「II号戦車A〜C型」

 


 

アルデンヌの森を)越えた向うに広がる平坦な土地は、戦車指揮官にとっての理想郷であった。

申し分のない天候のもとで、高度に訓練されたグデーリアンの機甲部隊は、西ヨーロッパ向けに設計された装備を使用した。

第二次世界大戦を通して、電撃作戦の要因がこれほど出そろうことは、二度となかった。

                                             ――レン・デイトン「電撃戦」

 

タミヤの新製品を発売と同時に組むのも久し振りな気が。

完全新規としては超久々な二次大戦ドイツ軍戦車、「II号戦車A〜C型(フランス戦線)」です。

箱絵はこんな感じで、なんだか久し振りなわくわく感(笑)

ちなみにII号戦車のA/B/C型というのは型式こそ違えど外見的には全く同一、単なる生産ロットの違いなんだそうでこんな表記になってます。

作戦時期の違いで装備・仕様に変化があり、本商品では1940年の西方侵攻作戦に参加した車輌がモデル化されているっ・・・と。

パーツの分割は細かく成されてるんで、ポーランド戦なりロシア・アフリカ仕様なりいつでもバリエーションが展開できそう。

出来そうでも全然やらないのがタミヤクオリティなんですがw

 

起動輪と誘導輪のパーツ構成はこんなふうになってます。この辺てっきりII号自走砲「ヴェスペ」のパーツ流用かと思ってたら全然違ってたんでびっくり。

シャーシ裏面、サスペンションパーツは当然のように別体なんですが、板バネサスってどんな動きをするんだろう??

 

車体前面と増加装甲の分割は曲面の車体の上に装甲板を二枚貼り、一見すると箱状に見えるという実車同様の作りになってます。

では増加装甲を貼らなければ「素」の状態のII号戦車が作れるのかと言うと、なんでも構造上はともかく形状的には実物を模してないんだとかで

どっちでも選んで好きに組める方がユーザーには喜ばれると思いますが・・・ま、いつものことだな(ぼそ)

 

制作中気に入った部品をふたつほど。

砲塔上面などの吊り下げ用フックはちゃんと抜けて鉤っぽくなってますし、主砲に加えてMGのマズルも開口されてます。

機銃開口は他メーカーでは既出ですが、タミヤは初めてじゃなかったかな?

 

組み立てながら塗装開始です。今回砲塔内部を一応塗っておく。

ドイツ戦車の車体内部は白色で塗装されてます。進捗に従ってどんどん手抜きされていく箇所(笑)のひとつですが、大戦初期はちゃんと塗られてるのさっ。

 

さて車体の方はジャーマングレイで塗るわけですが昔からどうもタミヤのジャーマングレイはあんまり好きな色ではなく。

もうちょっと青味がかってたほうが好みだナーと思い、まず下地としてクレオスガンダムカラースプレーの「エクストラダークグレー」を塗り、その上から

同じくクレオスの「佐世保海軍工廠標準色」とゆーのを吹いている。

なにが・・・なにが「ジャーマン」グレイだッ!!

色調は気に入ってます(笑)

 

起動輪の「歯」は常時キャタピラと擦れ合っているので、塗料の剥がれは錆びずに金属色が見えるはず。

とはいえ汚すとわかんなくなるんだ、これが・・・

 

キャタピラを組んで車体上下を貼り合わせ。キャタピラはヨンパチ戦車と同様の部分連結式で、サイズがデカイ分組み立ては楽でした。

ご覧のように自然な垂れ下がり感もバッチリでそれは良いんですが、これってあくまで「停止状態」なんだよなー。

「動き」を再現しようと思ったら何か別種のアプローチが必要でしょうね。

砲塔ハッチはとりあえず置いてみただけで・・・

何故かというとフィギュア作ったからです。頭が別パーツなんで塗り易くは・・・あります。

ちょっとガンバッてみよーと思いタミヤの「モデリングブラシPRO 面相筆No.000」ってーのを買ってみた。

結構ガンバッた買い物になった・・・(汗)

デカールは「第4装甲師団 第35戦車連隊 第1大隊 第3中隊 第1小隊 2号車」をチョイス。

ドイツ人はどうしてこんなめんどくさいところに車番を描くんだとゆー砲塔後部は軟化剤つかって貼りましたが、

ドイツ人はどうしてこんなめんどくさいところに国章を描くんだとゆー三分割された鉄十字章は・・・

 

なみだといっしょにごみばこのなかへきえました(ぼうよみ)

そんなこんなで、いつも通り汚しやって完成。

本来II号戦車は訓練用に作られたI号戦車と実戦配備用に開発されてたIII号、IV号戦車との間を埋める場つなぎ的に作られた車輌で、

これで戦争やろうなんてちっとも考えてなかった戦車だったりします。

しかし現実は非情である。1939年に第二次世界大戦始まった時にはIII号もIV号もちっとも数が揃って居らず、I号もII号戦車も装甲師団の中核となって投入されました。

