「M3 75mm GMC」


「M3 75mm GMC」は第二次世界大戦でアメリカ軍が使用した自走対戦車砲です。原形となったのはM3半装軌(half-track)装甲兵員輸送車であり、

米軍のM2/M3型ハーフトラックはドイツ軍のSdkfz251系列と並んで第二次大戦を代表するAPC(Armoured Personal Carrier)でした。

 

M2/M3系列の派生車輌は大別して4種に分類されます。すなわち

自走榴弾砲HMC(ハウザー・モーター・キャリッジ)、自走迫撃砲MMC(モーター・モーター・キャリッジ)

自走高射砲CGMCもしくはMGMC(コンビネーション/マルチプル・ガン・モータ−キャリッジ)、

そして自走対戦車砲GMC(ガン・モーター・キャリッジ)なのです。

各々のカテゴリー内で搭載火器の違いにより更に細分化はされるのですが、ドイツ軍と違って専門の工兵車輌や指揮用の無線搭載車輌を作らなかったのはなんでだろう?

そこまでハーフトラックに要求しなかったのか、まあ火炎放射器型なんかは戦車を改造した方が向いてるんですが・・・

 

さて、今回待望のM3 75mm GMC(以下GMCと略す)、いや〜これM3系の車輌じゃ一番派手且つ個人的にも大好きだったんですが如何せんモノがない。

タミヤはなんでMMブームの時に対戦車砲型のプラモ作らなかったかなあ、売れたろうになあ。あーいやガレージキットの改造パーツはありましたけど。の一輌が、

ようやくドラゴンから発売されるというわけで早速製作。実を言うとドラゴンのプラモをちゃんと完成させたのは生まれて初めてだったりする・・・

 

今までドラゴンのキットに手を出さなかったのはキャタピラがめんどくさいとか無駄にパーツが細かくて組み立てにくいとかそもそも色々間違ってるなどなど

不安要因が散見されたからなんですが、このM2/M3ハーフトラック系列のプラモはそんなことは全然無くて、

「ピタリと吸い付くようにパーツが組み立てられる」

真っことスマートなキットなのだと模型誌等でも絶賛されておりました。わあい。

でも組み立て説明書の第一工程から接着指示が間違ってんだけどな(´・ω・`)

パーツA35の取り付け位置はここになります。ラジエーターの空冷フィン、機能をわかってりゃ間違えもしないんでしょうけど

まーやっぱり模型雑誌のキットレビュー記事や実車解説資料を手元に置いておいた方が安心です。

なにせメーカー設立いらい十数年経つ今でも「つや消しブラック」を「つや消しブラワワ」なんて表記してるとこだからなー「クリアーオレソジ」ってまぁ・・・わかるけどさ・・・

そんなわけで自分はAM誌2007年1月号とオスプレイ本をチラチラとガン見しながら作りました。製作途中でAMのレビューが一箇所間違えてることに気がついたぞw

 

このキットの特徴、というか問題点。前輪部分を立たせてみるとよくわかる自重変形タイヤです。飛行機モデルではよく見る処置ですが車輌モデルでは珍しい。

だってほら身の回りの自動車を思い浮かべてくださいなこれじゃあ空気圧不足も甚だしい(;´Д`)

しかし修正は不可能なのであった・・・タイヤパターンとかホイールとか、パーツその物は良い出来なのですけどね。

 

後部の履帯パートはこれイチオシ部分ですよ奥さん!!(`・ω・´)

スライド金型を駆使して抜かれた超!精密な起動輪&誘導輪、繊細なボギーサスペンションそして一体成形式キャタピラ!!

一体成形?

そう、M3ハーフトラックのキャタピラは実車も継ぎ目のないただ一本のゴムベルトで出来ているんだよ!なんだってーΩΩΩ!!!

