第四話「地底怪獣」(後編その1)

 


喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも――

惑いも、憂いも、苦しみも、悩みも全て――

 

すべてが無く。

 

“機械人間”のこころとからだは全力で稼動しました。

 

ただ、ひとを、救うために。

 

「――!!」

 

声にならない悲鳴を上げたタケルのその眼の前で、鋼鉄の腕が固く組まれ、

鋼鉄の巨人は、その身を挺して少年の上に覆い被さります。

 

千切れて振り回された鋼線は鋭い一撃となってふたりに襲いかかり、

泣き叫ぶ声のような金属の削り取られる音が響き、真紅の火花が血潮のように飛び散りました。

 

しかしガン・ホーが血の一滴、涙の一滴を流し落とすことは決してなく、

 

いつもと変わらぬ赤い目で、

いつもと変わらぬおだやかな声で、

 

「大丈夫かい?」

 

と、タケルにむかって問いかけるのでした。

 

タケルのほうは、いつもと変わらぬどころではなく、どこにも怪我はないけれど、今にも涙を流し、叫びだしそうな勢いです。

「ああ――ぼくは、ぼくはなんともないよ!ぜんぜん、だいじょうぶさ、でも、でもガン・ホーは、こんな、こんなことって・・・」

「なに、心配などいらないよ」

ガン・ホーは落ち着いて答えました。

「私は見かけよりも頑丈に出来ているんだ」

言ったそばからその背中には、鉄骨を組んだ巻き上げ機の骨組みが、轟音を立てて崩れ落ちてきます。

それでもマシーネン・メンシェのガン・ホーはびくともすることなく、その腕の中でタケルの身を守り続けました。

 

*                         *                            *

 

やがて、揺れが鎮まり、あたりにたち込めた土煙が収まって、崩れた鉄骨を押しのけてガン・ホーが立ち上がってみると、

周囲は一面、惨憺たる有様でした。

重機械はすべて地に伏し倒れ、大地には醜いひび割れが走り、大嵐の過ぎた後か、戦争の通った街のよう。

生き物の声すらなく、ただ破壊と静寂が満ちていたのです。

「グライムズさん、リヒターさん、二人ともだいじょうぶ!?だれか、だれか返事をしてよ!」

タケルは必死になって受話器の向こうに問いかけるのですが、応じる声はありません。赤も緑も、ひとつとして電球が灯ることはなく、

坑道に降りていった二人の行方は岩盤と岩石によってさえぎられ、その無事は判然としないのです。

「・・・どうしよう、ガン・ホー。このままじゃあ、二人は・・・」

「人を、呼んでこよう。私たちだけではどうすることもできないよ」

ガン・ホーは素早く頭を巡らして、街のほうを向きました。

「タケルは、ここで待っていてくれ。でもまた揺れ始めたら、安全なところに逃げるんだよ」

そう言うとエンジンの回転を最大に高めて、迷いもなく一途に走り出していったのです。

轟然と風をまいて駆けていくガン・ホーを見やって、そしてタケルは、崩れ落ちた坑道の縦穴を振り返りました。

すると何故だかタケルの心には、おおとり号の機内で出会ったあの“ヨーク軍曹”の姿が浮かんできたのです。

そして拾った小石のひとつすら、砕けなかった自分の手を握り締めて、タケルは前を向いて――

 

*                         *                            *

 

「労働委員会」はあまりに紛糾していたので先ほどの地震にも誰も気がつかない有様でした。

ガン・ホーが嵐のような勢いで走りこんできても、気勢を上げて奇声を上げた一同にはどこ吹く風の様子。

どこまでが論議によるものなのか、どこまでがアルコールによるものなのか、ガン・ホーの感知器にはわかないことなのですが。

青空の下、崩れた居酒屋の壁になにやら難しいことを書いた横断幕を掲げて、あるものは立ち上がり、あるものは地面にしゃがみこんだまま、

みな大声を張り上げ、拳をつきあげて、頬も額も真っ赤に染めて、熱い議論を戦わせているのです。

 

