第四話「地底怪獣」(前編)

この章をオーストラリアの「オパール・ハンター」達に捧げる

  タケルはガン・ホーの胸の扉を開けはなって、外へと身を乗り出しました。

足下に広がる湖水からは湯気がもうもうとたちこめ、熱気は操縦席の中にまでじわじわと滲み込んできます。

水蒸気の壁を通り抜けてうごめく影、響く音。タケルは両目をぎゅっと凝らして、必死にそれを探し求めました。

「あそこだ!いたよ、ガン・ホー!!」

地上から差し込む光は地底湖の中を照らし出し、水面にその姿を現した怪物は両腕を振り上げ、ガン・ホーに向って襲いかかりました。

貫き手を切って伸ばされた、鋭い爪がタケルのもとへと迫り――

 

*                         *                            *

 

「大きな機械ねぇ・・・」

目の前に立つガン・ホーの巨体をまじまじと見上げて、道を聞かれた農夫は呆れたように言いました。

「そういう物なら、ここからもう少し先、山の方に行けばあるよ」

「本当ですか、どうもありがとうございます。行ってみます」

タケルは丁寧にお辞儀をすると、ガン・ホーの掌に乗り込みます。

「ありがとうございます」

ガン・ホーもお礼を言うと、タケルを乗せた手を肩口まで持ち上げました。

「まあ、あんたみたいなのはいないと思うけどなあ」

手を振る少年達に別れを告げて、その農夫はまた畑仕事に戻ります。鋤をつないだ馬をどぅどぅと撫でて

「お前も口を聞いたらどうだい」

馬は鼻で笑って答えませんでした。

 

*                         *                            *

 

 透き通るように晴れあがった青空の下、ガン・ホーの肩に乗ったタケルの目には、世界が一望のもとに広がりました。

足元を抜けていく風は草花をそよがせ、頭上を過ぎていく風は雲をなびかせ。

何事もなく穏やかな自然を目の当たりにして、自然とタケルの頬にも笑顔が浮かびました。

でも、そんなタケルの視線の先に、あからさまに不自然なものが飛んでいました。

半球状のドームの下に、なにか円盤状の部分が広がる飛行体。陽の光の中をゆるゆると回りながら飛ぶ様は、

虫ではなく鳥ではなく、飛行機や気球とも異なる姿はさしずめ洋食器、そうまるで「お空を飛ぶお皿 (flying saucer)」 のように見えたのです。

「あっ!あれは、なんだろう・・・」

タケルが指差す先を、ガン・ホーの鋭い目が追いかけました。焦点を絞って謎の飛行物体の姿を視界に収めます。

しかし、ガン・ホーの目がどんなに鋭くとも、それがなんであるかは直ちに判明しません。

「うむ、なんだろうね」

突然風の行く先がつむじを曲げて、ガン・ホーとタケルの前をよぎりました。謎の飛行物体はそれにつられて、

二人のほうにゆるゆると近づいてきます。

すぐそばまで飛んできて、ようやくタケルにはそれがなんだかわかりました。

「ガン・ホー、ちょっとよってみてよ。ぼくたちであれをつかまえなくちゃ」

「ん?どういうことだい、タケル」

「きっとね、どこかに困っている人がいるよ」

ガン・ホーの手のひらでひょっと背を伸ばして、タケルはそれをしっかり握り締めました。得意そうに振り返ると

「やっぱりそうだ、帽子だよ。風に飛んで回っていたんでおかしな形に見えたんだ」

そう言って得意そうに帽子を被ります。黒い革地の野球帽、まるで勝利投手を気取ったようなタケルですが、

「うひゃっ、変なにおいだなあ」

あっという間にサヨナラ安打を打ち返されたような顔に早代わりなのです。

汗や埃や土や煙が互いに混じって、言葉にならないようなにおいが染み付いた帽子を手に、タケルはあたりを見回しました。

「誰か帽子を飛ばされて、困ってる人がいるんじゃないかな」

「それにしても随分高いところを飛んでいたね。一体どれだけ、飛ばされて来たのか」

ガン・ホーも頭をぐるりと回転させてみましたが、周囲に人影は見られません。仕方なく二人は、ゆっくり歩みを進めていきます。

「ねえ、ガン・ホー、この帽子みたいにさあ、風に乗れたらいいだろうね。そうすればぼくら二人で、どこまでだって飛んで行けるのにね」

「空を飛ぶには私は少しばかり重過ぎるよ」

「ぼくだってそうさ、鳥のようにはいかないよ。ああでも――」

タケルは雲の上のほうを遠くまで見て

「――空を飛べたらいいだろうね」

ほんの少し、さびしそうに言いました。

 

*                         *                            *

 