いろいろと中途半端な箇所はあるんですが、その後のドイツ戦車の発展の下地となる要素は揃ってました。

後ろから。

いつもは吹いてるスーパークリアーつや消しは今回スルーで、微妙に半ツヤ風味にしてみました。新進気鋭(w なイメージということでひとつ。

実際フランス戦役時のII号戦車って散々演習で酷使された上にポーランドに派遣されたりしてるでしょうからあんまり「新品」でもないんでしょうが。

 

ところで初期ドイツ軍戦車の特徴として搭乗員の人数分脱出ハッチがあるって事が挙げられます。

IV号戦車に至っては乗員より脱出ハッチのほうが数が多いという良いんだか悪いんだかよくわからない状態なのはまーともかく

それなりにひとにやさしい。

三人乗りのII号戦車、車長は砲塔ハッチから出るとして

一見すると空気取り入れ口のように見えますがここんところが通信手の脱出ハッチを兼ねてたりする。

しばしばここは「荷物置き場」と化しており煮え切らない設計だよなーと思いつつ

一見するとトランスミッション点検口のように見えますがここんところが操縦手の脱出ハッチを兼ねていt

嫌だよこんなとこから脱出するのわッ!!

ひとにやさしくねー設計にもほどがあるぞ

 

II号戦車の主砲は20ミリ機関砲。これも他に載せる砲がないからとりあえずとゆー、実に場つなぎ的な装備であります。

20ミリ砲と7.92ミリ機銃の間にある、いかにも蝶番で開きそうな所は本当に蝶番で開くクラッペ(のぞき窓)でして・・・

いかにも平和な時代の設計だなぁ・・・ほのぼの(しねーよ)

砲塔上面、逆さにしたコップ状の物が旋回式ペリスコープなんですがあんまり視界の広いものではなく、

周囲の状況を確認するには車長が身を乗り出す必要がありましたが、それはもちろん危険極まりない行為なのです。

完成後に資料見てたらこのペリスコープは単なるダミーだって書いてありました。マジですか。

余ったキャタピラを繋げて増加装甲を兼ねた予備キャタに。加えて電撃戦らしさを表す(?)ジェリ缶を乗っけてみましたよ。

このバケツ感覚で持ち運べてポンプ設備無しに直接給油が出来る燃料缶って本当に画期的だったようで、それ以前というのをちょっと想像できません。

フランス軍の戦車部隊は専用の給油車を使って一部隊に補給するのに数時間かかった、なんて聞くとなるほどGerry(ドイツ人)缶ってスゲェや。

あと当時のフランスって西欧世界で一番自動車文化が普及してたとかで(さすがはミシュランの国ですね)

ドイツ軍はそこらじゅうのガソリンスタンドから勝手に給油出来たらしいぞ。

統制経済が敷かれる以前だからこそ、なのかな・・・戦争末期のヨーロッパなんて西も東も燃料不足で民間給油など出来るはずもなく。

 

丁度良いんでこの前作った日本陸軍九五式軽戦車と並べてみます。九五式は車体は小さいのにエンジンルームが占める割合は大きいなあ。

この二種はほぼ同年に開発配備された車輌で、1937年あたりの車輌としてはさほど差がないのがわかるかと。

軽戦車に対戦車砲を載せたのは九五式が世界で初なんだそうです。そこは革新性を謳って良いのかな。

基本装甲厚も大差なかったんですが、ポーランド戦の戦訓に合わせて直ちに倍増させたII号と、ノモンハン以降終戦までこのまんまだった九五式の違い。

そういうところが根本的になんか違うんですね。

 

九五式はなるべく弾に当たらないよう、出来るだけ小さく狭い砲塔を載せてます。対してII号は(元々訓練車輌だってことを差し引いても)まるで防御を考えてないような設計。

しかし機関銃配置は明らかにII号のような同軸配備の方が適切でしたし、フランス戦以降は車長用のキューポラ(展望塔)も増設されました。

機甲装備というものに対する考え方の違い、ドクトリンの違いと言ってしまえばそれまでで、同様の長所短所は当時のフランス軍戦車にも言えるのですが、

なんで大したドクトリンも持って無さそうなのにチェコの戦車はあんなに高性能なのだ。

 

西方電撃戦の雄、エルヴィン・ロンメル将軍の指揮した第7装甲師団の主な装備はチェコ製の35(t)・38(t)戦車だったのでした・・・

 

ところで、前述したように付属のフイギュアは頭部が別パーツなんです。

胴体を塗っててふと懐かしく思い出す。小学生の頃図書室でこんな探偵小説読んだよなァ・・・

たしかエラリー・クイーンのをジュブナイルにしたヤツでタイトルはえーとえーと

あ、そうだ思い出した!

「エジプト十字架の謎」だ!!←大間違い

 

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