第四話「地底怪獣」(中篇)

 


 フライパンで油の焦げる気持ちよい香ばしさに、タケルは目を覚ましました。

それは当たり前のように平穏な世界。食卓には焼きたてのパンがたっぷりと籠に盛られ、

その横には瑞々しいサラダが今にも鉢からあふれんばかり。

大きなティーポットからは灯し火のように湯気が立ち、キッチンの中ではエプロン姿のシルエットが鼻歌交じりで幸せの魔法をかけて、

なにか美味しそうなものをこしらえています。

 いつもと変わらぬ下宿家の、いつもと変わらぬ朝の時間。

 

「おはようございます、リリィさん」

いつものようにキッチンに一声かけたタケルは、

「おはよう、お父さん」

いつもと違って誰もいないテーブルに向き合いました。真っ黒な渦巻きが目の前でぐるぐると動き出して、それはだんだんはっきりとした姿をとって

 

「あ?ああ・・・」

 

深みのない黒い渦、平面の闇。魂を持たぬ瞳のように、立ちはだかるもの。なにもないもの。

 

 タケルはヤニと油と埃と時間でうっそうと黒ずんだ天井の、羽目板の木目とまっすぐ見つめ合っていました。

固い床板からゆっくりと背中を剥がして起き上がると、まだ幼い時分に親しんだ金髪を三つに編んだ家政婦の姿はどこにも見えず、

狭い台所に窮屈そうに屈みこんだこの狭い家の主の背中が映りました。

「よぉ、起きてきたかい。空腹は最高の目覚まし時計だな」

 背を向けたままグライムズは、ささやかな作りのかまどに木屑を放り込んでいます。

傍らには何本かの棒切れが並べられ、見る間に腕が伸ばされてその一本を掴みました。

右手のナイフがきらりと滑ると、左手の木片が面取りされて形になります。荒削りだった棒切れは次第に流れるような姿に変わり、

時折おが屑が火口に放り込まれると炎はぱっと火勢をあげて、小さなフライパンの上では何かが炒められていました。

「これは、なに?」

と、タケルが問うたのはその木彫り細工のことだったのですが、

興味とも疑りともつかぬ起き抜けの声にはなにか不思議そうな色でも含まれていたのでしょうか、

グライムズはちょっと鼻を鳴らして答えました。

「見ての通り朝食の献立だよ。今日のメニューは『ハムエッグ但し卵は抜きで』という俺の得意料理だ」

「・・・それはただの『ハム』って言うんじゃないの?」

「おいおい、物の価値は心意気で決まるもんだぜ、さあさあ顔を洗ってきな」

 

井戸の水は心地よい冷たさで、昨日の疲れなどいっぺんで洗い流してしまいます。

まぶしい太陽の光は陰りを拭い去って、タケルの上にも新しい朝がやってきました。

 

『ハムエッグ但し卵は抜きで』をもそもそと食べるふたり。お茶の葉はすこし黴臭い味がしたのですが、

グライムズは慣れた手つきで口の欠けた湯呑みからお茶を飲んでいます。

そしてどうにも困ったような顔でいるタケルに、にこにこ笑って聞きました。

「どうだ美味かったか?」

「えっ!その・・・うん、おいしかった・・・ですよ」

「そうかそうか」 

ちょっとうつむいて節目がちに答えたタケルの頭を、節くれだった大きな手が掴みました。

「作った当人がちっとも美味しいと思わないのに随分と不思議な奴だが、不味い時には不味いと言った方が精神的には健康だぞ。

 嘘はいかん、嘘は」

ぐいぐいと振り回されて、タケルはたまらずほんとうのことを口にしてしまいます。

「あんまり、おいしくないです、ごめんなさい」

「何、あやまるこたぁねえよ」

グライムズはむしろ楽しそうな様子。

「美味かろうが不味かろうが、食っていかなきゃ人間生きて行けないからな。我慢することも大事だけどな、

 我慢しなくたっていいことはしなくてもいいのさ」

「でも、でもね・・・」

タケルは考え込んで言いました。

「お父さんはどうしてるかなって、ちょっと思ったんだ。ZZZ団に捕まって、どんな目にあわされているんだろう、

 ごはんはちゃんと食べているのかなあってさ。そう思ったらなんだかぼくも、あんまりぜいたく言っちゃいけないんだろうなって考えちゃって」

「まあ、そうだなぁ、多分あんまり良いものは食べてないだろうな。刑務所の食事みたいなもんじゃないかな?」

「・・・きっと、そんな感じなんだろうね」

目の前にある食事も、それと大差はなかったのですが、タケルは深く深くため息をつきました。

 

