クルセーダーMk.1

 


クルセーダー(十字軍戦士の意)は第二次世界大戦でイギリス軍が使用した巡航戦車です。

巡航戦車(cruiser tank)とはなんぞや。

話は第一次世界大戦まで遡ります・・・

 

世界初の戦車を作ったのはイギリスだ、というのはまあ戦車についてあんまり詳しくない人でもご存じの向きが多いかと思います。

しかし、世界初の戦車を作ったのはイギリス海軍であることはあまり知られていません。

何故海軍が戦車を?

 

・・・イギリス人のやることにいちいち目くじら立ててたら、この趣味はやってられません。連中は軍事の「英国面」で動いているのですから。

 

海軍が開発した名残からか、イギリス軍の戦車運用ドクトリンは海戦のイメージを色濃く残すことになります。

ひとつは戦艦(戦列艦)のように重装甲に覆われ強力な火力を持ち、戦線を破砕する「歩兵戦車」

もうひとつは巡洋艦(cruiser)のように高速で戦線を突破し敵兵を追跡、戦果を拡大する「巡航戦車」

装甲・火力よりも機動性・スピード重視の高速中戦車こそ「巡航戦車」が指向した物なのです。

 

さて制作開始。タミヤ48MM「巡航戦車クルセーダーMK.1/2」名前の通り二形式を選べるコンパチキットですが、さも当然のようにMK.1を選択します。

だってそのほうが弱そうですから!

これまで組んだどんな戦車とも似ていなかったので、組み立てる過程は面白かったですね。

 

主力戦車の開発が二本立てなのは効率が悪い、

やはり一車種で両方の目的に合致するものを作ろうとする「中戦車構想」というものも戦間期にはありました。

しかし出来上がったのはどちらの目的にも合致しないシロモノだったのでこの構想は破棄され、

結局イギリス軍は主力戦車開発二本立てで第二次大戦に突入することになったのです

 

塗装終了。

地味すぎるよなOTL

車体前方の白・赤・白マーキングは敵味方識別帯で、これはWW1以来の伝統ですね。

 

しかしイギリス軍の初期巡航戦車は失敗作の連続でした。

装甲が薄かったり、重装甲にしてみれば却って機動性が低下したり、設計思想そのものが古くて実用性が低かったり。

まーそういった連中のほとんどはダンケルクに捨てて来ちゃったんですけど

そんな中で唯一(?)実用に耐え進歩の可能性を秘めていたのが巡航戦車Mk.3でした。

主な要因は大径転輪をコイルスプリングで独立懸下するクリスティー式サスペンションの採用で

アメリカ発のこの技術を採用したのはソ連のT−34が超有名ですが、実はイギリス人も使ってたの。

 

汚しまで終了、これで完成。

う〜ん、やっぱ地味だよなあ。最近またプラモ作りがルーチンワーク化してる嫌いもあり、なんとかしたいところですね。

 

巡航戦車MKVI、「クルセーダーMK.1」は巡航戦車MK.IIIの発展型として生まれました。同時期には巡航戦車MK.V「カヴェナンター」も開発されていますが

こちらは車体前面にラジエーターを持つなどまったくの失敗作で物の役に立たず、

クルセーダーこそ新鋭巡航戦車の本命として、激戦の続く北アフリカへと送り込まれたのです。まさしく史実の、十字軍のように。

時に1941年、5月――

 

初期型クルセーダーの特徴はやはりこの小型機関銃塔でしょうか。

これは巡航戦車MK.I以来の伝統で、おかげでクルセーダーMK.Iは小さな車体に5人も乗り込んでいます。

なるほどこういう装備で戦線突破後、逃げまどう哀れなドイツ兵をバリバリ撃ちまくったらそれはそれで楽しいでしょうが、

実際のところそうそう上手く当たる物じゃ無し、用兵側からは無用とされたんですが、なんでも参謀本部が設置を主張したとかで・・・どこのお国も変わりませんね。

ちなみにクルセーダーが送り込まれた北アフリカは暑いので

こんな狭苦しい銃塔で換気装置も無しに機関銃撃ってると窒息しかけたそうです。

(結果この銃塔はMK.2の生産途中で廃止されました)

 

反対側の箱状構造物はドライバーブロック。この辺りのごちゃつき感が如何にもあか抜けないところで、

被弾にまったく弱いことがわかるかと思います。

ちなみに当初はここにも機関銃を搭載する予定だったらしい、まさに地獄!

 

しかしながら、北アフリカでのクルセーダーの戦歴は芳しいものではありませんでした。

曰く、故障がちである、装甲厚が不足している、火力が貧弱である。

この時期既にドイツ軍は対戦車砲弾にAPCR弾(硬芯徹甲弾)を実用化させまた主力戦車の長砲身化を計っていましたが、

イギリス軍の2ポンド砲は相変わらず1939年当時のままでした。

火力不足はダンケルク以来指摘されていたのですが、当時のイギリスには代替すべき新型火砲も生産ラインも揃ってはいなかったのです。

 

撮るべきネタも余りない(汗)ので側面から一枚撮ってみます。

シルエットは非常に低く抑えられていて、設計自体は非常に洗練されたものだと言えるでしょう。

しかしやはりT−34に比べると見劣りすることは確かで、あんまり兄弟らしくはない。

後にイタリア軍がクルセーダー戦車の外形を真似た「サハリアーナ快速戦車」なるものを試作しているのですが、

システム的にはあまり共通点はなかった・・・らしい。

 

マチルダII歩兵戦車とならんでクルセーダーは確かに北アフリカ戦線を支えたイギリス軍の主力戦車ではありました。

主力戦車二本立ての構想はそこで実現したと言えるでしょう。

しかし北アフリカで就役した「巡航戦車」のなかで最も高性能だったのは疑いようもなくアメリカ製M3スチュワート軽戦車でありました。

 

撮るべきネタも(以下略)なので上から。

一見すると砲塔上にハッチが見あたりませんが、実は上面装甲板がスライド式に開閉し、通称「サンルーフ」と呼ばれています。

いや、もっと他に工夫すること有るんじゃないかとゆー気にもなります。

 

北アフリカ戦役後半、ようやくクルセーダーにも新型6ポンド砲を搭載したMK.3が開発されました。

狭い砲塔に無理矢理大型砲を搭載したために装填手は入り込む余地が無く、

既に銃塔も廃止されていたのでクルセーダーは新型が出来る度に乗員数が減っていくという奇妙な運命を辿ることに。

期待された新型車両でしたが、十分な戦果を挙げ得たかと言われれば微妙ではあり、

ドイツ軍は北アフリカに長砲身四号戦車やはたまた化け物じみたタイガー重戦車を送り込み

さらに強力な競争相手が、クルセーダーには存在したのです。

 

それはM4シャーマン中戦車でした。

アメリカから送られてきたこの極めて高度に平凡な兵器は瞬く間にイギリス戦車連隊主力車輌の座を射止め、

マチルダII歩兵戦車もクルセーダー巡航戦車も、共に欧州侵攻作戦では殆ど使用されていません。

以後もイギリス軍はいくつもの歩兵戦車や巡航戦車を開発しますが、数の上でも性能でも、

決してM4シャーマンに匹敵するものは作り出せなかったのです。

 

撮るべき(ry後ろから。

キャタピラ細いですねー、やっぱりどっか華奢なんだよな。

その辺がこー、旧日本軍戦車と似たところがあって好きなんですけどw

 

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