「三号突撃砲G型」

*以前上梓したB型の制作記事を付せてご覧いただけると幸いです。

1942年3月、ドイツ国防軍の最精鋭部隊 “グロスドイッチュラント” 装甲擲弾兵師団、
並びに武装親衛隊頭号師団 “ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー” 装甲師団に属する突撃砲大隊に奇妙な突撃砲が配備されました。
車台は従来からの突撃砲E型のままでありながら、戦闘室に据え付けられた主砲は遙かに長く、大きなもの。
これこそは43口径7.5cmカノン砲を備えて新たに開発された突撃砲F型であり、この瞬間独ソ両軍のの矛と盾、
大砲と装甲のシーソーゲームは再び動き出したのです

 

 

というわけで待ち望んでいた田宮ヨンパチ三突G型のはじまりはじまり〜。

ひとくちに「G型」といってもいろいろあるのですが、今回製品化されたのはザウコプ防盾装備、側面シェルツェンは初期型。

生産時期で言うと1943年11月から翌44年3月頃までのいわゆる「中期型」とされるバージョンです。

初期型か最後期型だとベストなんですが・・・いや、いやわたしは全ての三突を愛する!アガペー!!

 

「T−34ショック」がドイツ軍装甲兵器の発達を促したのは疑いのない事実ですが
突撃砲F型を初めとする一連の新型対戦車兵器がこれほどスムーズに配備されたのは、既に西方戦役に於いて英仏両国の重戦車群と対峙していたためです。
より強力な敵を想定し、常にその為の備えを図る。総力戦というのは全力を出す短距離走ではなく、ペースを配分して死力を尽くすマラソンなのです。
突撃砲F型の主砲は当初「7.5センチ43口径突撃カノン砲40型」でしたが43年6月中にはさらに砲身を延長した48口径砲に変更されました。
この「Stu.K40 L/48」砲は40型徹甲榴弾を使用した場合距離100mで143mmの装甲貫徹能力を持ち、更に重要なことに
精度の高い加工技術と優れた光学照準器によって距離1000mで90%以上の初弾命中率を保持していました。
これはソ連軍の如何なる戦車も持ち得ないアドバンテージでした。

 

 

楽しいところから作り始めるのが心情なので、無砲塔車輌の場合は車体上部から。

この段階ではまだ主砲は未接着なのですが、遊ぶには十分です!(バカ)

主砲基部の丸っこくなった部分がお分かりでしょうか?

これが鋳造一体成型のザウコプ(豚の頭)と呼ばれる防盾で、溶接装甲のものよりも防御能力に優れていました。

 

1942年10月中には突撃砲はF型から少改良を施したF/8型へ、そして12月には本格的な大量生産型であるG型へと発展していきました。
戦闘室構造は単純化され、装甲厚は増加、弾薬搭載量も大幅に増やされました。
装填手ハッチ前面には機関銃架と防護シールドが配され、車長席にはようやく全周視察と全周防護を兼ね備えたコマンダー・キューポラが設置されました。
飛躍的に強化された戦闘能力は、戦闘その物が飛躍的に激化していったことの証明でもあります。

B型同様、今回も「冬期迷彩」を施すことにします。

しかし、同じ事をやってもつまらない。そこでMG誌2006年7月号の記事を参考にして

まずサーフェイサー(下地剤)を吹いてみました。

・・・地味な写真だ。

 

1943年には慢性的な戦車不足を穴埋めすべく、装甲師団の戦車連隊に突撃砲を配備する決定が成されました。
これにより突撃砲の生産ラインも拡大され、結果1942年中には700輌強だった生産数は
翌年には一挙に3000輌以上まで増加します。
低姿勢且つ主砲の旋回範囲が限定されている突撃砲が十分に戦車の代替を果たし得たのは、
ドイツ軍の戦いが、防御戦闘へと様変わりしていた所以でもあります。

 

そして先に迷彩色である「白」を吹きました。タミヤよりはクレオス(Mrカラースプレー)の方が塗膜は強く、以後の上塗りに耐えます。

この際、転輪のゴム部分も先に塗ってしまいました。

幸い写真のサイズから判別は出来ませんが、実際には相当派手にはみ出してます(汗)

白地だと、目立つんですよね・・・

 

 

既にアフリカ・スターリングラードを失っていたドイツ軍は1943年7月、東部戦線での守攻を逆転させ、戦線を再構築すべく
「ツィタデレ(城塞)作戦」を発動させます。別名「クルスクの戦い」とも呼ばれるこの作戦にはタイガー、パンサーなど新型車両が各種投入されたのですが
それでも装甲軍団の主力を占めていたのは長砲身化された四号戦車と突撃砲でした。

 

 

二行程ほど写真取り忘れましたが(うおぃ!)足回りはこ〜んな感じで汚してしまうのではみ出しなんざ気にもなりません!