「以上の議決で只今の議題は終了するッ!ではッ、次の議題をッ!!」

「みなさん、大変です」

「いやッ、まだ議決は終わっていないッ!議長は横暴だ!!」「解任を要求するぞー!」

「どうか、話を聞いて・・・」

「シャラーップ!(静かにしてください)、シィーット!!(座ってください)」

 

聴衆のなかで異議を唱えていた人々が、周囲の面々に押さえ込まれて埋もれていくのを見て、ガン・ホーは仰天してしまいました。

どうやら大変な事態が進行中だと気がついて、慌てて人の環のそとに畏まって座り込むのです。

「次の議題は、あー、なんだったか。労働書記、どうぞ」

壁際で「労働委員長」と書かれたたすきをかけていた人が、傍らで書き物をしている人に尋ねます。問われた方は帳面をめくって頁をさがし、厳かな声で告げました。

 

「おかわり」

 

「よーし、みんな飲みたいものを用紙に記入して投票してくれ給え。混雑を避ける為に最大得票数を得た飲み物を、全員に支給する」

「少数意見を抹殺するつもりかっ!!」

そんな声は歓喜の叫びに掻き消えて、小さな箱が人々の海の中を、小船のように流されていきます。鉱夫たちは大喜びで「ビール」と書いた紙切れを、中へと投じていくのです。

そしてガン・ホーの目の前にも、箱が回されてきました。

「おーい、そこのデカイ人、あんたの一杯はなにに投票する?」

「い、いや私はお酒を飲むために来たのではないのです」

「なに言ってんだよ、団結心のないやつだなぁ。つまんないこと言わずにまあ飲め飲め」

「そもそも私には口がありません」

「口がなくても声は出るじゃないか」

「はい、私に口はありません、それでも私は伝えることがあるのです。どうかみなさん、私の話を聞いて下さい

「ぎちょー、陳情だってよー」

 

「陳情」のひと言で人々はいっせいにガン・ホーの方を向きました。

「労働委員長」がますます顔を真っ赤に染めて、大げさな身振りで一同に告げました。

「全ての議決は一時中止!そこのひと、前に来なさい!!」

ガン・ホーは酔って騒ぐ人々を踏みつけないよう、そっと前に踏み出して演壇の位置にたちます。

「君、名前は」

「ガン・ホーといいます」

「よし、労働者ガン・ホー君、君の陳情を述べなさい」

「いや、私は『労働者』とは言えるかどうかよくわからないのですが」

「ああ君、君は知らんだろうが世の中人間は二種類しかいない。労働者か労働者ではない別の方かだ。君は別の方には見えないからきっと労働者だろう。

 さあ自由を謳歌し、権利を讃えたまえ労働者ガン・ホー君!!」

「は、はい・・・では。先ほど地震が起こり、試掘現場で事故が起きました。皆さんの仲間のグライムズさんとリヒター所長が埋まってしまったのです。ふたりを助ける、力を貸してください」

 

ガン・ホーは巨体を震わせて訴えかけるのですが、その声はさっぱり人々に響きませんでした。

成る程人々は驚き慄き、表情を強張らせるのですが、眼差しはお互いの間を不信そうに行ったり来たり。

 

ただひとり、「労働委員長」だけがエヘンとひとつ大きな咳払いをして、

「労働者ガン・ホー君、リヒター所長はさっき言った二種類の人間の別の方、『雇用者』の側だ。我々労働者とは差し詰め犬と猿、水と油、

ルビーとサファイアのような仲で折り合いがつかない。“ブーメランのグライムズ”は労働者でありこそすれ、我々の組合に属していない以上庇護下には置かれない」

などと答えます。

「そ、そんな、あんまりです!」

「結論、スト破りが事故にあっても仕方がない。労働書記は議事に記録しておくように」

「あなた方の心の根は、助け合いでつながっているのではないのですか?いま、まさに困難に遭っている人に、手を差し伸べることはないのですか!!」

 

*                         *                            *

 

