「チャレンジャー1」

 


「チャレンジャー1」戦車は所謂「戦後西側第三世代」戦車の中にあって、いまひとつ地味な割にはネタになる話が多い、イギリス軍のMBTです。

 

チャレンジャー戦車の開発にはパーレビ朝イラン帝国が大きな関わりを持っています。

この国家は1970年代、オイルマネーで相当潤っていました。

潤うどころかウハウハ気分で、やたらと軍事に金を使う。

空母もないのにアメリカからF−14トムキャット艦上戦闘機を購入したり(フェニックスミサイル抜きでですぜ)

ペルシャ湾上空ににP−3C対潜哨戒機を遊弋させたり(そんなに潜水艦が入り込んでたんでしょうか??)

 

あまつさえ高倉健主演の実写版「ゴルゴ13」のロケ地に使われたり

(70年代末期のテヘランがカラーで見られる、ある意味貴重な映像ではあります)

 

陸戦兵器、特に戦車ではイギリスを主要な輸入元とし、重装甲、大火力のチーフテン戦車を大量に配備していました。

そして技術の進歩が促される80年代を迎えるにあたって、イラン帝国陸軍は「シール・イラン(イランの獅子)」と名付けられた新型戦車の開発、発注を行ったのです。

シール・イラン戦車の開発は2段階のプログラムに沿って行われました。

シール・イラン1はチーフテンの弱点であるエンジン・トランスミッションを強化し、火器管制システムを改良したマイナーチェンジ版でしたが、

本命となったシール・イラン2は当時イギリス陸軍が自国向けに開発していた新型車輌「MBT80」の技術が大量に盛り込まれた、もはや別種の戦車と呼ぶべき存在でした。

(第一次大戦後、日本帝国海軍向けに当時最新鋭の巡洋戦艦「タイガー」級を「金剛」として輸出した史実を思い起こさせます。英国は金持ちには気前のよい国ですね)

 

ところがドッコイ、

 

いくらペルシャの皇帝とその軍隊がウハウハだと言っても、

国民はそうでもなかったので、

 

1980年、アヤトラ・ホメイニによるイラン・イスラム革命勃発。

 

当然シール・イラン戦車の開発は中に浮いてしまいました。

 

代金支払い済みで。

 

そこでイギリス陸軍は開発費の高騰などで暗雲が立ちこめていた「MBT80」計画をさっさとキャンセルし、シャール・イラン2をちょこっと改良して

「チャレンジャー(挑戦者)」と名付けて正式採用しました。

こうして20世紀の末期を代表する強力なMBTが誕生したのです。

 

タナボタ式に。

 

すでに生産されていたシール・イラン1は「ハリド」と名を改めてヨルダンに売却されました。

・・・今も昔もイギリス人は商売上手ですね。

 

*                  *                *

 

今回タミヤMMシリーズの、商品名は「デザートチャレンジャー」である湾岸戦争参加車輌を制作しました。

 

制作中にふと気になるところ。

チャレンジャーはそれまでのホルストマン式スプリングサスペンションに変えて「油気圧サスペンション」を採用しています。

スウェーデン陸軍の「Strv.103」や陸上自衛隊の「74式戦車」のようなアクティブ姿勢制御を行う訳ではないので、

なぜトーションバーを用いなかったんだろうと考える。

外付けのサスペンションはダメージを受けやすい反面、保守整備交換が容易です。

また、思うに懸架装置が車内スペースを減少させるのを嫌ったのだろうな、と。

伝統的にイギリス軍の戦車は砲弾搭載量を重視する傾向にあるようなので。

 

チャレンジャー戦車を特徴づけるのはこの角張った砲塔でしょう。

第三世代にカテゴライズされる戦車は120ミリ砲、パッシブ暗視装置、複合装甲を兼ね備えています

チャレンジャーの主砲は先代チーフテン以来の120ミリライフル砲、時代はドイツ・ラインメタル社製の滑腔砲が主流となっていましたが、敢えてこだわる自国産。

砲塔側面の巨大な赤外線投光器は撤去され(現代戦でそんなモノ使うと自己位置がバレバレなのです)