*                         *                            *

 

 まるで一流のホテルに相応しいような豪勢な朝食の数々が並べられたテーブルを前に、瀬生博士は深く深くため息をつきました。

いくつもの種類のパンが籠から溢れ出しそう。丁度よい具合に蒸し焼きにされた目玉焼きのふたつならんだ黄身は

カリカリに炒められたベーコンと綺麗に盛り合され、マーマレードとバターの小鉢が、行儀よく食卓の真ん中に収まっています。

見目にも優しそうな果物の山や、ドレッシングが丁度よいあんばいに飾られた青野菜のサラダなど健康によい品々も、

瀬生博士の苦悩を打ち消しはしません。

 

「どうしたい、不機嫌そうな顔をして。美味かろうが不味かろうが、食べていかなければ人間生きて行くけんぞ」

向かいに座ったアンリ・コアンダは朝から旺盛な食欲を発揮してポーク・パテをバゲットに塗りつけ、手作りのオープンサンドをこしらえていました。

「パリじゃこんなのは並みの並みもいいところだが、秘密結社のアジトで出てくる料理帳を編集するなら三ツ星をくれてやったっていい」

「いや、私は別に味の優劣がどうのこうのと言っている訳ではないんだ」

眉間に深く皺をよせて、瀬生博士は答えました。

「意に沿わぬままこんなところに幽閉されて、ただ諾々と食餌を受けて良いものだろうかと思ってね。やはりハンガー・ストライキでも実行するかな」

背後に立っているZZZ団隊員が、ちょっと眉をひそませました。

「ハンストなんぞやめておけ、ありゃその・・・腹が減るぞ」

「それはそうだろう」

「腹が減れば脳に血液が回らん。一人の学究の徒としては、脳が活動しない状態を良しとは言えんよ」

「活動しないほうがましさ、私にとってはね」

「ろくな事を考えないのは寝不足な証拠だなあ、おい君、コーヒーを持ってきてくれ!」

指を弾くと戦闘服にエプロン姿の給仕役ZZZ団隊員が食卓に駆け寄りました。

「まったく、ここのコーヒーだけはすさまじくひどい味がするな、まるで拷問のようで・・・少しは心が落ち着くか」

カップに注がれる薄茶色の流れを見ながら、ため息をつく瀬生博士。

「それについては同感だよ」

アンリ・コアンダは笑って言いました。

「せめてグラスでよいから、ワインがほしいものだね」

「日中の飲酒は厳に慎むようにと、総統閣下より下命されております」

給仕役のZZZ団隊員は表情ひとつ変えません。

「そうは言ってもクルチェフスキー君は朝昼晩とバケツのように飲みまくっているじゃないか。今朝だってベッドの中から出て来やしない」

「あの方は例外にせよと、総統閣下より下命されております」

「なんという不公平!自由はいったいどこにあるのか!これではまるで囚人のようではないかね!?」

大げさに身を竦めるアンリ・コアンダの姿に、瀬生博士は少しだけ笑みを浮かべました。

 

*                         *                            *

 