暗い闇に閉ざされた地下の坑道、その中で。

「むむむ、天国ってのはもっとこう、明るくて暖かい場所じゃなかったのかね」

グライムズの声がのんきに響きました。

「・・・貴様が居るということは、この場所が天国である可能性は、まったくもってゼロということだろうな・・・」

リヒター所長の方はなにか苦しそうな呻き声です。

「そうそうつまらない事をいいなさんな。こう薄暗くて狭苦しいところでお互い生き延びたんだから、精々楽しくやろうぜ」

「なにが楽しいもんかこの馬鹿野郎!こっちはどうやら足をやられたらしい、動けないんだよ!!」

「元気そうで、なによりだな」

「な・・・やっぱり貴様なんかと組むんじゃなかったな!ろくな目に合わん!」

「まあまあ、あんまり興奮すると空気を無駄に使うもんだぜ」

暗闇の中でごそごそとグライムズは身を起こしました。一寸先は無明の闇で、伸ばした手の先も見えません。

「おーい、リヒター。傷痍治療手当はどれぐらい出してくれるんだ」

「ふ、ふざけるな守銭奴っ!!」

「お、そっちか」

リヒター所長の絶叫を頼りにグライムズは頭を巡らして近づきます。

「しっかりしろ、傷は浅いぞ」

「・・・見えやせんだろう」

「戦争映画じゃこういう台詞がお決まりだ。安心しな、折れちゃいないよ」

手探りで傷を求めても、大きな怪我はありません。

「言いたくないがなブーメラン、お前がさわってるのは俺の腕だ」

 

先刻来の熱気が立ちこめる坑道内に、一瞬、冷たい沈黙が漂いました。

 

折れた材木とぼろ布で所長の脚を押さえると、もうグライムズにはやることがありません。

目は段々と暗闇を透かし、崩れ落ちた坑内の様子が明らかになってくれば、手の施しようがないことも明らかに。

 

「さて、誰か助けに来てくれるかね、リヒター」

「勿論だ、ブーメラン。規則ではこういう時には全員一致で協力するようになっている」

「規則ねえ・・・お前さんも俺様も、全員一致で好かれてなさそうだからなあ。規則よりは好き嫌いで、このまま生き埋めじゃねえのかな」

「貴様が感情優位で生きてるからといって、他人も全部そうだと思うのは大間違いだ。それにあの少年とロボットは、人を助ける為にこんなところにいるんだろう?」

「そりゃま、そうだが・・・俺ぁ別に、助からなくてもいいかと思うぜ」

血を吐くような、暗い告白。

闇の中でリヒター所長は血相を変えて怒鳴りつけました。

「なにを言ってるんだ貴様は!生き延びないでどうするんだ。馬鹿なことばかりやらかしている男だが、そこまで馬鹿だとは思わなかったぞ」

「生き伸びて、どうするんだリヒター?出てこない宝物を、いつまで探し続けるんだ?実を言うと俺は少し、疲れちまっていてね」

「宝物が出てくるまで、探し続けるんだよ!何にも属さず、何にも従わずに、自由気ままにやってきた癖に今更なにを言いやがる」

グライムズはほう、とため息をついて、

「何をするのも自由なら、何もしないのも自由なはずさ――」

発した言葉は坑道の中を虚ろに響いていきました。

 

*                         *                            *

 

「勿論、万国の労働者は団結せねばならんよ君。我々はいま、まさに団結して行動しようとお互い助け合っているのだから、その邪魔をするような言動は謹んでもらいたいね」

労働委員長はそっけない返事をガン・ホーに返しました。大勢の鉱夫達も目を逸らし耳を塞いで、互いの酒器の中の世界に沈みこんでしまいました。

「わ、私は――」

とガン・ホーがなにか言いかけたその時に、肩口の上にひょっこりと小柄な人物が乗りました。

「さてさて皆の衆、これはまた不義理非人情なことじゃのう」

突然の声に驚いたガン・ホーが頭を回せば、その目に映る姿はこの居酒屋の主です。

浅黒い肌に黒い丸眼鏡、まったくもって地面の底から湧いて出てきたような老人が、どうやってこの“機械人間”の身体を上ってきたのかガン・ホー自身にも見当がつかない有様。

「凡そ、赤子がまさに井戸に落ちようとする姿を見れば、何処の誰何であってもその手を差し伸べ、生命を危機から救おうとするものじゃ。

 成程赤子ではないにしろ、まさしく地の底に落ち助けを待っている者達に背を向け立ち去るような者供が、一体団結したって何が出来るというものでも、あるまい」

 