そして戦後の戦車技術でもっとも革新的な「複合装甲」がそれまでの鋳造曲面砲塔とは一線を画すスタイリングを与えています。

これは従来の防弾鋼とは違ってセラミックスなどの多種類の装甲材をサンドイッチしたコンプレックス構造であり、

対戦車ミサイルや無反動砲に用いられる成形炸薬弾頭に対して高い防御効果があると言われます

チャレンジャーに採用された複合装甲「Composite Armor」は開発にあたった研究所の地名から「チョーバム・アーマー」と呼ばれています。

これは言ってみれば固有の「製品名」であり複合装甲=チョーバム・アーマーではありません。

でもね、日本のアニメ業界とかでしばらく誤解されてたの(ぼそ)

 

・・・なんで宇宙世紀のガンダムに「チョバムアーマー」が装備されてるんだろうと疑問に思った「ポケットの中の戦争」初見の感想。

嫌な高校生だ、俺 OTL

 

1991年の湾岸戦争に参加したチャレンジャーにはいくつかの追加装備が施されていました。

とりわけ目立つのはこのロマー追加装甲パッケージ。

写真左は車体前面に装着されたERA(Exposive Reactive Armor)すなわち爆発反応装甲、

右写真は側面につく追加のチョーバム複合装甲板です。

 

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さて、かくて英国陸軍の戦列に加わったチャレンジャーですが、未来的な外見、革新的な機構とは裏腹に評価は最低となってしまいました。

と言うのも1985年、NATO諸国陸軍の主要な新世代戦車が一同に介して行われた合同射撃競技大会「カナディアン・アーミートロフィー1985」に於いて

アメリカのM1エイブラムス、西ドイツのレオパルド2と射撃能力を競った結果、

 

最下位。

 

2年後に行われた「CAT1987」では雪辱を果たそうと全力を尽くすも

 

やっぱりダメ。

 

冷戦まっただ中の状況にあってこの挑戦者は、戦わずしてダメ戦車の烙印を押されてしまったのです。

 

(戦車の射撃能力は速射性と集弾率で評価されます。チャレンジャーの120ミリ砲は弾頭と装薬が別々の分離方式を用いており、
一体型のレオパルド2の120ミリ砲弾や、当時まだ105ミリ砲装備だったM1エイブラムスに比べてそもそも速射性では劣っていました。
集弾率に於いては新型の熱赤外線暗視装置「TOGS」と主砲の軸にズレがあり、その修正に問題があったようです)

 

ちなみにタミヤがはじめてチャレンジャーを模型化したのがこの時期でした。

世はまさにガンプラブーム絶好調の85年。どうやらさっぱり売れなかったようで・・・

以後一年間、ミリタリーモデルがなにひとつ新製品が発売されなかった通称

 

「冬の時代」

 

を、迎えてしまったのです・・・

 

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塗装工程。

湾岸のチャレンジャーはダークグリーンと黒の欧州向け迷彩の上から直接サンドカラーを塗布されていました。

どーせ上塗りしちゃうので迷彩するのはめんどくさい。でも気分は出したいのでとりあえずミドリ色にしてみる。

「ブリティッシュ・グリーン」を吹いてヒルクライム気分です(笑)

 

その上に「ライトサンド」をスプレー、イージーカム!イージーゴー!!

 

そして今回の秘密兵器「ウェザリングマスターAセット」だっ!

半生タイプのあー、なんか化粧品みたいな?