お陰で作るのもちょ〜ラク death!!と言いたいところだがサスの組み立ては結構大変だった・・・

1/35のM3ハーフのプラモデルは永らくタミヤのふる〜いヤツしか無くて(いやモノグラムとかは絶滅種だろう)、メジャーな割りに好かれてないのかと思ってたのですが、

作ってみるとよくわかる、地味な割りに面倒くさいんだ、いろいろ。特に起動輪と誘導輪は見ての通りで昔はここまで出来ませんでした。

だから80年代の濃ゆい戦車モデラーは

エッチングの板曲げて作ってました。

スゲー!けど、真似したくNEEEEEE!!

いやはや良い時代になったものですな∩( ・ω・)∩

 

操縦席周り。黄色いマスキングテープは仮組み用で、ここに限らずまず

・その工程に必要なパーツは全て切り出してみる
・後々の工程でどのように影響するかを参照する

の2点をちゃんと確認しないと接着剤塗れません。

2〜3回・・・うん、まあ、泣いたよ( ´Д⊂ヽ

米軍はこの装甲車の運転感覚を普通乗用車やトラックなんかと変わらないように設計したそうです。

その辺りドイツ軍のハーフトラックが耐弾性を考慮して変えてるのとは対照的でして、

ごく普通に徴兵された兵士が大抵は自動車運転技能を身につけているってのは当時のアメリカ合衆国がもってた絶対的なアドバンテージとでも言えましょうか。

 

大砲とか。GMCの主砲(他に搭載火器などないですが)はM1897A5型75ミリ砲を搭載しています。

名称からも解る通りこれは元々第一次大戦当時のフランス製野砲で、本車が開発された1941年当時既に旧式に属する兵器でした。

しかしながらドイツの初期電撃戦に触発されて急遽制定された米軍の機甲戦力事情では他に選べる物もなく、

試作車輌T12自走砲(主砲防盾が当該車輌より小さいタイプ)はかろうじて日本軍のフィリピン侵攻作戦に間に合い派兵されました。

日本軍はT12を鹵獲し「M3砲車」として使用、山本七平の著作に記述があったりします(燃料バカ食いだったそうです)

 

普段自分はハーフトラックやソフトスキン車輌を全然作らないんですが、

理由の一つは駆動部分、ドライブシャフトなどのパワートレインを作るのがメンドーくさいからだったり(藁

戦車だとこーゆーものは底面装甲板で覆われていますから楽でよいのです。

おかげでイザ作ろうって時に個々の部品の機能や材質がさっぱりわからず(爆)

ちゃんと塗り分けられると良いのですけどねー

エンジンから取り出された動力が前後の車軸に振り分けられ、前輪も駆動するとこはドイツのハーフトラックに優って、

今回はオミットして超壕ローラーにしたんですが、車体前部にウインチの取り付けも可能になってます。便利便利。

そうそう、選択式になっているパーツC13の取り付け位置が最後までよくわからなかったので、付けない方の仕様で・・・

 

そして塗装。シンプルにOD。シャーシもゴム部分以外は特に塗り分けナシ!

前述の通りキャタピラもゴム製なのでまちがっても金属色とか塗らないことw

枢軸諸国では貴重な戦略物資だったゴム(末期のドイツ戦車はどんどん使用率が減ってる)をすげー贅沢に使った車輌だなぁと、今更ながらため息です。

アメリカの産業は合成ゴムが潤沢に使えたんだったかな?ダンロップだったか、ちと覚えてませんが。

で、だいたい右のように四分割で作業進めました見えるとこ、見えるけど組むと筆が届かないとこ、などなど考え・・・

考えた割りにはあんまり出来上がりに反映されてないんだよなw

 

汚しはハードに施しました。シーナリーサンドをタイヤハウス裏側にべったり塗りつけ、チュニジア戦線をイメージした迷彩代わりの泥をパステルでべっちょり。

さらには砲口爆風で吹き荒らされたボンネット部分と(この車輌って実戦だと操縦席前面装甲板倒して目一杯に俯角かけて大砲撃つのです)

いやもう、ドロドロ。ふひひ・・・まるでスカt(それは言っちゃダメだ!!!!)