 二人がのんびりと歩いていると、道端になにやら疲れきった有様の男の人が、ひとり腰を下ろしていました。

大きくて重そうなシャベルを一本、杖代わりに立ててがっくりうなだれて。

ガン・ホーの足音にも、少しも興味もわかない様子。けれどもタケルは手に持った帽子と揃いの色合いの上着を代わる代わるに見比べると

「あの、もしかして帽子を無くしませんでしたか」

と、肩口から声をかけました。

帽子、のひとことにその人ははっとガン・ホーを見上げると目も口もまんまるにして驚いた顔をしました。

タケルもガン・ホーも、もうそんなことには慣れっこになっていたので、合図がなくとも自然に腕が下ろされます。

「あ・・・ああっ!」

ぼさぼさに捩れた長髪と、ごま塩のようなヒゲをはやしたその人は、笑っているのだか疲れているのだか判然としない皺を顔によせて、

両腕をぶんぶん振り回します。

「おい、それをどこで拾ったんだ!」

「風に流されて飛んでいたんだよ」

「いや、だからどこで拾った」

「え、え〜と、この先をしばらくもどった辺りでフワフワ飛んでたのを、ちょっと手を伸ばしてつかまえて」

「つかまえた?」

「はい、そうです」

「飛んでるところを?」

「うん、ちょうどぴったり」

「地面に落ちる前に?」

「落とさなかったよ」

その人はもう一度、がっくりと頭を抱え込んでしまいました。

「やれやれ、なんてことをしてくれたんだい」

タケルは不思議そうにガン・ホーを見ました。ガン・ホーも不思議そうにタケルを見ています。

「私達はなにか良くないことをしたのだろうか」

「そ、そうなのかなぁ・・・」

やがてその人はなにか思いついたような顔でタケルを見上げて、おかしな事を言い出しました。

「なあ君、もう一度高いところまで上がってくれないかな」

「え?」

帽子を手に持ったまま、タケルはますます戸惑うばかり。

「いらないんですか、これ」

「いやいやそれはとても大切な物なんだ」

「だったら、どうぞ。ちゃんと汚れを落として、もっときれいにしたほうがいいですよ」

傍から見るとぼろきれと大して変わりがない代物を、タケルは渡そうと手を伸ばすのですが、持ち主のほうは受け取る様子がありません。

「そうじゃなくてな、ああ、でっかい方のあんた」

「私はガン・ホーと言うのですが」

「おお、そうかい。じゃあガン・ホー君よ、そいつ、その帽子をだな、風に乗せて飛ばしてくれというわけなのさ」

タケルとガン・ホーは、またもや不思議そうに顔を見合わせました。

 

*                         *                            *

 

「よーし、もう少し高く、もうちょっとだ」

足元からの指示にあわせて、ガン・ホーは自分の右腕を宣誓する運動選手のように高く、真っ直ぐに伸ばしました。

「うわ、ちょっとこわいなぁ」

流石のタケルも、こんな姿勢でガン・ホーの掌に乗るのは初めてです。

遠くの山並みからかすかに漂う煙が見え、ほんの少し鳥の気持ちがわかったような時、

「今だ!」

大声にちょっとびっくりして、あわてて掴んでいた帽子を手放しました。先ほどは風に乗って飛んでいた帽子ですが、今度はまるでりんごのように

 

ぼとり。

 

と、ガン・ホーの足元に落ちてしまいました。

「これで宜しいのですか?」

「むむむ」

持ち主の人は帽子の落ちた先を見つめて考え込む様子。

「なあ君、もう少し手首のスナップを効かせたほうがいいぜ」

「あ、ご、ごめんなさい。もういちどやりますか」

「いや、いいんだ。今日の場所はここと決まった。さあさちょっとどいてくれ。俺の仕事の邪魔になる」

今度こそその人は地面に落ちた帽子を目深に被って、まるで打席に立つ四番打者のように

大きなシャベルを振り上げて地面を猛然と掘り返しはじめました。

「お仕事?」

おっかなびっくり降りてきたタケルは、こわごわ背中越しにのぞき込みます。

「そうさ、飛んだ帽子の落ちた先に埋まっているものを掘り出すのが俺の仕事なんだ」

「なにか埋まっているのですか」

ガン・ホーも目の絞りを細めて大地を掘り起こす人間の姿を見つめます。

そんな二人を振り返ることなく、その人は一心不乱にシャベルを動かしながら

「夢だよ」

と、よくわからない返事を返したのでタケルとガン・ホーはまたまた不思議そうに顔を見合わせました。

 

「あの、おじさん」

「おじさんはよしてくれ、俺は夢追い人だ」

「あなたは、『ユメオイビト』というお名前なのですか」

ガン・ホーのとんちんかんな問いかけに、その人は顔をしかめて振り返ります。

「俺の名前はグライムズってんだ。山師(やまし)の仕事をしている」

「なんのお仕事ですって?」

「やましい仕事をしてるんだって」

タケルがこっそり言い添える様子に、グライムズはますます渋い顔をしました。

「まったく、最近の若い連中はつくづく物を知らないんだな。山師ってのは鉱夫、つまりは地面を掘り返してそこで眠ってるお宝を見つけ出す、

 崇高で気高い職業なんだぜ。石炭、石油、ダイヤモンドに黄金に、山師が掘り出さなければ全世界が宝の持ち腐れなんだぜおい」

「ご、ごめんなさい・・・」

「申し訳ありません」

小さなタケルと大きなガン・ホー、ふたりがそろえて頭を下げるのをみて、大笑いのグライムズ。

 

*                         *                            *

 

「ひとくちに鉱夫っていっても二種類あってな、ひとつは鉱山会社に雇われている連中さ。こいつらはまるでモグラみたいに何も見ず、

 何も考えずにただお偉い方の言うとおり、 為すがままに穴を掘ってる」

グライムズが得意げに話すのを、ふたりはふんふんと聞いています。

「そこへ行くと俺は違うね。独立独歩の一匹オオカミさ。誰に命令されることもなく、ただ己の心の命じるままに歩き、場所を決め、穴を掘る。

 お前等『ハリモグラ』って生き物を知ってるか」

大小ふたつの頭がふるふると横に振られました。

「俺の故郷、オーストラリアにはそういう生き物がいるんだ。たった一人で旅をする、孤独で自由な生き物だ。

 さしずめこの俺はまさしく鉱山夫の中のハリモグラさね。

 どこに進むか、どこを掘るかはこの帽子と風が教えてくれる。帽子を飛ばして落ちた先が幸運の女神の示した場所だ。

 そこを掘り返してでどでかいひと山を当てるのが俺の夢なんだよ。

 風の向くまま気の向くままにね」

「それで帽子が飛んでたんだ」

「うむ、今日は風が随分飛ばしてくれたもんだ。だが今日の場所はここ、あとは地面の中でグースカ眠ってる夢を、見つけてたたき起こすまでだ」

グライムズはそういうと、手のひらにつばきを吹いて、シャベルの柄を硬く握り締めます。

「なにかお手伝い致しましょうか」

「むむむ、じゃあ手伝ってくれるかな、ガン・ホー君よ」

そこでガン・ホーは、ちょっと地面を掘り返してあげました。

 

 固い音をたてて、シャベルが地面に突き刺さります。掘りまた掘り返しても、それでも出てくるのは石ころと土くればかり。

とうとうグライムズは音を上げて、

先程のようにがっくりシャベルにもたれて座り込んでしまいました。

「なにか、出てきたの?」

「・・・見りゃわかるだろう、なにも出てきやしないよ」

退屈そうなタケルに、顔も上げずに答える姿もすっかり疲れきった有様です。

「・・・夢ってのも難しくてね。なかなか見つかるもんじゃないのさ」

「元気を出してください。どこかもっと別の場所を掘りましょうか」

「・・・それはいいからひとまず俺を引き上げてくれよ」

 ガン・ホーが掘り返した大穴の底では、グライムズはとても小さく見えました。

 