ドライブラシがすごく容易に施せます。便利ですよこれは・・・

 

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この2度にわたる失態に大きな衝撃をうけたイギリス軍は、直ちにチャレンジャーの後継車輌選定を開始しました。

候補は4車種でしたが最後まで争った案は2つ。

ひとつはチャレンジャーの改良案」、そしてもうひとつはアメリカ製M1A1エイブラムス戦車。

原型の105ミリ砲を120ミリに強化し、より強固な複合装甲を備えた最新鋭、世界最強と目されるMBTでした。

20世紀も最後の10年を迎えるその当時、ワルシャワ条約機構は既に崩壊していました。

仮想敵を失ったNATO諸国は軍縮への道を踏み出そうとし、誰にも顧みられないチャレンジャーはひっそりと表舞台から姿を消すと思われていました。

 

サダム・フセインがクウェートに軍を進めるまでは。

 

1990年8月2日、かねてより隣国クウェートと国境地帯の油田採掘権について対立していたイラクは、突如軍隊を侵攻せしめました。

わずか2日間でクウェート全土はイラク陸軍の支配下に置かれ、紆余曲折を得てアメリカを中心とする多国籍軍が湾岸地域に派兵されました。

その中にはもちろん、イギリス陸軍主力戦車、2度に渡って汚名を受けた「チャレンジャー」の姿があったのです。

西側の戦車は技術こそ進捗していたものの実戦経験は全くなく、当時世界第5位の陸軍大国であったイラクは

イラン・イラク戦争を戦い抜いたベテラン戦車兵と、ソ連仕込みの縦深防御陣地によって十分多国籍軍に対抗し得ると考えられていました。

 

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で、完成です。湾岸戦争当時の記録写真を見るとかなり白茶けた雰囲気なのでそれを目指してみました。

汚れは控えめで車輌へのダメージは全然無い、さすがワンサイドゲームだなと思ったら、

よく見たら全部サウジアラビアで訓練中の写真だったり(爆)

マーキングは第7機甲旅団所属、クイーンズ王立アイルランド軽騎兵連隊(Queen's Royal Irish Hussars Regiment)所属車輌。

イギリス軍の連隊はナポレオン時代あたりからの伝統が残っているので当時の兵科名がそのまま残されたりしてます。

砲塔6時の輸送状態。しかし主砲は長いですね〜

イギリス軍がなぜこの120ミリライフル砲にこだわったかと言えば、それは弾種が豊富であることに尽きます。

ロイヤル・オードナンス製L11A5 120ミリ戦車砲は6種類以上の砲弾が使用可能でラインメタルのRh120戦車砲を大きく上回っています。

装填時間に難ありとされた分離装薬方式を採用したことにより搭載弾数は飛躍的に増加(榴弾は徹甲弾の半分の装薬で発射可能)し、

M1A1エイブラムスの40発に対してチャレンジャー1の搭載弾数は64発。徹底して車内容積を広くとった構造はまさにこのためにあったのです。

 

側面のチョーバム・アーマーが所謂「バイタルパート」を防護しているのがお判りでしょうか?

 

車長、砲手用ハッチ等の位置関係はチーフテンと全く同じで、一見するとまるで別物の砲塔が、

実はチーフテンの鋳造砲塔に複合装甲を被せる構造なのだとわかります。

この辺は「シール・イラン2」の名残りですね。

 

砲塔側面のTOGS暗視装置に施された赤いジャーボア(トビネズミ)のマーキングは第7機甲旅団のシンボルマーク。

第7機甲旅団は元を正せば第二次世界大戦時、「砂漠のネズミ」と呼称された第7機甲師団の伝統を受け継ぐ部隊なのです。

従来の赤外線投光器が目標に対して赤外線を投射、その反射光を捉えていたのに対して

熱赤外線暗視装置TOGSは車輌が発生する「熱」を赤外線として感知します。

例えばエンジンが回ってるだけでも発見可能ですし、装輪車輌のゴムタイヤは強力な熱源です。

ましてや煌々と赤外線を放出する巨大な投光器を装備した戦車が戦場に現れれば・・・

 

 