老人は一同を見下ろしながら、でも淡々と諭すかのように言葉を継ぎます。

 

「自分達と立場が違い、自分達と身分が違うと、そう決めてしまうのはなんの為かね。団結してまとまって、それは他人を閉め出す為の物なのかね。

 ワシは世界中どこから来た者であれ、なんの衒いも躊躇いもなく幸福感を満たせるように、この場所に扉を開いて待っていたがね」

黒眼鏡を外し、灰白色の瞳をかっと見開き、

 

「お前達のような客は願い下げじゃ。とっとと出て行って二度とその顔を見せるでない!」

「横暴だぞ、主人!我々は一介の労働者に過ぎぬが、ここではまず客としての権利を保持し、行使することを要求するッ!!」

 

「よし、ではまず滞っているツケを全部支払えい」

 

急遽「労働委員会」は「救助救命団」に名を変えて、一行はガン・ホーを先頭に事故現場へと向かいました。

 

*                         *                            *

 

 坑道の底に閉じ込められている二人の周りに、まるで生命あるもののようにじわじわと、熱気が這い寄ってきます。

ともすれば息も尽きそうな状況であるのに、グライムズは楽しそうに声を出して笑い始めました。

 

「ああ、やっぱり暗くてじめじめしている所は素晴らしいなあ。神様、どうか俺を心地よい場所へ導いてください。日も射さぬ密林の下、泥のような河が流れ、ワニがうようよしている

懐かしい故郷のオーストラリアへ」

 

そんな話を聞かされても、リヒター所長は楽しくもなんともありません。

「冗談じゃない、そんな所に連れて行かれてたまるか!故郷ってのは、もっとこう、良いもので・・・」

しみじみと、懐かしいふるさとに想いを馳せるのです。

「・・・ドイツの古い森は、日の光も射さぬ薄暗いけれど心地よい場所で、地面には苔が生えて・・・じめじめしている」

「似たようなもんだな」

「いやまて、全然違うところだぞ!そ、そうだワニなんていないぞ」

「代わりにオオカミでもいるんじゃないのか?」

「・・・いたよ」

 

暗がりの中にこぼれおちるため息。薄暗い場所で生まれた二人の男は、真っ暗な場所でただ悄然と死を待つばかりの様でした。

 

「昔はよかったよ、羽振りは悪くても仲間はみんなまとまっていてさ。その内ちょっと頑張って、小金を集めて会社を興して、それが全然上手くいかなくてな・・・

 気がつけばひとり減りふたり減り、人を使うのも使われるのも飽きちまって、故郷を離れてずっと独りでやってきたけれど、そろそろここらでお開きになってもいいんじゃないかな」

グライムズは地面にべったり座り込んで、言います。

「良くはないだろう、そんなことはない。俺は子供の頃からずっと下働きで、言われるままに穴の底にいたもんだがな、ある日お天道様の下に出てみたら会社どころか国が傾きやがって、

 いい加減に見切りをつけて海を渡って、そこでもまた言われるままに右から左でここまで来てな、ようやくまかされたヤマは相変わらずの傾き加減でこのザマだ。、

 畜生、これで終わって、たまるものかよ」

でもリヒター所長は痛んだ足を引き摺って立ち上がり、崩れた土砂の山によじ登りました。

「それで、どうするんだ。よしんば外に出られたとして、何が出来るね。そうそうなんにも変わりゃしないぜ」

「変わらなくったっていいんだ!出来なくてもな!俺は、俺はただまだ続けたいんだよ!自分を、自分自身をだっ、うわわっ!」

興奮したリヒター所長は手がかりを無くしてグライムズの下にずるずる滑り落ちてきました。

「夢を見るのは自由で勝手、けれどその夢が叶うかどうかは不自由でままならんもんだ。お前さんよりはよく知ってる」

「黙れよ馬鹿野郎!」

リヒター所長は諦めずにまた登りはじめます。グライムズは闇に目を凝らし、坑道の天井を睨んで言いました。

「世界ってのは意外に、こんなところなんだろうな。真っ暗でなにも見えず、なにか出来るようでいて、実はなにも出来ない」

「そんなことはないっ!」

「光も差さない」

「差すさ!」

すると闇の中に、ひとすじの光が差し込み――

 