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「ちぇっ、今日の仕事はやめやめ。とっととねぐらに帰ることにすらあね」

 まるで雑巾のようなタオルで額の汗を拭って舌打ちしたグライムズを、タケルは不思議そうに見つめました。

「なんにも見つからなかったのに?」

「なんにも見つからなかったからさ」

「その、それでも大丈夫なのですか?」

ガン・ホーも心配そうに声をかけます。

 

「ああ、なんだか今日はクタクタに疲れたよ」

愛用の帽子をばたばた扇いでグライムズは投げやりな調子で言いました。

「私はまだまだいくらでもお手伝いができますが」

機械の体を持つガン・ホーが汗を流すこともなく、むしろエンジンの回転はいつになく軽快な調子でした。

「むむむ、いやしかしやっぱりだね、自分の夢っていうのは自分の力でつかまなくちゃあイカンよ。そうそう簡単に他人の手を借りちゃあイカン。

 俺の夢は俺の手で掘りださないとな。だからすまんがガン・ホー君、俺の手伝いはもういいぜ」

「そうなのですか・・・」

表情というものをもっていないガン・ホーなのですが、消え入りそうに返答する言葉にはなにかさびしげな色がみえました。

「あ!あー、でもよ」

「はい」

「・・・穴を埋めるのは手伝ってくれるよな」

「もちろん、お手伝いいたしますとも」

辺りに響いたひときわ大きな排気音にグライムズはちょっと顔をしかめましたが、

ともかく三人はいそいそと道の真ん中に開いた大穴を埋め戻しにかかりました。

 

「ねえグライムズさん」

「おお、なんだいタケル君よ」

「穴を掘るのがお仕事だって、言ったよね?」

「おお、その通りよ」

「・・・もしかして、いつもでこうやって穴を埋めて元にもどしているの?」

「おお、その通りだ」

「なんだか、大変だね」

「いやぁ、楽しいもんだぜ、少年。額に汗して夢を探す、なかなか出来ることじゃない。考えてもみろよ、

 世の中一体どれだけの人間が本当に自分のやりたいことが出来ているかをさ」

「やりたいこと?」

「そうさ、本当に自分の心の底からの願いや望みのことだ。普通そういう事柄は『夢』と呼ばれているけれど、

 ほとんどの奴等はそれを叶えることはない。願いもしないこと、望みもしないことを無理にやらされて、ぎりぎり自分をすり減らして、

 気がついたらそもそも自分がどんな希望をもってたのかすっかり忘れちまう。まるで明け方に見た夢みたいにな」

「夢・・・」

「君にだって、夢のひとつやふたつはあるだろう?大きくなったら何になるとかそんなことだ。

 どんなにつまらないものでもいいからそいつは大事にしておきな。

 いつかは叶えられるかも知れない夢を、人はそう簡単に捨てるもんじゃないのさ」

タケルはブルドーザーのように土砂を集めているガン・ホーを見ながら言いました。

「――ぼくたちにも、夢があるよ。それはぜったいかなえなくちゃいけない夢、けしてすててはいけない夢なんだ」

「そりゃ結構。少年よ大志を抱けってなあ」

「ねえ、グライムズさん、この近くで大きな機械がいっぱいあるところを知らない?ぼくたちはそれをさがしてここまで来たんだけど」

「なんだ、そんなもん珍しくもないぞ」

「ほんとに!」

「目の前にいるじゃないか」

グライムズは大地をどすどすと踏み固めている巨大な機械人間を指差しました。

「そうじゃなくてさあ!」

「いやいや、冗談冗談。でもな、鉱山の方にいけばぞろぞろ置いてあるぞ」

「鉱山かぁ、それじゃあぼくたちのさがしているものとはちがうみたいだよ」

「ん?いったい何を探してるんだい」

「ZZZ団という悪者たちの秘密基地をさがしているんです」

「秘密基地だってぇ!?」

グライムズは目をひんむいて驚きました。

 

*                         *                            *

 

 右手にはタケル、左手にはグライムズ、両の手のひらに二人を乗せてガン・ホーはゆっくり脚を運んで行きます。

グライムズは素晴らしい眺めに目を見張りました。

「いやあ、快適快適。理由はどうあれ君らの道行きは楽しそうだなあ」

「それはそうだけど、ねえ本当に鉱山のひとに聞けばなにか分かるの?」

「むむむ、いろんなヤツがいるからなあ、きっと誰か一人ぐらいは詳しいのがいるさ。

 実は秘密結社好きとか趣味が秘密結社研究とか何を隠そう元秘密結社員とかだな」

「ほんとに大丈夫なのかな」

 どうもタケルはいまひとつ信用がおけない様子でした。

「しかしな、君らの話だとこのマンチュリア(満州)に国際戦争協議会の連中がウヨウヨしてるそうだけど、実際出くわしたことはあるのかい」

「いえ、まだZZZ団と直接対峙したことはありません」

「いっそぼくたちの前にやって来ればいいのに。そうしたらすぐに捕まえてお父さんがどこにいるのか白状させるんだ」

「おうおう、勇敢なことだな。けれどなあ、むしろ向こうの方が君たちを捕まえたがってるんじゃないか?ガン・ホー君はこの通り目立つし、

 タケル君、君はいわばアキレスの踵だ」

「アキレスのかかと?」

「無敵の勇者アキレスの、唯一の弱点。鎖の環のもっとも脆いところさ」

「ぼくが、弱点・・・」

「そいつらが瀬生博士か?その、君のお父さんに無理強いさせてなにかやらかそうとしたら人質を取るってのは結構伝統的な手法じゃないか」

「そうか、ZZZ団はお父さんに言うことを聞かせるために、ぼくを捕まえにくるかも知れないんだ」

「悪者ってのは普通は悪いことをするもんだからな」

「タケルは私が守ります。ZZZ団などには指一本触れさせはしません」

ガン・ホーはちょっと胸を張るように答えました。

「そうだな、お前さんがいりゃあ大抵のことは安心だろうな」

「ふふ、そうだね。道端の大きな穴をうめるときにも安心だね!」

今度はタケルが一本とって、笑顔が広がるそのときに、突然大地がぐらりと揺れました。

 