 

 

一般的に米軍の機甲歩兵は員数外の荷物を山ほど装甲車に積んでいて、スペースが在ればなんでも盗んで来たりしたので相当嫌われたらしい。

でもGMCのような自走砲では車体内部に詰めないので必然的にぶら下げる形になり、以て模型映えがするのですな〜

あー、これ塗ってる時は楽しかったなぁ。

あんまし言われませんけどね、ミリタリーモデラーって極めてオママゴト指向で動いていると思いますよ?児戯性のカタマリだな

一番手前のぐんにゃりしたモノはティッシュペーパー巻いて木工ボンドに浸した自作荷物。

 

そうして完成!です。イメージはチュニジアの第601戦車駆逐大隊(Tank Destroyer Battalion)で、戦車破壊者大隊って書くとカッチョエエ(そうかあ?)

アメリカ陸軍第1機甲師団に属し、1942年11月、「トーチ」作戦でモロッコはカサブランカに上陸した部隊です。

ドラゴンの指定では601大隊の車輌にはマーキング無しってなってるんですが、実戦写真だと側面に中隊(?)識別コードらしきマークがあるんだよな・・・

北アフリカの米軍車輌は現地の風土や植生に合致するような満足な迷彩塗料を持ってなかったんで、ヤッツケ感ただよう泥塗りカモフラージュしてます。

 

こんな所にドラム缶ぶら下げてるとドアが開かねーだろとお思いでしょうが、海兵隊の所属車輌が本当にやってたりします。

いや開かねーだろうと、思うんですけどねw

 

三面図的な画像で正面から見るとラジエーターの装甲シャッターが一枚ひん曲がっtバトルダメージを再現していることにお気づきでありましょうか。

二次大戦中、この手の装甲車に火砲積んで対戦車戦闘車輌にする、というのは色んなとこでやってますが(日本軍でも試作してます)

ご覧の通り無駄に車体はデカくなり砲架位置も高くなり、伏撃車輌として使い勝手の良い物には成りません。

ドイツ軍は山ほど襲ってくるソ連戦車に対抗してなんでも対戦車砲載せましたけど、米軍は早々に見切りを付けてM10以下駆逐戦車にシフトして行きました。

(海兵隊、また英軍などその他の連合国では主に直近火力支援車輌として終戦まで用いられています)

 

というわけでGMCが当初の開発目的通り対戦車自走砲として投入されたのは北アフリカ戦役末期のチュニジア戦ぐらいなのですが、

米軍の対戦車戦術というのは基本的にはドイツの電撃戦に対抗した防御戦闘です。

それをほぼ実戦未経験の兵士達が大西洋を越えてアフリカ大陸に攻め込んで、

待ち受けていたのは百戦錬磨のドイツアフリカ軍団の生き残りと増加された独立重戦車大隊、つまりタイガーIと戦わされた訳でして・・・

 

「わたしたちのボーイズは本当に戦争ができるのだろうか」ってルーズベルトがマジにビビるくらいの損害が出たらしひ。

(・人・)ナムナム

まあ、それでも勝つのがアメリカ軍の戦争のやり方ってものなんですけどね・・・

 

大昔に作った日本軍の一式自走砲と並べてみる。

一見すると何の関係もなさそうですが、一式砲の積んでる九○式七糎半野砲も元々フランス製の大砲でして、ひょっとすると従兄弟ぐらいの関係にはあるのかも知れません。

 

どこか気に入った所はみつけよう♪ってのは模型完成後もモチベーションを保っておく方法のひとつなのですが、

今回はここ、戦闘室内部の床につけた足跡が

お気に入りです。

 

地味だな・・・

「造」の部屋に戻る

inserted by FC2 system