*                         *                            *

 

「見ろ、あれが世界だ。正しい規則で動く、正しい世界の姿だ」

「何を言ってやがる、そんな訳があるもんか。ありゃただの・・・そう、お節介だ」

「―――!―――――!!」

 

*                         *                            *

 

 ガン・ホーと「救助救命団」は事故現場に到着しました。鉱夫達は居酒屋の老人の指揮の下に散らばって、それぞれの分担で仕事を始めます。

「タケル、どこにいるんだい?返事をしてくれないか」

ガン・ホーは頭をぐるりと回して周囲を見渡すのですが、少年の姿はどこにも在りません。

「ここだよ、ガン・ホー!」

でも、元気な声は機械人間の足元から聞こえてきたのです。縦穴の縁から半身を乗り出し、勢いよく手を振って。

ガン・ホーはそろりそろりと慎重に脚を進めて膝をつき、泥だらけになったタケルと向き合います。

「危ないじゃないか、もしまた地震が来たら――」

「ふたりはまだ無事だよ!はやく引き上げなきゃ!」

「――なんだって、本当かい!」

タケルの掌と爪に滲んだ血は、何物よりも雄弁に真実を語るようでした。

「いま、ほんの小さなすき間が通ったんだ、そこを拡げていけばきっと大丈夫。でも底の方からなんだかへんな湯気が上がってくるみたいでとにかく、急がないと!」

額の汗を泥手で拭って、却って汚れは広がるのに、瞳の輝きはいや増して、もう一度タケルは坑道のなかへ降りようとします。

「ま、待ってくれ、タケルが行かなくとも、」

ガン・ホーは鋼鉄の腕を伸ばしますが、タケルの姿はこまねずみのように素早く消えてしまいました。

「い、いいんじゃないのか、なあ・・・」

うなだれるガン・ホーを、その丸い頭をどこからかするりと上がってきた居酒屋の老人がなだめます。

「まあまあ心配しなさんな。お前さんには出来ないことでも、あの子になら出来ることがある。それにいまはもう一人ではないし、大丈夫じゃよ」

鉱夫達もシャベルやツルハシを手に、次々と地下にもぐって降りていきます。地上に残った者はロープやバケツを使って急ごしらえの汲み上げ装置をこしらえて、

つい先程までは千路に乱れて怒鳴ったり喚いたりしていた人々は、今は一心不乱に黙々と崩れた坑道を掘りぬいています。

またたく間に土砂が掘り出され、みるみる内に保塁のように積み上がり、やがてぽっかりと、人の頭のくぐれそうなほどの穴が開きました。

 

「所長、無事ですかい!あんたがいないと、給料払ってくれる人間がいなくなりますからねぇ!!」

さっきまで「労働委員長」だった鉱夫が穴蔵の底にむけて叫びました。

 

「ああ、こっちは大丈夫だ!だがな、誰か酸素救命器を持ってきてくれないか。ブーメランがすこしガスで酔っちまってるんだ」

「ははっ、あの野郎が酔っぱらってるのはいつものことですぜ」

軽口を叩いた「元・労働委員長」は今度は地面にむけて大声で怒鳴ります。

「酸素救命器だっ、大急ぎでもってこいっ!」

 

「合点承知、任せとけ!」

鉱夫たちの中でもとりわけ身軽そうなひとりが脱兎のごとくに駆け出しました。

しかしその脚は二歩三歩とすすむ間に中空に持ち上げられます。

「それは一体、どこにあるのですか?」

丁度二階建ての窓辺ぐらいの高さにある、ガン・ホーの目が瞬きます。

「あぁ!?、ああ、所長の事務所に置いてある、まだ納入されたばかりで試験も済ませてないんだが・・・」

「では、案内をお願いします」

そこに居合わせた誰よりも大きな機械人間は、嵐のような勢いで、大地を蹴って走り出しました。

 

*                         *                            *

 