「二人ともしっかりつかまって下さい!」

両脚を踏み締め、上半身を揺れに任せてバランスを保つガン・ホー。タケルは慌てて指先に抱きつきました。

「なに、なに、どうしたのガン・ホー!」

「大丈夫だよ、ただの地震さ。ここんとこ多くてねえ」

すっかり馴れた観のグライムズがのんびり構えるあいだに、もう地面はすっかり静まってしまいます。

「どうやら、収まったようですね」

「びっくりしたぁ・・・はじめてだよこんなこと」

「私もこのような経験をしたことはないよ。それにしてもグライムズさんは随分落ち着いていましたね」

「そりゃ、俺は世界はぐらぐらしてるもんだとよーく知ってるからなあ、別段驚くこともないよ。しかし鉱山会社の連中は大丈夫かねえ、

 幸い今まで事故はないんだが」

幾許か心配ありげな視線の先をタケルが追うと、いくつもの屋根や煙突が連なる鉱夫たちの街が見えてきました。

 

*                         *                            *

 

「よぉ、ブーメラン!今日はまたずいぶんとすげぇ獲物をひろってきたなあ!!」

「ブーメランの旦那、子供なんかつれてきて弟子でも取るつもりかい?」

ガン・ホーの巨体が一歩街路に脚を踏み入れると、たちまち人だかりがわきました。

肌の色も、髪の色も異なる何人もの鉱夫達が頭上のグライムズにむけて声をかけるのですが、

それらはみなひとつのあだ名で呼びかけられていたのです。

「・・・ブーメラン?」

きょとんとしたタケルに向ってグライムズは得意そうに帽子のつばをちょっともち上げました。

「フフフ、そいつは俺の通り名さ。ブーメランというのはな、俺の故郷オーストラリアの伝統的な武具のことだ。サイドスローで素早く投げると、

 獲物に向って猛禽のように飛びかかり、投げた手元に必ず帰ってくる。狙った獲物は逃さない『V』の字型の――

 それはそれは美しい曲線を描いた、芸術性と機能性を兼ね備えた道具なのさ」

茶色く滲みた犬歯を剥いてニヤリと不敵に笑う顔は、さながらオーストラリアの野生犬ディンゴのよう。

 

 こうしてタケルとガン・ホーは、さまようさすらいの山師「ブーメランのグライムズ」と

彼がその二つ名を捨てるきっかけとなった事件に出遭ったのです。

 

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 まっすぐだったりねじれていたり、高かったり低かったり、狭かったりもっと狭かったりとでたらめに行列する鉱山街の中をうねる街路を通って、

グライムズが二人を連れてきたのはとても変わった建物でした。

それほど大きくもなく小さくもなく、ただ幾度も修繕を重ねてきた概観はもとの形がどんなふうだったか想像もつかぬ有様で、

つっかい棒で外壁を支えているところなどはいまにも崩れ落ちそう。しかしそんな、かろうじて世界にへばりついたような外観よりも

もっとずっと二人の目を惹いたのは建物の前に立つ一本の柱でした。

「なんて書いてあるの、これ?」

「どうやら世界中の様々な言語が用いられているようですね」

 電信柱のようにまっすぐ立った柱には、なにかの看板のような板切れが打ちつけられていました。

しかしその数たるや上から下まで際限なく貼り付けられてもう簡単には数え切れず、

おまけに一枚一枚がてんでばらばらの言葉で書かれていて、さしずめ交差点が酔っ払って、

どこにも行き先を示さなくなってしまったかのような姿なのです。

「んー、ここが世界で一番大事な中心の場所だってことが書いてあるのさ。およそ文明の路の果てから辿り着いた者なれば、

 まさに己の母なる言を見つけるべし。君らの国の言葉もどっかに書いてあるだろうぜきっと」

 そう言われてふたりがようよう目を凝らすと確かに矢張り、日本語で書かれた板が一枚ありました。

「『いざかや』って書いてあるけど?」

「ああ、ここは居酒屋なのですか」

「ま、呼び名はいろいろあるけどな。世界で一番大事な中心の場所は気持ちよく酒が飲めるところに決まってる」

「でもお酒なんて、ぼくもガン・ホーも飲まないよ。そんなところって大事でもないけどなあ」

「むむむ、それはもっと大きくなればわかるぞ」

「私もですか」

「・・・それはどうだろう」

 

*                         *                            *

 

 十分大きなガン・ホーを道端に残して、グライムズはタケルを居酒屋の中へいざないました。

ひとたび扉をくぐるとそこは子供の知らない世界なのです。

お店の中の片側は、丸や四角のテーブルが脈絡もなく並べられ、そこについた人々が思い思いの酒器を手に、手札や骨牌に興じています。

反対側には端から端までの長いカウンターにもたれる人が、あるいは互いにあるいは一人で延々となにか論議を交わし。

壁際には色とりどりのラベルで着飾ったボトルが並び、もうもうと立ち込める煙のなかから賽子が転がりだすそんな場所。

そんなところをはじめて目にするタケルの方を、店中から思いつくかぎりの人種の人々がじろりとにらみつけました。

 

「ここはガキが来るような場所じゃねえぞ」

 悪所に相応しい面相の客がひとり、刺すような目と声を向けます。言葉も出ないタケルの背後から悠々と進むグライムズが投げ返した返事は

「これは俺の客人さ。無礼があったら只じゃおかねえぞ」

と、まるで鞘走るナイフの切れ味。見えない電流のような緊張にタケルは圧倒されたのですが、

人相の悪い客が肩をすくめて行ってしまうとふぅとひと息つきました。

 

