イギリス戦車の発達を考えるシリーズその3は、時代をさかのぼって戦後第一世代のセンチュリオン巡航戦車です。
第二次世界大戦当時のイギリス戦車ってあんまり良い評価を聞きません。
大戦初期のマチルダ2歩兵戦車は重装甲を誇り「砂漠戦の女王」などと呼ばれてはいますが、
搭載されていた2ポンド砲(口径約40ミリ)は日進月歩の戦車開発競争では瞬く間に威力不足を露呈しました。
その後アフリカ戦線で中核となったクルセイダー巡航戦車は6ポンド(口径約57ミリ)に強化されていたものの
ドイツ側は先んじて強力な長砲身50ミリ・75ミリ砲を装備したIII号、IV号戦車
(いわゆる「マーク III スペシャル」と「マーク IV スペシャル」)を投入し、
これらのドイツ軍新型戦車と対等に戦えるのはアメリカから供与されたM3・M4中戦車程度のものでした。
総じてイギリス戦車はドイツ軍のそれにくらべて火力の点で甚だ劣り、
連合軍がチュニジアで初めて遭遇したタイガー I 重戦車は当時のイギリス製戦車には到底対抗し得ない強力な相手であり
既に予定されていたヨーロッパ本土への侵攻作戦では苦戦が予想されました。
イギリスの対戦車砲が低威力だったのには複雑な事情があるのですが、この頃になってようやく対仏侵攻、北アフリカで猛威を振るったドイツ軍の傑作砲、
88ミリ高射砲に対抗すべく開発された新型の対戦車砲、17ポンド砲(口径約76.2ミリ)の生産配備が始まっていました。
この砲を搭載できる戦車が在れば、問題はなんなく片付きますが
搭載できる戦車がなかった。
無くはなかったのですが出来上がったものにはかなり問題がありました。
無理矢理後ろ向きに載せたアーチャー対戦車自走砲、
無駄に背が高く、装甲の薄い砲塔に載せたチャレンジャー巡航戦車
どちらも非常にバランスが悪い。
イギリス軍の戦車が非力だった理由のひとつは全般的にイギリス戦車は「小さい」ということでした。
これはイギリス国内の鉄道線路がいわゆる英国式狭軌であったため、鉄道輸送を行う為には大型の車輌を開発出来ないという事情があったからです。
(汽笛一声新橋を、の日本鉄道も英国式だったために日本軍の戦車もほぼ同様の制約を受けています)
アメリカ製の戦車にはそんな制約はなく、M4シャーマン戦車やM10駆逐戦車にはほとんど無改良で17ポンド砲が搭載できました。
「ファイアフライ」「アキリーズ」と名付けられたこれらの英米混血車輌はノルマンディー戦で非常に活躍し、
どれぐらい優秀だったかというと
アメリカ人が欲しがっても、一輌も渡さなかったほど。
・・・ひでぇなぁ、イギリス人。
しかし、いつまでも植民地人の作った戦車に頼ってるジョンブル魂ではありません。
やはり国産の、強力な、世界の端から端まで席捲出来るような戦車を作ろう!でも鉄道はどうしよう・・・
「鉄道で運ばなければ良いと思います」
「それだ!」
ってな会話があったかどうか、イギリス戦車として初めて鉄道移動制限を考慮せずに設計されたセンチュリオン(百人隊長の意)巡航戦車は
それまでの非力さを大いに覆す、素晴らしい高性能の戦車として完成しました。
パンサー、タイガーなどのドイツ軍戦車と十分に渡り合えて尚お釣りの来る戦闘力は
米軍のM26パーシング重戦車と並んで第二次世界大戦最強といっても憚り無く、
アドルフ・ヒトラーとナチスドイツに最後の一撃を加えるべく欧州本土奥深くに送り込まれ・・・
戦場に着く前に戦争が終わってしまいました。
センチュリオン巡航戦車は米軍のM26パーシング重戦車と並んで「第二次世界大戦に間に合わなかった戦車」として知られています。
さて、前置きが長い間に完成してしまいました(笑)
タミヤの1/35戦車シリーズ「センチュリオン MkIII」、朝鮮戦争に投入された車輌をモデライズしています。
英連邦第一師団第5王立近衛竜騎兵連隊C中隊「CAVALRY CHARGER(騎兵突撃)」号のマーキングで仕上げました
ブツ自体は1971年に発売された古〜いプラモデルで、モーターライズで動かして遊ぶ事を前提にしているので
各部の接着ピンなんかすごくゴツい。
しかしそこは天下のタミヤ様でして、外見のプロポーションやディティールは今でも十分通用するものです。
・・・だからってまあAFVクラブ社の新作発売に合わせて再販しなくてもいいと思うんですけどね(ぼそ)
ここから汚し塗装を始めます。今回はスミ入れやったあとにパステルのみで。
センチュリオンの特徴はイギリス戦車で初めて大型のサイドスカートを装備していることです。
ここをちょっと重点的にやってみる。
まずパステルをな〜んにも考えずガシガシ削って粉に変え(以前書きましたがパステル削るときには茶漉しを使うと便利です)
次にアクリル溶剤をこれまたな〜んにも考えずに流してペースト状のものをつくり
更にな〜んにも考えずに塗りたくります。乾くと上のような状態に。
次に幅広で穂先が固めな筆にアクリル溶剤を含ませ、これを落としていきます。
ほとんど残らない程度までやったほうが自然な感じに。
乾燥前の写真で見るとなにも考えていないようですが実は慎重にやっています。
これが乾燥した状態。
筆目の跡を残すために真っ直ぐ、垂直に筆を動かしています。
雨垂れで残った汚れが左右にヨレてるとヘンですからね。
今回割と気に入った仕上がりになった排気管周り。
ウエザリングカラーのスート(錆び)を開けてみたらカチカチに固まっていたので頭を抱え、
次にラッカー溶剤垂らして溶けてきたところを塗ってみました。
結果微妙に艶の残る焼け色っぽくなって満足満足。
・・・前にも似たよーなことしてたよな。
これで完成状態です。
車体下面は赤土の色、上面や砲塔は土埃の色で。
朝鮮戦争に投入されたセンチュリオンMkIIIは主砲を20ポンド砲(口径約84ミリ)に換装した戦後第一世代型。
山がちな朝鮮半島の地形では運用し難いと思われていましたが実戦では強力な歩兵支援車輌として「フック丘」の戦いなどで名を馳せ
後々英連邦諸国以外にも北欧やイスラエルなどに広く輸出されたベストセラー車輌となりました。
鉄道輸送を考慮せずに、ガワとして大きな車体を設計したことは改良の余地が広く残される結果となり
21世紀を迎えた現在でもイスラエル軍は歩兵戦闘車のベースとしてセンチュリオン車体を活用していますし、
南アフリカ軍のオリファント主力戦車は実際の所改造の限りを尽くしたいわば「究極のセンチュリオン」とでも言える車輌です。
地味ながらも堅実に、百人隊長は世紀を越えて走り続けているのです。
どっちも原型留めてませんけど。
砲身基部のキャンバスカバーはもちっとがんばらなきゃいけませんね(^^;;
後部の整流板周りはうまくいったかなー。
余談ですが第二次大戦当時のイギリス軍火砲がポンド表記なのは別に弾重がそうだというわけではなくて、
まだ大砲の弾が鉄の丸玉だったころの名残・・・らしい
この辺は手抜き。あからさまに手抜き。
フィギュアもなんとかしたいですよね、アカネ先輩!