「T−34/76」

 


という訳でT−34強化年間その2であります。

タミヤのヨンパチMMシリーズ「T−34/76 1941年型(鋳造砲塔)」を組みました。

ちなみにT−34の形式年式分類って戦時中のドイツ軍によるABC分類とか

戦後東西の研究者による年式・工場別分類とかあってややこしい。

では戦時中当のロシア人がどう分類してたかと言うと、

 

特に分類せず。

 

全部まとめて「T−34」。

 

それで良し。

よく「ソ連の戦車はモデラーのリハビリ」とか「どれだけヒドく作っても実物よりマシ」とか色々言われています。

実際そういう面も確かにあるのですが、勿論世の中には素晴らしいソ連戦車の作例を仕上げているモデラーの方々も多くいらっしゃいますので、一応。

今回自分の場合は・・・

 

お手軽に。

 

 

大体組み上げた所。

タミヤが模型化したのは1941年型でも「第112クラスノーエ・セルボモ工場」製の車輌です。

本来の設計では1941年型T−34は溶接構造砲塔だったのですが、このタイプは一体成型の鋳造砲塔を搭載。

なんでも独ソ戦開始後、工場をウラル地帯に疎開させた際に溶接設備が使用出来なくなったからとかで、

後々続くロシア戦車独特の鋳造砲塔の先駆け・・・なのかな?

 

 

 

砲塔は前述の通り一体構造なのでパーツの合わせ目はちゃんと消します。

ちなみに砲塔、車体に多く取り付けられてる手すりは第112工場製T−34の特徴だそうで、

・・・制作中に3本ほど折れましたOTL

ま、まぁ本物はもっとヒドいから、気を取り直して・・・

 

 

塗装はクレオスのMr.カラー「ロシアングリーン(2)」を筆塗り。

筆ムラも出ずに落ち着いた仕上がりになりました。

試しにフラッシュ焚いたらオモチャくさいんだ、これが(笑)

 

今回割と汚しに手間を掛けました。

第二次大戦当時ソ連の戦車は迷彩塗料代わりに廃油をぶっかけていた・・・と聞き及んでおりますので

エナメルの黒でじゃぶじゃぶウォッシングを。

全面つや有りのグロス面になりましたがそれをパステル粉で押さえていく。

特にエンジンデッキ周辺は跨上歩兵(タンク・デサント)の指定席なんで土埃がこびりついたようなイメエジですね。

その後もいろいろパステルワークしてたら最初の油染みなんて全部消えちまったんですが(汗)

 

 

で、こんな感じに完成しました。「黄褐色の幽霊のように」ってな具合で。

T−34について語られるべき事は多いです。

この戦車は疑いようもなく第二次世界大戦でもっとも優秀な戦車のひとつで

攻・防・走の三要素が極めて高いレベルでバランスを保つ、真に強力な主力戦闘戦車でした。

大戦後期には砲塔を大型化し備砲を85ミリ砲に拡大化した「T−34/85」へと発展し、東部戦線を駆け抜けたのです。

 

 

 

結局デッキ周りはこんな感じに落ち着きました。

T−34の高性能のカギはここに搭載されているV2型12気筒ディーゼルエンジンで、ジュラルミン製のこのエンジンは戦時中ドイツでもコピー生産が出来ず

以後も改良が重ねられて戦後のT−72戦車まで、基本的には1939年に開発された機関を使用しています。

1800rpmで500馬力、出力重量比17.5-19hp/tの値を叩き出すこのエンジンこそがT−34の心臓なのです。

 

足回りはこんな具合で。

なるべく単調にならないように「如何に汚すか」と同時に「如何に落とすか」も考えてみました。

 

大径転輪は「クリスティ方式」と呼ばれる独立懸架式コイルスプリングサスペンションで支えられています。

元々はアメリカ人技師ウォルター・クリスティの手によるキャタピラ・ゴムタイヤ併用の作動方式でした。

このパテントを入手したソ連陸軍は一連のBT快速戦車を開発・配備したのですが、

その発展型であり、到達点であるT−34では併用方式は不要とされ、むしろ転輪とキャタピラを拡張し設地圧を押さえることによって

泥濘気や積雪時でも高速性能を発揮しました。

 

 

 

マーキングは車体番号41、「ピクサ市労働者から」号を用いました。ソ連軍特有のスローガンが映えます。

本当は両側面にデカデカと描かれた第45戦車連隊所属「エストニアのために!」号にしたかったんですけど・・・

デカールが破れて泣く泣くOTL

 

実際の所T−34の装甲厚、特にもっとも初期の1940年型に於ける車体前面45ミリという数値は他国の戦車と比べて格段優れている訳ではありません。

しかしながらこの装甲板は垂直面に対して45度の角度で傾斜が与えられ、

実質的には75ミリ厚に匹敵する防御能力を持っていました。

T−34に相対したドイツ軍の主力対戦車兵器、PAK36型37ミリ対戦車砲が「陸軍のドアノッカー」という不名誉な徒名を賜ったのは有名な話で、

では何がドアノッカーなのかと言うと、

一発撃ち込んでみると・・・

 

返事が返ってくるからです。

 

T−34の主砲は76.2ミリ、1941年型では42口径の長砲身F−34戦車砲です。

これは元々師団野砲として開発されたZIS−3カノン砲を改良したもので

1940年代前半の戦車砲としては破格の性能を持っていました。

 

車体後部はこのような。

箱形の構造物は角形燃料タンクで、流石にここには人乗らないだろーと黒染みで仕上げる。

 

しかし、スペックだけでは計れないことも多々あり、T−34はその点では欠点だらけの戦車でした。

後部に位置したギアボックスは防護面では優れているのですがクラッチレバーは異様に重く、

操縦手は車内に変速用のハンマーを持ち込んでいました。

二人用砲塔は動作に不便であり、車長は砲手を兼任し、装填手は大部分の砲弾を床下のゴムマットを剥がして弾薬庫から取り出さなければなりません。

大戦初期には多くのT−34が無線機未装備のまま戦線に投入され、効果的な戦闘機動は事実上不可能でした。

外部視察装置の数は少なく、防弾ガラスも質の悪い濁ったもので、しばしばT−34は接近した歩兵による肉迫攻撃によって撃破されました。

 

 

個人的にもっとも気に入っているのは車体前面下部の汚れ具合。

しかし普通の視点では全然目に入りませんOTL

 

それでもT−34は本当に必要とされた時期に、必要とされた性能を持って配備されました。

それこそがまさに、この戦車を歴史上に残る名車輌とした重大な事実なのです。

T−34及びT−34/85は総計5万輌以上が戦時中に製造され、うち4万輌以上が戦闘で破壊されました。

恐るべき損耗率を持って尚、

ソビエト連邦はナチス・ドイツに勝利し、以後半世紀近くに渡って地球上の半分を支配することが出来たのです。

 

ある特定の兵器が戦争の行方を左右し、結果をもたらすということはほとんどありません。

しかしながらソビエト連邦地上軍のT−34戦車だけは、その栄誉を受けることが出来る兵器だと、自分は思うのです。

 

なんとなくあかねちゃんと一緒に撮影してみる。

撮った後になって、このネタならタイガーじゃないと駄目だろうと気がつく(爆)

 

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