「なんじゃいブーメラン、そいつはあんたの子供かい」

カウンターの向こう側から親しげな言葉が掛けられ、ふたりがそちらを振り向けば、

黒い丸眼鏡を掛けた小柄な老人が椅子代わりの脚立に腰掛けてにこにこ笑っていました。

「おいおい、自由なる夢追い人は家族にしばられたりはしないもんだぜ、爺さん。こいつはタケルって言ってな、今日俺の仕事を手伝ってくれたんだ」

グライムズは半ば無理やりスツールに体をねじ込むと、店主の老人にタケルを紹介しました。ぺこりと頭を下げても言葉にならないタケル。

「仕事じゃって?どうせまた無闇矢鱈に穴掘っちゃあ埋めて帰ってきただけじゃろ」

「――図星だ。よく分かったな」

「いつもそうじゃろ。大体お前さんが何か掘り当てるよな事があれば天地がひっくり返るわい。

 ここに来てから一度だって金目のものを出した例しもなかろうに」

「・・・やっぱりそうなんだ」

「ははん、心配するな。いつかはデッカイ宝の山を掘り当てるさ。鉱山会社の連中なんぞ、足元にも及ばないようなお宝をな。

 叶えるまでは潰えないのが夢ってもんよ。まあ、ともかく一杯黒ビールを、それから・・・」

「お前さんに売る酒なんぞ無いわい」

「なンだとぉ!」

一秒前には友達同士のようだったのに、一秒後には互いに仇敵のような有様。

それでも老人はくしゃくしゃな笑顔でたもとから帳面を取り出しました。

「まず今月分の未払いのツケを払い、而して先月分の溜め込んだツケを払い、遡って先々月の熟成したツケを払ってもらわねばの」

「いや、そりゃいずれお宝掘り出したときに、な」

「そう言っておればいずれワシが老いて死ぬと思っとるんだろうに」

「勘弁してくれ、爺さん。ともかく俺と客人に一杯ずつ、頼むよ」

情けない顔で拝み倒すグライムズを見つめるタケル。老人は黒眼鏡の向こう側を少しも悟らせずに言いました。

「子供の前でみっともない真似をするものでもないの」

「そうだろうそうだろう」

「ワシの仕事は正当な代価に見合ったサービスを提供するもんじゃ。情に溺れてただ酒を振舞うなどとみっともない真似はできん」

「畜生、金の亡者め!待ってろよタケル、すぐにひと財産作ってくるからなあ」

カウンターに拳固を叩きつけると、グライムズは憤然と席を立ってテーブルの方に消えてしまいました。

「えっ、えっちょっと、待ってよグライムズさん・・・」

一人取り残されたタケルは戸惑うばかり。けれども老人は優しく語り掛けました。

「心配しなさんな、坊や。ああ見えても結構したたかな男じゃからな」

「そうなのかなぁ・・・」

「まあ一息つきなさい。これぐらい、金はとらんて」

カウンターの下から魔法のように取り出されたのは澄んだ清水の入った湯呑みでした。

「あ、ありがとうございます。いただきます」

ひとくち飲み込めばたちまちどんな疲れも癒されそうな水の一杯にタケルの顔は笑顔がいっぱいひろがりました。

「二杯目からは有料じゃぞ」

という言葉にも、微笑みをかえせるほどに。

 

「で、坊や。こんな場所になんの用事かね。矢張り子供が来るのに相応しい場所ではないのじゃがね」

「ぼくは悪いやつらを探してるんです」

「・・・成程のう」

老人は店中を見渡してさも納得したように頷きました。

 

*                         *                            *

 

「ここにいる連中は本当は土竜(もぐら)に生まれてくる筈だったのに何を間違えたのか人間になってしまったような者ばかりでの、

 穴掘りしか出来ることが無いのじゃよ。

 そういう者達が世間様の中で生きていくとしたら、銀行に押し込むか刑務所を脱走する手伝いぐらいしか働くところが無い。

 運良く鉄道会社でトンネルでも掘れればよいが、そうでなければ鉱山で務める以外には世のため人のためにならんことばかりなのじゃよ。

 確かに良い人間ばかりではないがだからといってそうそう悪い連中でもないぞ」

話がおかしなところに行きそうになったので、タケルはあわてて首を振りました。

「そうじゃないんです、ぼくが探してるのはZZZ団といってもっと、ずっと、本当に悪いやつらなんです」

「ああ、坊やはZZZ団を探しているのかね」

「お爺さん、知ってるんですか」

「知っとる知っとる。以前チリとペルーの国境いに秘密の地下随道を掘って戦争を起こそうとしたことがあっての、穴掘りが随分雇われたそうじゃ。

 結局その企ては阻止されたのじゃが無理に働かされて大勢が死んだらしい。気の毒なことじゃな」

「ぼくのお父さんがまさに今、無理にさらわれてこの満州のどこかに囚われているんです・・・」

「なんとなんと、それはまた気の毒なことに。しかし連中はいまこんなところにまで手を広げているのかね」

「・・・そうみたいなんですけど、なんにも手がかりが見つからなくて」

タケルはしょんぼりとうつむいてしまいました。カウンターの木目も、まるで今の心中を暗示するようにぐるぐると渦を巻いています。

「まあまあ坊や、そんな顔をするもんじゃない。確かに連中『秘密』結社だけあってなかなか姿を見せぬものじゃが、

 秘密結社というものはそれなりに目立ちたがりでの、

 必ずどこかで尻尾を出しているはずじゃ。それを見つけて辿っていけば、間違いなくみつけられよう」

「しっぽ?」

「そうそう、さかとげのついた黒い尻尾をな、出さずにいられぬのが悪魔たる者の性分じゃからなあ」

老人はそういって慰めると、仙人のような笑みをうかべました。

 