 人々が力を合わせた甲斐もあり、坑道の口はすぐに広がりました。不安定な縦穴の際に足場を組んで、まるで落下傘をつけるかのような安全帯(ハーネス)が用意されます。

「で、誰が降りるね?巻き上げ機は当分修理が効かないから、自力でいかなきゃならんが」

「ではワシが行くかの。皆が引き上げる時にはなるべく、軽い方が良いじゃろ」

「いやいや、爺さんには居酒屋を守ってもらわにゃならんからな、次に身の軽そうなヤツぁ・・・」

ひとりが手を挙げました。

「む・・・成る程お前さんは身軽そうだけどな、あの中に降りていくのはちと無理だ。岩登りひとつ、満足に出来んだろうに」

「大丈夫です、できます」

「どうやって?」

答えはすぐにやってきました。地響きをたてて、でも現場に近づくにつれてゆっくり、そろりと。

 

「では、私が巻き上げ機の代わりを務めます」

ガン・ホーは生卵をつかめる器用な指先に、あやとりでも出来そうな具合で引き綱を絡めて言いました。

「いくらなんでも、そりゃあ無茶じゃないのか?」

「いや、なんとか・・・なると思うぜ」

ガン・ホーの肩口から降りてきた鉱夫が顔色を真っ青にしたまま言いました。

「坊主、いつもこいつに乗ってんだろ?なら大抵のことはこなせるんじゃねえのかなぁ」

「はい、大丈夫です!」

タケルは胸をはって一同に告げました。

 

*                         *                            *

 

 宙ぶらりんになりながら、タケルの体はゆっくりと地下深くへ降りていきます。

胸元に取り付けられた電気ランプに灯される世界は、しかし暗闇のままで、それでもだんだんと立ちこめてくる熱気のなかに、

幽鬼のようにふたりの姿が浮かび上がってきたのです。

「すぐそっちに行きます!ふたりとも、もう少しのしんぼうだよ!」

グライムズは皮肉な顔で肩をすくめました。

「やれやれ、若いってのはいいもんだな」

「若いも年寄りもあるものか。あれで、当たり前なんだよ」

リヒター所長はため息をついて答えました。

やがて地面に足を下ろしたタケルは、すぐさま安全帯を外して駆け寄りました。たすきがけに下げていた酸素救命器をリヒター所長に手渡して、

その時初めて脚にまきつけられた添え木に気がついたのです。

「リヒターさん、けがしてるの!」

「ああ?いや大したことはない、こんなのは怪我の内には入らんよ」

リヒター所長は救命器の木箱の蓋を開いて、慣れた手つきで中の弁を回転させました。

二本伸びたゴムホースの先の吸い口を、グライムズとふたりで分け合います。

「そう言っておけば会社の経費で治療費を出さずに済むからなあ」

軽口を叩いたグライムズですが、救命器からの酸素をひとくち吸い込むなり顔をしかめます。

「ちぇっ、ひどい味だなこりゃ」

「贅沢を言うな、会社の経費で購入しておいたおかげなんだから」

「次からはペパーミントの香りでもつけといてくれよ」

陰鬱だった表情も、だんだんと普段の調子に戻っていきます。

ずっと心配そうだったタケルも、ようやく落ち着いた気持ちになりました。

「じゃあ、ふたりともはやくガン・ホーに引き上げてもらおうよ。リヒターさんから、先に」

「おい坊主、最初に上がるのはリヒターじゃないぜ」

目も口も笑わずに冷たく、グライムズが言い放ちました。

「ええっ・・・!?」

一瞬、タケルはなにを言われたのかわからずにきょとんとしていたのですがすぐに頬を真っ赤に染めて怒り出しました。

「ひどいよグライムズさん!リヒターさんけがしてるんだから早く手当てしなくちゃいけないでしょう、こんな時に自分勝手なこと言わないでよ!」

詰め寄るタケルに困り顔のグライムズ、二人の様子を見てリヒター所長は、とても楽しそうに笑い出しました。

「笑うなよ、リヒター」

「はははっ、お前さんやっぱり信用がないなあブーメラン。なあ、タケル君。そりゃこの男は手前勝手で我儘な『自由人』だけれども、別段血も涙もない人非人って訳じゃあない。