「で、今日はなにをするかというとだな」

グライムズはまるで名探偵のように一本指を立ててタケルに言いました。

「大事なことはまず情報だ。ZZZ団は一体どこにいるのか調べねばならない」

「うん、そうだね」

まるで名探偵の助手のように、ふんふんとうなずくタケル。

「そのためには少なからず調査費用も必要だろう」

「うん、そうだね」

「しかし俺には金がない」

「うん、そうだね」

「あんまりきっぱりと同意するなよ、お前も似たようなもんだろ」

「う・・・そ、そうだね」

「故に、我々はまず金を儲けなければならんのだ」

「そ、そうなのかなあ」

「だから我々が今日何をするかといえばそれは労働だ、経済活動だ。俺は商売をし、お前はその手伝い」

「ええっ!?」

「文句を言うな。例えどんな世の中であっても、一宿一飯の恩義というものがあるのだ」

「でも、いくら帽子を投げて地面を掘ったって、いつまでたってもお金なんて出て来やしないよ」

「子供のくせに夢のないやつだな、正直者の老人が裏庭を掘ったら金貨財宝がざくざくと言う話を知らないのか」

「それはただのおとぎ話だし、それに・・・グライムズさんってあんまり正直に見えない」

「正直なやつだな」

「さっき、そのほうがよいって」

「まあ聞け、そうそういつもいつも穴掘りばかりもしていられん。あの仕事はひとヤマ当てれば大儲けなのだが当たるまでは素寒貧、

 『無い山は掘れない』と昔から言うだろう」

「聞いたことないよ、そんなの」

「山師の間じゃ言うんだよ。で、山が無い時にはどうするか」

グライムズは部屋の奥のごみともなんとも言えないような、色々なものが好き勝手に積み重なった山の中からなにか掘り出しにかかります。

「普通は当て所もなく彷徨うか財布が尽きるまで酒でも飲むかが品行方正、真っ当な山師の在り方なんだが、

 知っての通りそれはどっちもやっちまったんでな」

下のほうから出てきたのはもうぼろぼろに擦り切れた旅行カバンでした。

「そういう時にはな、副業をするのよ」

開いたカバンの中には朝方タケルが見たものと同じような、それでいて模様や絵付けが施された、木彫りの品がいくつも入っていました。

「これって、ブーメランだよね?」

「その通り、本場オーストラリア人の手による、産地直売の逸品さ」

「さっきここで作ってなかった?」

「だから、ここが産地だ」

「・・・正直だね」

「あったり前だ」

中の一本を取り出してみると重さの吊りあいもきちんと取れた、まるで手に吸い付くような見事なV字の曲線を描いた立派な工芸品です。

鱗のような文様が施され、一方の側にはまるで目や口のような飾りつけ。

「魚が空を飛ぶなんておもしろいねえ」

「魚じゃねえ、そりゃワニだ」

「そ、そうなんだ、ははは」

よくよく見れば手も足もちゃんとあります

「しかしな少年よ、ものほしそうな顔をしてもくれてやらんぞ。こいつは立派な売り物だからな」

「いやだなぁ、ぼくそんな顔なんてしてないよ」

タケルも、あんまり正直ではありません。

 

*                         *                            *

 

「実際、お前ぐらいの年頃ならほんとは遊んどく方がいいんだろうけどなあ」

旅行かばんを持つだけで、すっかりいっぱしの行商人のような風体になったグライムズは言いました。

「・・・そんなこと、ないよ。遊んでる時間なんてないんだ」

タケルは足元の路地を見ながらつぶやきます。

「若いころに遊んでおかんとなぁ、大きくなってからよい大人になれんぞ」

到底「よい大人」には見えないグライムズは、空を見上げて呵呵と太陽に笑いかける顔。

「そんなこと言ったって・・・」

「お仕事大事か?あぁ、お前さんにとっては夢、だったよな。それもいいけど本当なら遊んどきたい年だろうに」

「前に出会った人たちには学校に行きなさいって言われたけど」

「子供に向かって学校に行けとはひどい奴だなあ。そいつらきっと、余程の悪党だろう」

「う〜ん」

タケルは山田中尉とその部下達の姿を思い浮かべました。

「そんなことないよ、ただの、ふつうの兵隊さんだったよ」

「はははっ!兵隊なんて普通みんな悪党じゃねえか」

「そ、そうなのかな・・・」

言われてみれば、そう思えないこともありません。

「タケルよぉ、お前大人になっても兵隊なんぞなるもんじゃねえぞ。もっと堅実で実入りの良い仕事につきな。

 例えば山師とか、路上のブーメラン売りとかだな」

「でもさ、ブーメランってそんなにたくさん売れるものなの?」

あからさまに不信そうなところは正直なタケルですが、グライムズは少年の疑いなどものともせずに、道行く先を指差しました。

「そら見てみろ、売り出す前から千客万来だ」

確かに、その先には黒山の人だかりが出来ていました。丁度昨日の騒動があった居酒屋の前、ちょっとした広場に集まった鉱夫達。

手に手にやはり得物を持ち、どこか血相を変え、いまにも暴動でも始めそうな様子は、到底楽しんだり喜んだりしているようには見えず、ましてや―‐

「お客さんに見えないよ」

「むむむ、それもそうだな」

そして、その山の中には見覚えのある頼もしい影が、やっぱりどこか困ったように立ち尽しているのです。

「あれれ、ガン・ホー!ど、どうしたの!?」

タケルの姿を認めたガン・ホーは、ようやく安心したようにちょっと手を振って応えました。

 