「おおぅ、なんだい爺さんシッポ生えてんのか?すげえ秘密だなぁ」

席を外していたグライムズがにこにこ笑顔で戻ってくると、カウンターの上に硬貨をじゃらじゃら並べおきます。

「なんじゃブーメラン、誰からスリとって来た?」

「紳士に無礼な口の聞き方はやめていただこう。ちょっとカードを切ってきたのさ」

「紳士はいかさま勝負はしないものじゃろ」

「バレないイカサマはこれを芸術というのだ。さあこれで黒曜石を溶かしたようなイカしたビールを一杯いただこうか。

それからタケルよ、なんでもいいから注文しろよ」

「え、ぼくはお水をもらったから」

「居酒屋で水だけ飲んで帰るやつがあるかよ、なぁ爺さん。

 ここは世界中のはぐれ者達が集まる世界中のアルコールを集めた名も無き偉大な酒場なんだぜ」

「昔は名前があったんじゃがな、看板を増やしていくうちに見えなくなってしまったのじゃ。なにしろいろいろな連中が集まってくるからのう」

「タケルよぉ、お前だってこんな異郷を旅していれば、故郷の味が懐かしく思えるもんだぜ。ニッポンの酒だってこの爺さんなら仕入れてるさ」

「ぼ、ぼくはお酒なんてなつかしくないですから、その・・・」

あわてたタケルは小声で老人に告げたのですが、そのときたまたま天使が傍らを通り過ぎたので、声は店中に響きました。

 

「ミルクをください」

 

 その場に居合わせたすべての人間がタケルのことを注視し、次の瞬間大笑いの渦が生まれました。

「え、え、ぼ、ぼくなにか変なこと言ったかな・・・」

「いやいや、お前さん大物になるぜ、こいつは是非とも奢ってやらにゃあ」

グライムズは何が楽しいのか拳でどんどんカウンターを叩き、老人に何事か耳打ちします。

「いやブーメラン、それはまずいぞ」

「まずいから面白いんだよ。まだアレ、残ってんだろ?」

「まあ残っておるが・・・」

老人は渋々カウンターの下に潜りこむと、陶器の甕からなんだかどろりとした白い液体を茶碗にそそぎました。

「そら、ミルクだぜタケル」

それはあきらかにミルクではありませんでした。なにか発酵しすぎたヨーグルトか、あるいは単に腐って痛んだ牛乳か。

「なんだか変なにおいがするんだけど」

「ここら辺の牛はそういうミルクを出すんだ。都会育ちのお坊ちゃんの口には合わんかな?

 しかしわざわざマンチュリアくんだりまで旅をしようって心意気の男がな、まずいミルクはいりませんなんて言っていられるか?

 そいつはちょっと覚悟が足りないんじゃないかなぁ」

覚悟、の言葉にはっとなるタケル。それは彼の、心の中にある琴の線をかき鳴らす言葉なのです。

「これぐらい平気さ、大丈夫だよ!」

「おーそれじゃあ乾杯だ。世界平和が永遠でありますように、俺の足元から黄金白銀がぞろぞろ湧き出しますように」

グライムズは泡立つ黒ビールがたっぷりそそがれた大きなマグをがちんと鳴らすと、ぐびぐび一口に飲み干しました。

口元にクリームのような泡をつけたまま広がるのは極上の微笑みで、それを見たタケルも必死に息をがまんして

自分の茶碗の中身を無理やり飲み下します。

苦くて酸っぱい、ヨーグルトとビールを混ぜて出来上がったような液体がこくりこくりと飲み込まれ――

 

「・・・やっぱりこれ、ミルクなんかじゃ、ない・・・よ」

 

――知らずに蒙古の馬乳酒を飲まされたタケルはそのままひっくり返って気絶してしまいました。

 

*                         *                            *

 

 どこか遠くで大勢の人が怒鳴りあったり、重い靴を踏み鳴らす音が聞こえていましたが、タケルの体は空を飛んでいました。

周りはみな漆黒の闇に包まれていましたが、天も地も見えぬ空を、雨に打たれる鳥のように真っ直ぐに飛んでいたのです。

すると目の前に小さな子供がひとり、しゃがんで泣いているのが見えました。

その子供は立てて抱えた膝の間に顔を沈めて声も出さずにいるのですが、タケルには泣いているのだとわかったのです。

遥か彼方で大きな雷のような音が響きましたが、構わずタケルはその子に声を掛けました。

「ねえ、きみ――」

 

