大日本帝国海軍軍艦「大和」は大和型戦艦の一番艦として昭和十六年に竣工しました。
大和型戦艦は列強諸国に主力艦建造制限を課していたワシントン海軍軍縮条約の期限切れを見越して
昭和十二年、B(まるさん)計画によって建造された日本海軍最大にして最後の戦艦です。
(同型艦に「武蔵」、三番艦「信濃」は進水後航空母艦に改装)
当時仮想敵国とされていたアメリカ合衆国海軍の太平洋艦隊との艦隊決戦を目して、
数に於いて絶対的に劣勢な日本海軍は個艦の質的優位を保つべく
排水量64000トンの巨体に艦砲としては史上最大の46センチ砲を九門搭載し
アウトレンジ(敵艦射程外)からの攻撃を狙いました。
本来日本海軍の対米作戦計画は西進する米太平洋艦隊に対し、
外洋潜水艦部隊、空母機動部隊、(駆逐艦を主体とする)水雷戦隊等により暫減攻撃によって打撃を与え、
小笠原−マリアナ諸島海面の西部太平洋上で戦艦部隊による決戦を行い敵艦隊を壊滅する、
艦隊決戦思想に基づいて作成されていました。
しかしながら太平洋戦争開戦後、真珠湾軍港への奇襲攻撃によって戦艦部隊に損害を与えるも
ミッドウエー海戦で航空母艦四隻を失い、またガダルカナル等南洋島嶼地域で戦力を疲弊させた日本海軍は
ついに艦隊決戦を行う時期を得ず、
連合艦隊旗艦の任を担った大和も捷一号作戦(いわゆる、レイテ作戦)に於いて
米護衛空母群へ行った砲撃が、唯一その戦闘能力をかいま見せたのみでした。
艦艇戦闘の主体は戦艦ではなく、空母機動部隊の艦載航空機へと変化していたのです。
アメリカの対日作戦計画は主として占領地域から日本本土へと延びるシーレーンを遮断し、戦争経済の遂行を妨げることにあり
深刻な燃料不足に陥った日本海軍は艦隊運用にも齟齬をきたすこととなり
多くの艦艇が軍港に係留されたまま、空襲によって損傷を被りました。
昭和二十年四月六日、折しも激戦を続ける沖縄への支援砲撃のため
連合艦隊司令部は「菊水一号作戦」を発動。
大和は軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦八隻の艦隊を率いて水上特攻部隊として出撃しました。
翌四月七日、米軍艦載機及び潜水艦からの波状攻撃を受けた大和は徳之島沖にその姿を消しました。
建造にかかった費用、人員また運用の為に必要な燃料弾薬等に比して
大和が挙げた戦果は余りに乏しく、未だにその存在に対する是非の議論は止みません。
戦後日本の高度経済成長を支えた大型タンカーの造船技術が、大和型戦艦の建造によって培われたという事実は
歴史の皮肉と言えるのかも知れません。
さて作ります、今回は簡単です。
用意したキットはこれ
復刻されたビッグワンガムです。昔は良かったなぁ・・・
この「窓」から中身を確認しましょう。間違えて「蒸気機関車」なんか買ってきた日にゃーエラいことになります
しかし昔は中身がちゃんとわかったんで物がダブるなんてこともなかったんです。
昔は良かったなぁ・・・
僕がプラモデル作るときは大抵これぐらいの道具でやってます。多いか少ないかはまあさておき、
ほんとは「素手でブチブチ」もぎ取るのが正しいビッグワンガムの作り方だとは思うんですが。
あ、でもこれ結構便利でした。昔は良かったなぁ・・・
あとは特に書くこともないんですが(汗)
このパーツ(部品番号などない!)がポイント高いです。
フツー、大和の模型には入ってないですね。
あ、あと注意しなきゃいけないのが細かな部品はめ込む際に。
パーツの大きさは昔のままなんですけど
・・・あ!(交信途絶)
ふぅ、やれやれ。危うく「高角砲に被害を受けた大和」になるところでしたよ(額の汗を拭う)
かくて完成した戦艦大和であります。
「大和」の名を冠した軍艦としては二代目に当たるフネで(初代は明治時代に建造された帆船)
実はこの二代目大和が沈んだとき、初代はまだ瀬戸内海で浮かんでたという冴えない話も。
手前はプラモデルのオマケでついてきたガム。昔のままで
・・・あんまり美味しくないです。
で、前述した例のパーツ、実は砲塔を連動可動させるレバーでした。
艦尾のツマミを前後させると、右に左に回ります。
ガシャガシャ激しく動かすと、右も左もすげー大変そうでイヤンな感じですな。
いつもの背景に載せるとシワが雷跡のようでアレですな。
「在りし日の大和」風にセピアトーンに。
海底に瞑る大和は近年発見されましたが、さすがに引き上げとかはしないようです
せめて安らかにその荒ぶる魂を鎮めてほしいものですが
未来には宇宙戦艦に改造されガミラス帝国や白色彗星帝国やボラー連邦やその他大勢のわるものをやっつけました、まる