「ほらよ、どいたどいた。ちょぉっと通してくれよ」

グライムズはタケルの手を引っ張って人ごみのなかを分け入って進みます。辺りの人々は殺気立って入るものの、

どうやらそれが目の前の巨人に向けられてはいない様子。タケルも一安心はしましたが、それでもやっぱり落ち着きません。

「ガン・ホーだいじょうぶ?なにかあったの?」

「いや、私にもよくわからないんだ。朝に突然、何人か鉱夫の人たちがやってきて、力を貸してくれと言われたのだけれど」

「お人よしも結構だがね、ガン・ホー君。しかし一体誰に頼まれたんだよ」

「それが、ここに連れて来たら人だかりに紛れてしまってみつからないのです」

ガン・ホーは丸い眼をまん丸にして探しましたが、人波の中から目指す姿は見つかりません。

「なにしろ皆、おなじような格好だから・・・」

丸い頭をくるくる回してみても、全然区別がつかないのです。

「そうして、抜け出そうにも一歩も動けんってことかい、仕様が無いヤツだなお前さんは」

「はい、人々を踏みつけないように歩くのはなかなか難しいものでして・・・」

大きな体を縮めるように、ちょっと消え入りそうな声で答えるガン・ホーはなんだか申し訳なさそうです。

「それにしても、この人たちはどうして集まっているんだろう?」

タケルの疑問はもっともで、同じことを誰かが大声で怒鳴りました。

 

「お前等一体、何事だ!何の騒ぎだ!!」

 

 すると聖書のモーゼのお話のように、人の波が左に右に分かれます。潮が引くように現れた道の先に立っているのは、

この場所にまるでそぐわない姿。

きれいに撫で付けられた髪の毛、まっすぐに締められたネクタイ、ぴったりと裁断された三つ揃いの背広にはしわのひとつもまるでない、

それはそれは鉱山に似つかわしくないどこか大きな会社の、若い重役のような男の人です。

大勢の鉱夫の真ん中で、腕を組み足を広げて立つその姿はたったひとりでも他の全員を相手に出来そうな怒りでいまにも人に切りつけそう。

「誰だろう、あのひとは?」

「ああ、ありゃリヒターつってな、ここを管理してる鉱山会社の責任者だ。みんなは所長と呼んでるが、影ではこっそり嫌ってるのさ」

タケルの耳元にこっそりささやくグライムズ、それでもリヒター所長は

「聞こえているぞ、ブーメラン!」

とまるで剣を引き抜くかのように真っ直ぐ指を差して怒鳴りつけると、人々の間を抜けてグライムズのもとへ詰め寄ってきます。

「朝から誰一人作業場に姿を見せんと聞いてきたら、貴様がなにか吹き込んだのか!わが社と契約を結んでもいないくせに大きな顔をしやがって」

「で、こいつは大っぴらに俺のことを嫌っているのさ」

それはタケルにもすぐわかりました。なにしろこの二人は年恰好こそ似通っているものの、それ以外はまるで正反対、水と油のようだったのです。

 

*                         *                            *

 