 自分ひとりでさっさと助かろうなんて算段するほど、計算づくでもありゃしないよ」

「で、でもいま先に上がるのはリヒターさんじゃないって」

「だからな」

やはりグライムズは笑顔も見せずに言いました。

「先に上がるのはお前だよ、坊主」

「ぼく?」

「助けに来てくれてありがとう。我々はもう大丈夫だから君は先に上がって、地上で待っていてくれ給え――と、こう言いたいのさこの男は。そして私もね」

「ふたりを助けに来たのに、一番にあがるなんて、そんな・・・」

「何、本当はレディ・ファーストなんだがな、ここには女っ気がないんだ」

 

*                         *                            *

 

 少しばかりきまり悪そうな顔で上がってきたタケルは、たちまち鉱夫たちに囲まれました。

「下の様子はどうだった?二人は、無事なんだな?」

「救命器はちゃんと渡してきたかい?」

「まあとにかく、ご苦労ご苦労」

手早い動きで安全帯が取り外され、すぐさまガン・ホーの指が手繰り下ろされます。

熱気で湧いた汗を拭って、タケルは皆に告げました。

「ふたりとも、しっかりした様子でした。でもリヒターさんは足をけがしていて・・・でも、ぼくに先に行けって」

「おうおう、そうかいそうかい」

居酒屋の老人はやさしくタケルの頭をなでました。

「みんな聞いたな?救急箱を開けといてくれよ、それからお前さん!」

と、ガン・ホーに向き合います。

「次のお客は怪我人だそうじゃから、ゆっくり、慎重にの」

「はい、お任せください」

ガン・ホーの鋼鉄の指はいっそう繊細な動きになって引き綱を手繰りました。

 

*                         *                            *

 

「まったく、わざわざ人を振り切って降りてきて、人手を借りて引き上げられるんだからお互い間抜けにも程があるなあ」

 リヒター所長の体に安全帯をつけながら、グライムズが言いました

「仕方あるまいよ、ブーメラン。これでまた、本社に悪い報告を送らなきゃならんかと思うと気が重いものだがな」

「じゃあいっそ、ここで埋まって暮らすのはどうだい。つまらん手紙なんぞ送るだけ疲れるものだぜ」

「冗談を言うな。良かろうが悪しかろうが、知らせを送るのも仕事で、規則のうちさ――」

明るい陽の差す地上を見上げたリヒター所長はふとグライムズを見据えて、

「お前の方こそさっきは人生の終わりのようなことをぶつぶつ呻いていたじゃないか。なんだったら上の連中に、三回目は無用だと言っておいてもいいぞ」

と、ひどく真面目くさった顔で引き上げられて行きました。

 

「――夢なんてなあ、見るのも覚めるのも勝手なもんさ」

ひとり残された坑道のなかでグライムズは呟きました。

崩れ落ちた瓦礫のなかの、狭い隙間を縫うようにその声は響き、

手にした電気ランプはかぼそい光で周囲を照らし出します。

夢が通り過ぎた跡のような、なにもない暗い道。

 

しかし地の底の遥か遠くから、吹き付ける熱風は再び勢いを増し、その奔流の中から、

 

ギィン!

 

と、まるで大きな鉄の板をするどい爪先で掻きむしるような、寒け立つ叫び声が聞こえてきたのです。

 

*                         *                            *

 

「――まただ!みなさん、地震が来ます!坑道から離れてください!!」

ガン・ホーは辺りの空気を震わせて叫びました。その声の届ききらぬうちに、もう地面が揺れ始めます。

安全帯を外したばかりのリヒター所長が、鉱夫たちに肩を取られて運ばれながら言いました。

「まだだ、まだ下にあいつが!」

「もちろん、わかっています」

揺れる大地に腰を落とし、坑道の縁に身を乗り出し、ガン・ホーは腕を伸ばします。

「ぐ、グライムズさん、早く上がってきて!!」

皆が後ずさりする中タケルは深い穴蔵に近づきました。ガン・ホーの巨体に身をよせて、必死に地の底へと呼びかけます。

答える声の聞こえぬまま、揺れだけは激しさを増し、そして、

「しっかり、つかまっていてください!」

ガン・ホーは大声で地下に呼びかけ、突然手首を回し始めました。それまでの絹糸を織り込むような慎重な動きではなく、まさしく機械が、大荷物を持ち上げるように。

どんなクレーンよりも、どんなウインチよりも、精巧で複雑に造られた機械の人間ガン・ホーは、ただクレーンやウインチのように働いたのです。

 