「おい、君!タケル君!!起きてくれると有難いんだが」

グライムズの必死な呼びかけでタケルは夢から覚めました。

寝転がっていた地面から上体を起こすと、目の前にはグライムズのあの野球帽が落ちています。

「あれ、こんなところに落としちゃったらだめだよ、だいじな物なのに」

「いやあ、俺は今それどころじゃないのさ」

見ればグライムズは逆さになったままバンザイをし、ぼさぼさの髪もほうきのように垂れ下がっています。

「グライムズさん・・・なんで・・・逆立ちなんかしてるの?」

「それは見解の相違というヤツだな。俺から見ると君の方が逆さに見えるんだよ」

「うーん、そうなのかな・・・。なんだか、頭がぐるぐるするんだ」

タケルはまただんだんと気が遠くなっていくように感じました。

「ああすまんタケル君、もう一度気絶するならその前にガン・ホー君に俺を降ろすよう説得してくれるかな」

よくよく見ればグライムズは、両足をガン・ホーにつかまれて畑から引き抜かれた大根のように逆さに吊られているのでした。

「うわっ!どうしたの、駄目だよガン・ホー!」

「おい見ろ、ガキは無事だぞっ!」

背中から響く声に振り向くと、あの居酒屋はなぜだか少し、斜めに傾いでいました。

そしてその前には椅子やテーブルで急ごしらえのバリケードが作られて、

その向こう側にはついさっきまでは酒器をかざしていた鉱夫たちが、

いまや手に手にシャベルやツルハシをもって戦々恐々、立て籠もっているのです。

まるで市街戦のような光景にタケルはびっくり仰天してしまいました。

「い、いったいなにがどうして・・・」

「君の健康状態について俺とガン・ホー君との間に見解の相違があってねえ」

グライムズは逆さになったまま困ったような、照れたような、なんだかよくわからない顔で笑っていました。

しかしガン・ホーの目はいまにも火を噴きそうに真っ赤に光っているのです。

「タケル!あああ大丈夫なんだね!よかった、そこで座って待っていてくれ。すぐにあの連中を皆打ち倒してしまうから!」

「おい坊や、デカブツに言い聞かせてやれッ!悪ぃのは全部そこに吊るされてるブーメランだってな!俺たちは無関係なんだ!」

人々はまるでなにか恐ろしいものでも見たような悲鳴を上げて必死に嘆願します。

マシーネン・メンシェのガン・ホーは鋼鉄の脚を重々しく踏み出し、居酒屋とそこに立て籠もる鉱夫に迫りました。

その足音だけでもう店がぐらぐら揺れだします。

「この兄さんは倒れた君が担ぎ出されて来るのを一目見るなりすっかりオーバーヒートしちまって、

 ご覧の通りエンパイア・ステート・ビルにでも登りだしそうな勢いなんだよ」

グライムズは大猿にかどわかされた美女のような悲鳴こそ上げませんが、逆さになったまま肩をすくめて

「早いとこ止めてくれないと俺は進水式のシャンペンみたいに粉々にされちまうなあ」

それでもやっぱり、どこか楽しそうな顔で言うのです。

ガン・ホーが「ブーメランのグライムズ」をまるで「こん棒のグライムズ」のように振り上げると、

今まで兵隊のように立て籠もっていた人々はコーラス隊のような悲鳴をあげました。

タケルはもう大慌てで両者の間に割って入ります。

「やめてよ、ガン・ホー!こんなことしちゃいけない!!」

「しかし彼らは君をひどい目に合わせたのだよ」

「大丈夫、ぼくはもう大丈夫だから!」

にっこり笑ってかかとでくるりと回ってみせるタケル。

「ほらね」

そんなことをしてますます気分は悪くなったのですが、それでも無理に笑顔を作りました。

ガン・ホーはグライムズを石ころのように放り出すと、タケルの傍らに跪きます。

「ほ、本当に大丈夫なのかい」

「もう、全然平気だよ」

真っ青な笑みで、あぶら汗を浮かべたタケルは――

そのままふらっと倒れこみます。

「ああっ!」

げえげえ咳き込むタケルのもとへ、必死の勢いで鋼鉄の腕を差し伸べるガン・ホー。

「危ねェぞ大将!坊主が潰れちまうじゃねえか」

今度は投げ捨てられてぼろきれのようになったグライムズが、ふたりの間に割って入りました。

「こういうときはな、経験の蓄積が物を言うのさ」

酔っ払いを介抱する正しい手順に従って背中をさすり、ものを吐かせて。

そういうことを知らないガン・ホーは巨躯を震わせおろおろするばかりです。

「まったく、子供に酒を飲ませるなんて酷い大人もいたもんだ」

「それはお前だっ!」

誰かが放り投げた空き瓶が、見事な放物線を描いてグライムズに命中しました。

「やりやがったなこん畜生!ひとをベーコンの塊りみたいに放り出しやがって友達甲斐のない、薄情どもめ!」

「全部手前の責任だろが、ブーメラン!」  

グライムズは最前のガン・ホーのように居酒屋の前の人々を睨みつけ、たちまち一触即発、今にも火を噴き出しそうな有様です。

「あ、あの・・・」

ガン・ホーの視線は高いところから互いの間を行ったり来たり。

「みなさん喧嘩はやめてください」

「あんたが言うな!」

そこら中の人間が指をさして糾弾したのでガン・ホーは全く以って困ってしまいました。

 

*                         *                            *

 

 全部もどしてすっきりしたタケルは、それでもまだちょっと青白い顔を上げて立ち上がりました。

ガン・ホーもグライムズもようやくそれぞれの矛先を収め、バリケードにされていたテーブル達も元通りに直される様子。

「よかったぁ、これでちゃんと・・・」

ところがちゃんとなるどころではなく、タケルの膝はまたもがくがく震えだします。辺りの光景も揺れ始め、

ガン・ホーの体もふらりとバランスを崩すように見え、

 

「地震だぁっ!みんな逃げろっ!!」

 

 人々は大声を上げて街路に飛び出してきました。多くの人はいかにも高級そうなラベルのついたボトルを抱えて全速力で。

窓といわず扉といわず羽目板を蹴破ってまで大勢飛び出してきたので、ただでさえ傾いでいた建物はあっというまに崩れ落ち、

世界中の言葉を打ちつけた柱も根元からぽっきり折れてしまいます。

「私の下に入ってください!」

ガン・ホーは両手足をついて天蓋のようになり、そのままタケルやグライムズや何人ものひとを守りました。

「・・・ありゃりゃ、こいつは大変だなあ」

壊れた屋根や壁を見て、どこか他人事のようにグライムズは呟きます。

「皆さんお怪我はありませんか?」

ガン・ホーの下からおそるおそる這い出してきた人たちは、互いの無事を確かめながら心配そうに辺りを見回しました。

「あのおじいさんがいないよ!」

タケルの言葉通り、店主の老人の姿はどこにもありません。

「・・・ああ、爺さんもとうとうお陀仏か」

「こりゃあ手向けに一杯やらないとなあ」

持ち出された酒瓶がそこかしこで傾けられ、勝手に酒宴が始まりますが、ガン・ホーとタケルは目もくれずに瓦礫のなかへ入っていきます。

「だいじょうぶですか!返事をしてください!」

タケルは必死に呼びかけ、ガン・ホーは梁や柱を取り分けて老人の姿を捜し求めました。

流石にふたりの様子をみて、ほろ酔いの人々も加わります。

「あの爺さんのことだからな、店一番の銘酒のそばでくたばってるに違いないさ」

グライムズの言葉に衝撃を受けるタケル。

「そんなことないよ!きっと、きっと大丈夫だよ」

果たして、店主の老人はカウンターの裏側で見つかりました。

平然と柄杓でお酒をくみつつ怪我ひとつ無い無事な姿で。

「よ、よかったぁ・・・」

泣き出しそうになりながら、タケルは笑顔を絞り出します。

「ひょひょひょ、世界で一番しっかり地面に立っとるのはの、真っ直ぐ飛べない渡り鳥が翼を休める止まり木じゃ」

年を経た樫の大木のようにどっしりと、居酒屋のカウンターは傷ひとつなく人を守っていたのです。

「それになによりワシにも大切で守らねばならぬものがある。おいそれとここを逃げ出すわけにもいかんのじゃ」

「おう、それよそれ!一体全体爺さんが身命を賭して守る酒ってのはどんな貴重なもんかねえ」

そんな言葉ににこにこ笑って、老人はふところに手を入れました。

「それはもちろん、」

生唾を飲み、喉を鳴らす酔っ払いたち。

「勘定書きじゃよ」

一同は束ねられた書付を目にして、宿酔いのような顔色に変わりました。

 