 掴みかからんばかりの勢いでやってきたリヒター所長ですが、グライムズの傍らにいたタケルの姿にちょっと驚いて

「なんだその子供は、貴様の徒弟か?いくら稼ぎがないからってそんな小さな子供を働かせるほど落ちぶれたとはなさけないな・・・」

なにか少し、哀れんだような顔をしました。

「ははは、リヒター君よ。小さいばかりじゃないぞ、大きいヤツもちゃんといる。俺たち三人で君と君の会社が稼ぎ出すより何倍もの量を掘り出して

 がっぽり大儲けだ」

「いや、私達はそんなことをする為に来たのではないのです」

頭の上のほうからすまなそうな声が聞こえて、改めてリヒター所長はびっくり仰天、大慌てです。

「な、なんなんだ、この・・・ロボットは」

「俺様が雇い入れた最高の穴掘り機械だ」

「だから、ちがうってば」

 そんな話をしているうちに、道を開けていた鉱夫たちがリヒター所長の周りにだんだんと近寄ってきました。

さすがにグライムズもそうそう冗談を飛ばせないような雰囲気で、タケルのことをちょっと背中に押しやります。

けれども詰め寄られたリヒター所長は臆することもなく、両の足を広げ手を腰に当て、居丈高な態度で言い放ちました。

「お前達は就業規則に違反している。今すぐ作業場にもどって直ちに仕事を始めるんだ」

「そうは言ってもね、所長さん」

集団の中、誰かがひとり抗議の声を上げました。

「ここのところの地震続きでおちおち鉱山(やま)に潜ってられねえだろ。昨日なんか二度も揺れて、

 午後の作業組はあやうく生き埋めになるところだったんだ」

「それがどうした、誰も埋まったりはしなかったじゃないか」

「そうそう次も、上手くいくとは思えないですからねぇ、今の騒ぎが収まるまで、ちっとばっかし仕事休んじゃいられませんかね」

そうだそうだと一様にあがる賛成の声、鉱夫たちは今にもストライキを起こしそうな 意気軒昂な有様なのです。

「仮に生き埋めになったからってどうだというんだ。全員そんなことは覚悟の上で、給料もらってる立場だろうに」

「誰も好き好んで埋まりたかぁねえや、立派な墓を建てる為に穴掘りしてる訳じゃないんでね」

火に油を注ぐように口論は激しくなり、険悪な雰囲気は目に見えて重い空気を広げていきます。

「大体なあ、この場所を試掘したときに、地震なんぞ起きんと地質学者が言ってる。起きてるほうがおかしいんだ!」

 

「おいおいリヒター君よ、そりゃいくらなんでも無茶な理屈だぜ。現に地面は揺れてるんだしな」

グライムズが取り成しても聞く耳持たず、タケルもガン・ホーもは大の大人が今にも喧嘩になりそうに怒鳴りあう光景を不安に見つめるばかり。

「理由なら、ありますよ所長。地元の連中が言うにはなんでも竜脈を掘りぬいちまったんだとかでね、連中が怖がって働きたがらねえんですよ」

「リューミャク?なんだそれは」

「ドラゴンの住んでる穴蔵のことですよ」

頭の痛そうな顔でかぶりを振るリヒター所長は、怒るというより呆れるといったような声で叱り付けます

「お前達いい加減にしろ、馬鹿馬鹿しい。おとぎ話じゃあるまいし、ドラゴンなんている訳がないだろう!」

「いやいや、あながちそうとも言い切れまい。この辺りは昔から竜の話が随分あるそうだからな、ことによると一匹ばかり住んでいるかもしれないぜ」

グライムズはなんだか少し楽しそうな顔。

「茶化すな、ブーメラン!俺の国でもドラゴンのお話なんぞ山ほどあったが、生まれてこの方そんなものは見たことが無いぞ。

見たこともないものを信用できるか」

「俺だってないねえ。しかし見たことが無いからってそれが存在しないとも言い切れまい。

 誰もいない深い森の奥で朽ちた木は、倒れるときに音を出すのかってのはよく言うだろう?哲学的見地から言えばだな」

「哲学なんぞ金にならん。金になる哲学は全部ペテンだ」

「おいおい」

グライムズは大げさに驚き、わざとらしく呆れた声をあげました。

「聖書を悪くいっちゃいかんよ」

「冗談につきあっている暇はないんだ!こっちは今月中にも試掘坑を掘り進めて新しい採掘計画を立てなければならんのに、

 こんな有様をフィラデルフィアの本社が知ったら・・・」

「大変そうだなリヒター君よ」

「俺はいつも忙しくて大変なんだっ!」

吐き捨てるように言うと、改めて一同に告げます。

「誰でもいいから名乗り出ろ、賃金は倍増しで払ってやる!」

悲痛な色合いを帯びた呼びかけにも、答える声は上がりません。

「・・・地下でドラゴンの声を聞いたって奴もいるんですよ、やっぱり今はもぐれませんよ」

鉱夫たちは不安な顔をつき合わせて言いました。

「穴掘りが穴を掘らんでどうするんだ、働け!規則を守らない者は労働契約に照らし合わせて処罰をだな、」

「規則規則と言いますがねえ所長さん、危険が予想されるような場合には作業を中止するということも、規則にはあります。到底承服できませんね」

「危険を承知で無理に働かせたなんて、フィラデルフィアの本社が聞いたらなんて言いますかねぇ」

リヒター所長は逆にやりこめられてしまいました。鉱夫たちも三々五々、散り散りに解れてしまってあとには誰も残りません。

 