追加装備品色々。

正面のERAによってシルエットは一変します。鋭角的な構造から、なにか獰猛な印象が。

これは米軍のM1よりも強固な防備で、実際のところ正面からチャレンジャーを破壊するのはほぼ不可能とされています

荷物の類は「アメリカ現用車輌装備品セット」から違和感のなさそうなものをチョイスしてみました。

これまたネズミマーク付きの200リットル増加燃料タンクは示唆に富んでいます。

これもやはり米軍、特に燃費の悪いはずのエイブラムス戦車には見られない装備でして、

遠く中東の砂漠地域で長期作戦行動を起こすにあたって強大な兵站・補給ラインを引くことが前提の米軍と、そうではないイギリス軍の差というものでしょう。

 

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湾岸戦争がフタをあけてみれば「100日間地上戦」による多国籍軍の一方的な勝利だったことは記憶に新しいと思います。

末期にはイラク軍が油井に火を放ち、戦場を黒煙で覆う一種の焦土戦術を採りました。

しかし、こと戦車戦闘に限って言えばこれはまったくの逆効果で、

イラク軍の装備するT−55、T−72などのロシア・中国製戦車の赤外線サーチライトは阻害されましたが

米英戦車のパッシブ暗視装置は十分、黒煙を貫いて目標を感知、撃破可能でした。

 

1991年、湾岸戦争。「砂漠の嵐作戦」に於いて多国籍軍地上部隊、右翼に配されたイギリス第1機甲師団は、

師団隷下の第4,第7機甲旅団に総計143輌のチャレンジャー主力戦車を実戦投入しました。

クウェート市奪還任務の主力となったイギリス戦車部隊は300km以上の距離を走破して戦闘を行いました。

機械的トラブルで数輌が落後した他は損害ゼロ、撃破総数は戦車・装甲車含めて300輌以上と言われています。

一輌のチャレンジャーは5100mもの交戦距離でT−55戦車を破壊しました。これは「公式記録」というものが存在しない以上、非公認のものなのですが

おそらく史上最も長距離で敵戦車を撃破した最高記録なのです。

この際使用されたのはHESH(High Exprosive Squash Head)すなわち「粘着榴弾」と呼ばれる砲弾でした。

中空の弾頭に軟質の爆薬を充填し、装甲表面に「へばりつき」、着弾の衝撃は、装甲車輌であれば内部構造を剥離させて破壊せしめ、非装甲目標は文字通り粉砕する、

どのような目標にも対応可能な多目的砲弾であり、当然ラインメタルの砲には無い、英軍独自の砲弾でした。

 

統治せよ、ブリタニア。

 

軍事兵器の世界で実戦に於ける戦果ほど信頼性を高めるものはありません。

湾岸戦争後チャレンジャーに対する評価は一変しました。

イギリス陸軍は公式にM1エイブラムスの不採用を決定し、自国製改良型チャレンジャー、「チャレンジャー2」を採用しました。

これにより従来のチャレンジャー戦車は「チャレンジャー1」と名を改めています。

 

平時には上手くいったシステムが、戦時にはカタログ通りに働かない。

軍事の世界では極めてありふれた出来事です

しかしチャレンジャー1戦車はまったくその逆を行く高性能を実戦で発揮しました。

なぜ、このような事が起きたのか?

その理由について第7機甲旅団長パトリック・コーディングレー准将は次のように語っています。

 

「チャレンジャー戦車は、射撃競技用に造られたものではない。戦争で戦うために造られた戦車なのだ」

 

統治せよ、ブリタニア。

 

(このひとはコーディングレー准将ではありません)

 

現在、イギリス軍は後継車輌のチャレンジャー2を量産配備しており、チャレンジャー1は急速に一線から姿を消しています。

その多くはヨルダン陸軍(またかよ)に売却され、なんの因果か「アル・フセイン」の名称で運用されています。

チャレンジャー1と2での最大の変更点は砲塔をヴィッカースMk7砲塔に交換したことなのですが

現在ヨルダンでも砲塔をファルコン2無人砲塔システムに交換するアップグレード計画が進行中で・・・

 

やっぱ、チャレンジャー1の砲塔システムってダメだったんじゃないのか!?

 

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