チーフテン戦車は1966年から配備が開始された、いわゆる戦後第二世代に相当するイギリス軍戦車です。
第二次世界大戦末期に開発され、改良の重ねられてきたセンチュリオン中戦車(Medium Tank)と
重量過大で機動性不足のコンカラー重戦車(Heavy Tank)を一車種で代替する主力戦車(Main Battle Tank)として開発されました。
というわけで作ったタミヤのチーフテンMk5。実車同様二昔前のプラモなので特筆するようなこともなく完成(^^;)
なにひとつ手を加えてない素組みなんで、ストレスもなく楽しく作れました。
もっともタミヤのキット、Mk5と謳っているが実際にはMk3初期型なんだそうで・・・ま、いいか。
今回こびりついた泥汚れに「シーナリーサンド」という情景用の地面作成素材を使ってみました。
水溶きでなんどでも修正できるのでついつい終わらなくなる・・・
のはいいんですがやっぱり定着し辛くて剥がれてきますね、う〜む。
茶色の錆ダレ風なのはコピックマーカーを塗ってみました。カラーレスブレンダーで何度でも修正できるのでついつい終わらなくなる・・・
ところでチーフテンの特徴の一つはこの操縦席周りです。
車高を下げ、適切な傾斜角度を持たせるために操縦手の座席はリクライニング、というかほとんど仰向け、寝ころんだ状態に。
そんな姿勢でペリスコープ頼りに動かすんですからこりゃ大変だ。
砲塔横に張りだしてるのは赤外線サーチライト。
ずいぶん昔のことですが、私これがなんだか知らずに脱出ハッチかと思っていたことが・・・いや懐かしいなあ(遠い目)
国旗で解るとおり実はイラク陸軍仕様、というか「風」です。
イラク陸軍が使用したチーフテンはこのキットとは色々細かいところが違うらしいんですが・・・
まー雰囲気雰囲気(棒読み)
砲塔を上面から。一見すると複雑な形状ですが、基本は半球形でそれを絞って前縁投影面積を減らしてるんですね。
チーフテンは戦後第二世代戦車の中でも火力と装甲に重点を置いた設計で、
西側のほとんどの車輌が105ミリ砲で統一され、軽い車体とスピードとで砲弾を「避ける」思想だったのに対して
ヴィッカーズL11型120ミリ砲を装備し、195ミリの正面装甲で砲弾を「受ける」、重戦車的な戦車でした。
この機動性無視の鈍重な部族長(Chieftain)ひいてはイギリス軍の設計思想は70年代には相当懐疑的に見られていましたが
80年代に入り戦車砲の射撃制度が飛躍的に向上し、そもそも「避けられない」ようになると改めて評価され、
1983年からはこの戦車を基本に複合装甲を身に纏ったさらに重い、チャレンジャー戦車へと発展していったのです。
チーフテン戦車はイギリス以外に中東地域に輸出されました。
当初最大の顧客はイスラエルとなる予定でしたがこの計画は第三次中東戦争の勃発によってキャンセルされ、
(結果イスラエルは自国で戦車を開発する必要に迫られ、画期的なメルカバ主力戦車を生み出しました)
最も多くこの車輌を運用したのはパーレビ朝イラン帝国陸軍です。
1979年のイラン・イスラム革命後勃発したイラン・イラク戦争に本車も多数投入されたのですが、
革命後の新生イラン陸軍が戦術的には稚拙だった為からか破壊、あるいはイラク側に捕獲されたものも多かったようです。
1991年の湾岸戦争、更に2003年のイラク戦争に於いても、イラク陸軍は捕獲したチーフテン戦車を保持していたと言われます。
スペアパーツがどれほど供給されていたのか判然としないので果たしてどの程度戦力になったか定かではありませんが、
共和国防衛隊のT−72や一般機甲師団のT−55と比べても遜色無いスペックのチーフテンは極めて有力な戦車で、
自由クウェート軍のチーフテン、あるいはイギリス軍のチャレンジャー1や2戦車と砲火を交えた車輌が在ったかも知れませんね。
戦後第二世代の戦車というのは開発各国の設計思想が如実に異なっていて面白いのですが
近年のテクノロジーの発達から急速に姿を消しているようで、
チーフテンがこのサイズで模型化されることもこの先まずあり得ないでしょう。
古いキットではありますが現代MBTの始祖的な車輌故、まだまだカタログ落ちしてほしくない製品ではあります。
オマケのプラグスーツ委員長。
中古屋でアヤナミのフィギュアは850円もしたのにとなりの委員長はたったの100円だった・・・(泣)
どーでもいいが首が長い、山本スーザン久美子風とか言ってみる(誰だよ)