 ようやく自由に動けるようになったガン・ホーと、足元のタケルはお互い心配そうに顔を見合わせました。

「結局私は何の為に呼ばれたのだろうか」

「う〜ん、よくわからないけど、たぶんこれでいいんじゃないかな。もしかしたら、もっとらんぼうなことになっていたかも知れないよ」

「そんなことの為に、役立ちたくはないな」

「なにかあったの、ガン・ホー?」

機械人間の呟きに、眉をひそめるタケル。赤い目も、鉄の体もいつもと変わらぬガン・ホーだったのですが

「なんだか悲しそうだ」

「いや・・・そんなことはないよタケル」

しかし、いつもと変わらず答える声にもどこか寂寥の色は隠せなかったのです。

 

*                         *                            *

 

「まったくどいつもこいつも楽ばかりしようとしやがる、苦労しなければ堅実な利益は生み出されんと言うのに!」

地団駄を踏むリヒター所長の横でグライムズは涼しい顔。

「いやあ、俺は楽をして大儲けができるほうが好きだなあ」

「お前は楽をしているようには見えないし、ましてや大儲けなぞ少しも出来そうもないじゃないか」

「そりゃま、好いたからってなかなか叶うものでもなくてね、ところでブーメランはいらんか?

 君が買ってくれれば俺には苦労に見合った堅実な利益がだな」

「そんなものはいらん!」

「まぁそう言うなよ、これでなかなか楽しいものさ」

そう言うとグライムズはかばんの中からひとつ取り出して構えます。

「腹が立ったときになぞ、力いっぱい放り投げると気分がいい」

横手投げの構えで大きく振られた手の先から飛び立つブーメラン、空気を切り裂く刃のように、それは自由に飛んで行き――

 

思わず、リヒター所長もタケルもガン・ホーも目を奪われてしまいます。

 

――そしてそのままの勢いでグライムズ目掛けて戻ってきたのです。

 

「危ない!」

とっさに叫んだタケルの声にグライムズは少しも動じず、魔法のように右手が動いてブーメランをしっかり掴まえました。

「この通り、あんまり力任せに放るとそのまま帰ってくる。君もな、余り力任せにやるもんじゃないぜ」

ニヤリと笑うと牙のような犬歯が顔を覗かせるのです。

「すごいや、グライムズさん!さすがは『ブーメラン』だね!」

グライムズがリヒター所長に見せた顔にも気がつかずに、タケルはただ素晴らしい技のさえをみて飛び上がらんばかり。

「フフフ、どうだ少しは見直したか」

「もちろんだよ!ねえ、ガン・ホー」

「ええ、見事な技術ですね」

「ああ君だって胸のうちに心持つ者なればこそだね、ガン・ホー君。胸を打つ技術はこれ芸術と読んでくれ給えよ」

「は、はぁ・・・」

「なにを言ってやがる」

リヒター所長はふん、と鼻をならしていいました。

「いいかい君たち、ブーメランが投げた手元に帰ってくるのは何にも当たらなかった時だけさ。獲物に命中すれば戻りやしない。

 こいつがみんなに『ブーメラン』なんて呼ばれてるのはいつもふらふら出かけちゃ、すごすご手ぶらで戻ってくるからだ。

 いつだって夢を見つけるんだなんて言っちゃあ、結局なんにも見つけられずにね。 そういうのは技術とも芸術とも呼ばん。

 それはただの無駄骨だ」

「そ、そうなの・・・?」

「フフフ、実はな」

グライムズは少しも変わらず不敵な笑顔を浮かべました。

「しかし、それでもだ。俺は無駄骨を悔いたりはしないぜ。自分が望んだことならば、その結果を後で悔やんでどうするね。

 やりたいことをやってるんだから、これで俺は十分満足さ。ここにおわす会計帳簿を聖書のように崇め、就業規則をお祈りのように唱えている

 御仁には、わからんだろうがなぁ」

「俺はな、規律のとれた安定した集団を指揮して効率よく利益を上げ、利潤を皆で分配しようとしているだけだ。

 誰もいない場所で王様気取りの一文無しとは違うんだよ」

 

「ああ、お二人はとてもよく似ていらっしゃるのですね」

そんなことを突然ガン・ホーが言い出したので、リヒター所長もグライムズも、二人そろって睨みつけました。

 