「・・・まったく、お前さんはひとを振り回すのが本当に大好きなんだな」

引き綱の先の安全帯の先につけられた金具の先に無理矢理ぶら下がって、必死の形相なグライムズは、それでも軽口を置き忘れずにちゃんと皆の前に釣り上げられました。

「申し訳ありません、しかしこの場合は速度を優先させるべきだと判断したのです」

「おう、有難うよ!」

グライムズは片手でガン・ホーにおざなりな礼をすると揺れ続ける地面へ颯爽と飛び降り、愛用の帽子をきりりと被り直して坑道をちらと一瞥し、

すると突然、力いっぱい走り出しました。

 

まるでその場所から、一目散に逃げ出すのように。

 

「お、おい待てよ、どうしたんだブーメラン!」

リヒター所長の声に振り返ることもなく、ただ背中越しに投げ返された言葉は

 

「――ドラゴンだ!」

 

のひと言だけ。そして驚きと怪しみの眼差しを同時に向けた一同の背後では、軋む大地が悲鳴を上げて、醜い傷が開くように、地割れが走り出したのです。

 

「うわ、ああっ!」

タケルにはもう、真っ直ぐ立っていられないほどに鳴動は激しく、けれどもガン・ホーの腕がそっと少年を包み込みました。

「確かに、何かが地面の下からやってくるようだ。タケルもここから離れて、どこか安全なところへ――」

「ガン・ホー、ぼくを君の中に入れてよ」

「なんだって!?」

「なにが来るのか、ぼくにだってわからない。けれどね、きっとそれはあぶないもの、こわいものだと思うんだ」

「ああ、そう・・・だろうね。私もそう思う。だから・・・」

「だから、ぼくは、君といっしょにいるよ。ひとりで逃げだしたりなんて、するもんか!」

黒い瞳と赤いレンズ、ふたりの視線は真正面からかち合いました。どちらも、決して逸れる事はなく。

 

そしてガン・ホーは胸の扉を大きく開きました。

「わかった。乗り給え。例え地下に棲む『竜』が中生代の恐竜であれお伽話のドラゴンであれ、私たちはふたりで、それに立ち向かおう。

 そうでなければ、私たちはふたりでここまで、やって来たりはしないものなのだからね」

「ありがとう、ガン・ホー!」

小さな頬を真っ赤に染めて、タケルはガン・ホーの掌に乗りました。

鋼鉄の巨人は大地を踏み固め、強靭な力で以って立ち上がります。

操縦席に座ったタケルの眼前に、テレヴィジョンの画面が世界を映し出し、地割れからはなにか恐ろしい勢いで粉塵と噴煙が巻き起こりました。

「それにね、ガン・ホー」

「うん?なんだい」

「君の中だって、『どこか安全なところ』のはずだよ。だって君は『頑丈に出来ている』んでしょう?」

ガン・ホーの体のどこかで、蒸気栓が抜けたようなおかしな音がしました。

それはきっとこの“機械人間”が思わず漏らした笑い声なのでした。

 

*                         *                            *

 

 つむじ風のような噴煙の中から、なにか鋭く尖ったものが突き出されました。

それは過去にも現在にも、どんな生物でさえ決して持ち得ない、螺旋形の斬り刃を備えた超鋼鉄の回転衝角です。

 

「あれが、ドラゴンだって!」

驚きに目を見張るリヒター所長の前で、地底の怪物はその姿を陽光の下に現わしました。

 

「そんな馬鹿なことがあるものか」

金属の光沢と、金属の軋む音。内燃機関の、絶え間ざる駆動音。

 

「俺はあれがなんだか知っているぞ」

ギイィィィン!と周囲に鳴り響くのは高周波の叫び声。大地に刻まれる深い傷は無限軌道の履帯の跡。

 

「あれは、ZZZ団の戦争機械だ!!」

 

「いやはや、なんとも夢のない話じゃの」

居酒屋の老人はため息をついて言いました。

 

つづく

 


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