「三号突撃砲B型」

 


III号突撃砲(Sturm-Geschutz III)はナチス・ドイツ軍が第二次世界大戦で使用した装甲戦闘車輌です。
突撃砲の主要任務は第一に歩兵攻撃の支援であり、攻撃時に徒に目標となることを避ける為、全高は人の身長を超えないことが要求されました。
その結果砲塔を廃し、戦闘室内部に直接砲架を設置したIII号突撃砲は同車台のIII号戦車に比較してより大型の主砲を備えることが可能となり、
同様のスタイルは大戦全期間を通じていくつものドイツ軍車輌で踏襲されました。

 

タミヤの1/48「ミリタリーミニチュアビーグル」通称MMVシリーズのIII突B型です。

実車は古今東西あらゆる装甲戦闘車両のなかで最も好きな車種なので、嬉しいことこの上ない。

戦車模型では標準の1/35スケールよりは一回り小さいのですが、普段から軽戦車ばっかし作ってるんであんまり違和感がないぞ(笑)

小さくてもダイキャストシャーシなので重量感はたっぷりと。

 

軟鉄製の試作車輌5輌に続いて50輌の突撃砲A型が生産されました。(実戦投入は1940年の西方戦役から)
当時のドイツ軍主力戦車III号戦車の装甲を強化した車台に火力支援戦車IV号戦車と同様の主砲を搭載した突撃砲は
疑いようもなく初期電撃戦に於けるもっとも強力な戦闘車両でした。
続くB型は総計250輌が生産された本格的な量産型であり、1941年4月のバルカン半島侵攻から実戦に投入されました。

 

車体が金属製(表面は下地処理済)なので転輪などの組み付けには瞬間接着剤が必要になります。

ちと不安だったのですが、接着ガイドがしっかりしていたので安心して進められました。

 

 

突撃砲の搭載砲は正式名称を「7.5センチ24口径突撃カノン砲37型」と言います。
この場合の「口径」という用語は小銃・拳銃の口径と違って「砲身長を砲口内径で割った除数」であり
言い換えれば砲身の長さは砲弾直径の24倍となります。
この砲には榴弾以外に徹甲弾も用意され、射距離100mで60ミリの装甲板を貫徹する威力を有していました。
またトーチカなど重防備拠点攻撃用の特殊砲弾として、当時最新の技術であるモンロー効果を応用した成型炸薬弾も装備されていました。

 

むしろ普通のプラパーツの方が大変だったり(^^;)

なるほど全体サイズはそれなりに親しみある大きさなのですが、

細かな付属品は当然スケールダウンされてるわけで。

ノテックランプ(左フェンダー上の管制灯)なんかは何度落っことしたかわからんぞ。

 

 

1941年6月22日、対ソ侵攻計画「バルバロッサ作戦」が開始された際には
11個突撃砲大隊及び7個の突撃砲中隊に合計272輌の突撃砲が戦闘序列中に編制されていました。
この時期には照準機構を改良したC/D型が配備を開始し、同年中には指揮車輌としての運用も可能なE型と
生産バッジに合わせて突撃砲は順次改良を重ねていきました。

 

小さなものには明るめの色調がよい、と聞いたのでいわゆるジャーマングレイより薄めの灰色(軍艦色)を基本塗装に使用しました。

どうも缶スプレーのジャーマングレイは好きになれない色味で、もうちょっと青みが有るといいんですが。

転輪ゴム部はいつものダークグレイ。映えんなぁ・・・

 

 

バルバロッサ作戦はドイツ側の完全な奇襲と、直前までのいわゆる「大粛清」による赤軍の弱体化もあって
開始当初は圧倒的なドイツ軍の優勢で展開しました。
その中にあって武装親衛隊第1装甲師団“ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー”所属のひとりの軍曹が
自らの突撃砲一輌のみでソ連軍のT−26軽戦車7輌を撃破する戦果を挙げています。
この人物はのちに戦車兵へ転科し、SS第101重戦車大隊でタイガー1重戦車を駆ることになります
戦車撃破数138、ドイツ軍きってのトップエース、ミヒャエル・ビットマン大尉の伝説的な戦歴の始まりでした。

 

分割式のキャタピラは、ランナーから切り離す前にかるくブラウンを塗装。

普段ベルト式しか組んでないんで心配でしたが

このように分割式とはいえ完全にひとコマごとの連結ではないのでまあ、なんとか。

 

 