「おいおい、どこをどうすればそういう結論になるんだ、全然違うぜ、こいつと俺はさ」

「ああそうとも、なにを誤解したのか知らないが、こんな奴と似てるなどと思われただけでも迷惑だ!」

整えられた背広とくたびれた革の上衣、不精に伸びたひげと綺麗にそられたあご。二人はまるで似ても似つかないはずなのに、

ガン・ホーに食って掛るその様子はなぜだかそっくりだったので、ちょっとだけタケルも笑ってしまったのですが。

「でも、二人とも自分がこころから望むことを、正しく信じて行っているのでしょう?」

「人を見る目が無いなガン・ホー君。俺は楽しく生きているがこいつの人生はつまらないことの連続だ」

「私は真っ直ぐ生きているが、この男はねじくれているのだ」

ガン・ホーの言葉をさっぱり聞かないのもよく似ているのです。

 

*                         *                            *

 

「大体だね、働き者の部下達がたまたまサポタージュしたのを嘆いて当り散らすぐらいなら、自分でもぐればいいじゃないかリヒター君よ。

 君だってアルザスだかロレーヌだかで食い詰める前はいっぱしの穴掘りだったんだろう?」

「それが出来れば苦労はせんよ」

リヒター所長はため息をつきました。

「昔はツルハシの一本かついでそれこそ竜の寝蔵みたいな坑道に降りていったものだが、今ではもう勝手が違ってな・・・

 それからな、ヘル・グライムズ」

と、改まってあだ名ではなく正しく呼びかけると、やおら指先を銃口のようにつきつけて言いました。

「正しくエルザスとロートリンゲンと言えこの流刑囚の子孫め!」

「なんだと、山賊騎士の末裔が偉そうなことを言うな!」

まるで良い大人の口から出るとは思えないような罵詈雑言に、タケルもガン・ホーもすっかり困ってしまいます。

「ねえ、ふたりともけんかはやめてよ」

「言い争っていても問題は解決しないものですよ」

「ふん、問題を抱えているのは俺じゃないからな。まったく偉くなると人間口ばかりで体を動かさなくなるのはどこでも変わらん。

 もし俺がこいつの立場だったら黙って一人で降りてって、ドラゴンだろうがなんだろうが、フン捕まえて戻ってくるさ」

「一人で坑道に降りるのは規則で禁止されてるんだよ!」

「規則規則とうるさいやつだな。じゃあもし規則に『海に飛び込んで死ね』と書いてあれば君はそうするのか」

「馬鹿馬鹿しいことを言うな、子供じゃあるまいし。そんな規則がある訳は無いし、そもそもあってはいけないんだ。

 単独入坑の禁止だって安全の為のもの、地下に降りていくには最低二人の組みと地上での補助が必要なんだ」

「ほほう」

グライムズの目がキラリと光りました。

「俺はたまたま有能で信頼の於ける経験深い鉱山労働者を、一人知っているのだがね」

よく知る旧友を人に紹介するように、慎みのある笑顔。

「はん!そいつはきっと『人の弱みにつけ込みそうな契約は結ばん』とか言って会社組織には到底馴染めないような奴なんだろうぜ」

リヒター所長もまるでその人物を知っているかのように嫌な顔で答えました。

「でも、もしかしたらその人だってちゃんと事情を説明したら手をかしてくれるかも知れないよ!」

そしてタケルの顔はその新たな人物の話を聞いて砂漠に泉を見つけたように輝きました。

「だから、グライムズさんにその人を呼んできてもらおうよ!」

 

リヒター所長はグライムズの耳元で他には聞こえぬようにこっそりささやきます。

「・・・おい、ブーメラン」

「なんだよリヒター」

「この子供がお前と一緒にいるのは何かよんどころない事情か責任でもあるのか」

「いやぁ、ただの行きずり、行きがかりさね」

それを聞くと片膝をついてタケルと目を合わせて言いました。

「なあ、君のような子供がこんな悪い大人と一緒にいるもんじゃないぞ。あぁ君、なんと言ったか・・・」

「タケルです、瀬生タケルといいますす」

「タケルくん、ちゃんと学校に行きなさい」

「え?」

タケルはひどく驚いて聞き返します。

「リヒターさんはわるいひとなんですか?」

リヒター所長は突然鉄砲でも撃たれたような顔になりましたが、グライムズは喜劇映画を見るかのようにお腹をかかえて大笑いしていました。

そんな三人の様子を、ガン・ホーは不思議そうに見つめていました

 

    つづく

 


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