました。

「欧州や中南米で暗躍していた一種の秘密結社です。ヤミで武器を売りさばいたり、雇い兵のようなこともしていたそうですが」

「ああ、この間南洋航路で飛行艇を襲った海賊とか言うのが確かそれじゃなかったかな」

加須軍曹も思い出したように言いました。

「二人とも詳しいじゃねえか」

「中尉殿新聞読まないんですか」

「けっ、軍隊はなあ、『秘密結社』なんて得体の知れない連中を相手にはせんのだ」

「・・・ぼくはその飛行艇に乗っていたんです」

ほお、と一同は驚きの声を上げました。

「よく無事だったなぁ君。あんな連中に出会った日にはその場で命を奪われても文句は言えないんだぜ」

加須軍曹はずいぶんと感心した様子です。

「うん、ぼくはなんともなかったんだけど・・・ぼくの、お父さんが」

「お、なんだ敵討ちか坊主」

久喜曹長のそんな声にもかぶりを振って

「さらわれてしまったんです。ZZZ団のガイコツみたいな仮面が、むりやり戦争に協力させるんだって」

伊勢崎軍曹は驚きに目を見張りました。

「あなたはZZZ団の総統に出会ったんですか。銀甲の髑髏、鮮血の眼窩のあの男に」

「誰だそいつは。オバケ屋敷の出し物かなんかか」

「いえ・・・」

訪ねる山田中尉に答えず、なにか考え込む様子の伊勢崎軍曹、

「だから、ぼくは助けたいんです。ZZZ団の基地をみつけて、そこに捕まっているお父さんをぼくらで」
「私達の力で」

タケルとガン・ホー、二人の声が重なりました。

*                         *                            *

「馬鹿かお前達は。そんなこと出来る訳がねえだろ」

さすがに山田中尉も呆れた顔です。

「心がけは立派かもしれないけれどね、それはやっぱり君達のやることじゃないぜ」

加須軍曹も心配そうな様子で諭しました。

「でも、決めたんです、ぼくたちでやろうって。この世の中のだれよりも、大切なお父さんなのだから」

強情なタケルにやれやれと首を振り振り、

「出来もしねえ事を言うもんじゃねえな。少しは身の程わきまえろ」

山田中尉は言いました。

「そんなの、やってみなくちゃわからないよ」

「おや、そうかい」

なにか思い巡らしたような顔をすると足元から小石をひとつ拾い上げました。それは山田中尉の握りこぶしほどの大きさでした。

「なあ、タケル。お前こいつを素手で叩き割れるか」

突然素っ頓狂なことを言われたのでタケルは目をぱちくりさせました。

「え!?そんなこと、出来ないよ」

「なんだあ、やる前からお手上げか?『やってみなくちゃわからない』んなら、やってみろよ。ほれ」

ひょいと放り投げられた小石をあわててつかむと、タケルは山田中尉とその石とを代わる代わるに見つめました。

じっと見つめて意を決すると小さな手を握り締め、渾身の力を込めて叩きつけます

「あ痛っ・・・」

握った拳骨は擦り剥けましたが小石には傷ひとつつきません。たまらず取り落とすと、血の滲んだ傷口を舌で湿します。

「出来ねえのかい」

「こんなの無理だよっ」

涙混じりの目元で山田中尉をにらみつけるタケル。そんな弱々しい視線には少しも動じずに石ころを拾い上げた山田中尉は、手刀を切ると

「せいやッ!」

と一声気合を発し、一撃の下に小石を真っ二つに砕きました。

あまりの出来事にタケルは声も出せません。

「身の程ってのはこういうことだ。自分に出来ることと出来ないことの違いを見極めることさ。いいか、よく聞け。

 『一人前』とか『半人前』ってのはよく言うがな、人間なにをどうすりゃ一人前になれるかなんてことは有りゃしねえ。

 世の中ってのは一歩そこに出ちまえばどんな人間だって一人前なのさ。女だろうが子供だろうが関係なしに、誰もお情けなんぞ掛けやせん。

 こんな石ころひとつ割れねえで満州辺土を渡ってられるか。ここに雁首揃えてる俺の部下はな、全員これぐらいのことは朝飯前だ」

 

「いや、出来ませんて」

思わず返した久喜曹長の答えは、蛇のようなひと睨みの前に黙り込みました。

「分相応、自分に出来ることだけやってりゃいいんだ。おとなしく家に帰んな」

「でも・・・ぼくには帰るところなんて・・・ううん、そうじゃない。ぼくはぼくが帰るところを、家を、自分でさがして見つけたいんだ。
 
 見つけなきゃ、いけないんだ。どこかすみっこに隠れて泣きながら、ただ待ってるだけなんてぼくはいやだ」

 

 

つづく

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