この史上稀に見る壮大な軍事行動が何故頓挫したかには、いくつもの要因が重なります。
上層部の作戦指導がしばしば定見を持たなかったこと。
ソ連軍の動員能力に対する過小評価。
広大なロシアの領土内で十分な兵站線を確保できない補給能力。
そして疲弊したドイツ装甲軍団は、西欧世界では思いもよらなかった強敵と対決することになりました。
それがソビエト連邦地上軍の誇る傑作中戦車、
T−34戦車だったのです。

 

組みつけてみると上部のたるみ具合がイイ感じ。

でも本当は一度接着したあと持ち上げたらバラバラになってひーひー直した午前一時(泣)

 

近代合理主義の権化のようなT−34戦車は、ドイツ軍に「T−34ショック」と俗称される衝撃を与えました。
その装甲はドイツのあらゆる対戦車火器に抗堪し、その主砲は全射程であらゆるドイツ戦車を貫徹することが可能でした。
唯一これを撃破することが出来たのは重対戦車砲としても使用可能な88ミリ野戦高射砲と、
改良された長砲身50ミリ砲をもつわずかな数のIII号戦車のみ。
最前線の歩兵にとっては頼みの綱の37ミリ対戦車砲が全く効果を発揮せず、
絶望的な状況でした。

 

主砲を接着した車体上部を乗せてみます。

この頃合いが一番ノリノリです(笑)

 

そのような窮地に於いて、
「突撃砲、前へ!」
の要請が掛かれば何処へでも、突撃砲は駆けつけました。
III号突撃砲(Sturm-Geschutz III)はナチス・ドイツ軍が第二次世界大戦で使用した装甲戦闘車輌です。
突撃砲の主要任務は第一に歩兵攻撃の支援でありましたが今やそれは防御戦闘の支援にとって変わり、
低姿勢にまとめられた突撃砲の構造は戦車よりもはるかに優れた対戦車兵器と成り得ました。

 

細部の装備品を塗り分けてデカール貼ります。

パッケージ画にもなっている第203突撃砲大隊33号車をチョイス。

兵科記号貼り忘れたり一部破って貼ってないところもありますが気にしない。

気にしないといえば左側の車幅灯が無いように見えますが・・・

ちゃんとあります、部屋のどこかに。

 

 

 

そして人の思いに関わらず、季節は移ろい、
東部戦線には雪が降るのです。

 

あんまり変わってないように見えますがスミ入れ後の図。

普通ならこれで汚し入れて完成となりますが

 

前線の兵士に十分な防寒被服が行き渡らなかったように、
前線の車輌にも冬季装備が満足に施されてはいませんでした。
ヨーロッパの森林地帯では影に溶け込む暗灰色も、雪原では却って逆効果であり
各種車輌の乗員は、あらゆる塗料、白チョーク、略奪したシーツまで用いて愛車を白く塗り込めたのです

 

一挙に冬季迷彩でイメージチェンジだっ!!

今回アクリルガッシュという水溶性の画材を使ってみました。

水で溶かせてプラスチックに定着可能、有機溶剤を使わないので臭いとかなくて安心なのです。

まーもっとも自分、プラシンナーに耐性出来てる気がしなくもない(←危険ですから)

 

ある時は阻止火点となり、ある時は迂回機動で側面攻撃を行い、
左右旋回角合計24度に限定された主砲を振りかざし、
戦車のようなコマンダー・キューポラ(車長用展望塔)を持たぬ砲長はハッチを開いて銃火の中に身を晒し、
突撃砲は風雪の中で常に歩兵の傍らに在り続けました。

 

車体下部の泥汚れはいつものパステル。

アクリル溶剤で溶いて塗りつけたのですがちと単調すぎたかな・・・っていつも言ってる気が(汗)

当初は「厳冬」のイメージだったんですがなんだか「雪どけ」みたいですね。

 

 

しかし、かつてナポレオンの槍騎兵がそうであったように、
ヒトラーの突撃砲兵達もまたロシアの冬に呑み込まれて行きました。

 

車体上面、乗員ハッチ周囲の冬季迷彩は剥がれて落ちた感じを再現。

水を含ませた綿棒とか使えば乾燥後でもこすり落とすことが可能なのです。

やー、なんでも試してみるもので、面白かったですね。

 

タバコと記念写真。

こんなにちっちゃいプラモデルなのですが、迫力はバツグン!なのです。

 

1942年2月、当初500輌の配備を予定していた突撃砲E型は284輌で生産を打ち切られました。
しかし、これで突撃砲が戦場から姿を消した訳ではありません。
この時突撃砲には、ある重大な転機が訪れていたのです。

 

<つづく>
かどうかはよくわからない。恩田原(←隠語)に聞いてください。

 

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