*                         *                            *

 

 結局その後「安全のために一時的に店外に避難させられていた」酒瓶たちは平和裏に店主の手に戻り、

鉱夫たちは「恩知らずにもどこかへ消えてしまったアルコールども」についてひとしきり愚痴をこぼして、

「極めて自然に発生した義勇精神」を発揮して居酒屋の再建作業を始めました。

 

「親子の愛も、兄弟の愛も、酔っ払い同士の愛には敵いっこない」

 

適当なふしで、適当な歌を歌いながら働く大勢の人たち。歌こそ歌いませんがガン・ホーはその腕や脚を存分にふるって働きます。

「楽しそうだなあガン・ホー君よ」

「ああ、そうですね。『楽しい』とはこういうことなのでしょうね」

グライムズに応じるガン・ホーの声はまるで笑っているかのよう。

ひとつ輝く赤い目も、鋼鉄製の頬にも、どこにも感情を現す装置は備わっていないのですが。

「困ってるヤツを手助けするってのはいいもんだな」

ガン・ホーはほんのすこし、身じろぎして動きを止めました。

「ん、どうかしたかい?」

「いえ、何でもありません」

ガン・ホーはそのあともせっせと働き続けましたが、何を思っていたのかはグライムズにはわからないのでした。

 

*                         *                            *

 

 「名も無き居酒屋が無事に再建されることを願って」即席で開催された露天の宴会がすっかり終わって、

夕暮れの路地をタケルとグライムズはとぼとぼと歩いていました

タケルは普通に歩いているのですが、その肩にもたれたグライムズをずた袋のように引きずっているからです。

「ガン・ホーはモータープールにいるって言ってたけど、ぼくはやっぱり、おじいさんのところに泊めてもらえばよかったかな」

「おいおい、あそこぁまだ壁も出来てねえじゃねえか。酒でも飲まねえと一晩で凍死さ」

すっかり出来上がったグライムズから出てくる酒臭い言葉に、たまらずタケルは顔をしかめます。

「おじいさんのことは心配じゃないの?」

「あの爺ぃは一見すると人間のように見えるが実は土の妖精だからな、心配いらねぇよ」

「もう、うそばっかり。グライムズさん、お酒飲み過ぎだよ」

「良いかねタケル君!この世界でもっとも高貴で美しいものはロハで飲める酒なのだ。大人になればわかる、君にもわかる」

「そんなの、わかりたくないよ」

「わかりたくなかろうがなんだろうが人は皆そういう階段を登って生きていくのさ。おい、ちょっと待った!」

「え、まだお腹になにか残ってるの!?」

「そうじゃない、ここが俺の家だ」

それはそれは今にも潰れてしまいそうな一軒の小屋の、ちょうど前に二人は立っていました。

 

 立て付けの悪い扉を蹴り飛ばして、グライムズはタケルを我が家に招き入れました。ランプの炎が灯されて、部屋のなかを照らし出します。

タケルはそれなりにお行儀のよい少年なので、決して大声で第一印象を叫んだりはしませんでしたが、それでも

「うゎ」

と驚きの声がこぼれてしまいました。何しろその部屋はまったく整理も整頓もされておらずに乱雑で、

ハウスメイドの悪夢を具現化したような有様だったからです。

「汚いとこだけどな、まあ楽にしてくれ」

そう言ってグライムズはベッドだかテーブルだかよくわからない、とりあえず平たいところに腰掛けたのですが

それでもう、部屋には足の踏み場もありません。

仕方なくタケルは鍋にも洗面器にも見える物体をどかしてその隙間に腰を下ろしました。

「どこかにスコッチの一本でも転がってりゃいいんだが、あいにくこないだ全部蒸発しちまってな」

「い、いいよお酒はもうたくさん!」

「むむむ、それでは特にやることもないぞ。寝るとするか」

「ぼくはどこに寝ればいいんだろう・・・」

「使ってない寝袋があるから貸してやるよ」

ベッドらしき場所の奥からなにやらひもでぐるぐる巻きにされたものが投げてよこされます。

一体何年放りっぱなしになっていたのか見当もつかないかび臭い寝袋をほどくと、中からなにか紙切れが。

タケルが拾ってランプの明かりにかざしたものは、セピア色に褪せた写真でした。

 

 小さな建物、なにか看板を掲げた事務所のような建物の前で朗らかに笑う数人の男女。

揃いのズボン、揃いの開襟シャツ、つばの片方を小粋に折り上げた揃いのブーニーハットを被った彼等は、

揃って世界の中心にいるかのような笑顔を浮かべていました。

戸口に下げられた花の環が、なにかの始まりを祝うように真っ白な建物を飾っています。

人々のちょうど真ん中にいる青年が十数年ほど年齢を重ねると、

この狭い部屋でだらしなく寝転がっている人物にそっくりになることにタケルは気がつきました。

 

「これってもしかして、むかしのグライムズさん?」

「んー、なんだそんなところに入ってたのか」

タケルの手から写真を受け取ると、目もくれずに部屋の奥に放り投げてしまいます。

「・・・忘れちまったよ。もう昔のことさ」

ランプを消してふたりは休みましたが、寝入りばなにタケルの耳には

「飛ばないものは、ブーメランとは言わないんだ」

そう呟く声が聞こえました。

 

*                         *                            *

 

 夜のとばりが街に降りて、ようやく鉱山の街にも静けさが広がる時間。

ガン・ホーは鉱山会社で使われている貨物トラックやブルドーザーと並んでモータープールに膝をついていました。

鋼鉄の腕を夜空に伸ばし、拳をにぎりまた開いて、じっと手を見つめます。

「困っている人を助けることは楽しい」

独り呟く声に、傍らにいる機械たちは返事を返しません。

「しかし、それは正しいことなのだろうか?」

何かを探し求めるように、星々を見る機械の目。

「良いことなのだろうか?」

誰に向けた訳でもない問いかけは、夜の闇に熔けて消えて行きました。

 

つづく

 


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