「だったら最初から塗らなきゃいいジャン!」

とか、言われそうですが。

スーパークリアーのつや消しを吹いて一端塗膜を保護し、エナメルの黒でスミ入れ。

 

この乾坤一擲の大博打はヒトラーの失敗に終わりました。
周到に準備された装甲軍団の強襲的な突破攻撃は
よりに周到に準備された防御陣地の前に停滞を余儀なくされ、突出した部隊は却ってソ連軍の反撃と逆包囲の脅威にさらされ
さらには連合軍がシチリア島に上陸するに及びツィタデレ作戦は中止され、以後二度とドイツ軍が東部戦線でイニシアティブを取ることはありませんでした。

あと・・・ですね、G型のキットにはフィギュアが付属してるのでこっそり乗せてみました。

顔は・・・あんまり見ないでッ!(恥じらい)

なんか浅黒いを通り越してその、単に黒い顔になってしまった・・・

「そ、そう!実はこのひとチベット人義勇兵なんですよ!!」

OTL

 

同年中にはイタリア半島が戦場となり、翌1944年にはノルマンディ上陸作戦が敢行されます。
この時期にはドイツ軍装甲兵器はさらに発達し、突撃砲の設計思想をより対戦車目的に特化させた
「駆逐戦車」や各種の自走砲が欧州の戦線を構成していました。
また1943年には突撃砲の主要生産工場だったベルリン郊外、アルケット社の空襲被害を受けました。
突撃砲の生産停止は非常に問題視され、結果クルップ社の生産ラインを用いて四号戦車の車台に突撃砲の戦闘室を搭載した
「四号突撃砲」が製造されることとなりました。以後従来の「突撃砲」は「三号突撃砲」と呼称されるようになります。
これが「さんとつ」の由来なのです。

そして、この白の上から「はげて見える下地」を塗り重ねていきます。

「塗層」としては逆なのですが、見え方としてはこれでよい。

真珠を画に描くとき、真珠そのもの色は塗らない。とかと似たような話・・・かな?

エナメル塗料でごしごしやってくんで割れとか剥げとか心配だったんですが、

幸い無事に済みました(塗膜を強めにしたのはこのためです)

 

装備が強化され、戦力が増強されていたのはドイツ軍だけではありませんでした。
ソ連軍は主力戦車であるT−34に85ミリ砲を搭載し、さらに122ミリ砲を搭載したJS−2「スターリン」重戦車を配備。
米英両軍のシャーマン戦車の主砲も高初速の76.2ミリ砲へと移行し
三号突撃砲が持っていたアドバンテージは急速に低下していきました。

 

足回りはウェット感を出すためにビン入りのクリアー(光沢)を直接塗布。

やっぱり写真だとよくわからん・・・

キャタピラには銀で地肌が見えるような塗りをやってます。

 

それでも、三号突撃砲の生産と改良は戦争が続く限り行われていきました。
車体側面には「シェルツェン」と呼ばれる増加装甲を附加し(本来対戦車ライフル防護が目的でしたが、米軍のバズーカにも抗堪し得ました)
主砲防盾を溶接式から鋳造式へ変更。
主砲横に同軸機関銃を装備、戦闘室上部の機関銃は車内から操作可能なリモコン式に変更。
絶望的に不足した防御力は増加装甲替わりに予備のキャタピラを満載し、小山のようにコンクリートを盛り上げ
その姿は1937年にはじめて世に現れた試作車輌とは掛け離れた物でした。
戦争の様相も、ヒトラーとドイツ軍部が予想していた物とは遙かに異なる状況でした。

 

これで完成おめでとう!

車体側面にシェルツェンをつけるとがらりと印象が変わります。

見た目はいかつくてカッチョイイ(ガンダム好きは『フルアーマー』っぽい感じとか言ってました)

しかしこーゆーもんをつけているということは、

つけてないと保たない、という冷厳な事実の裏返しでもある。

 

 

圧倒的に不利な状況下でも、その低姿勢と(非力とはいえ)侮りがたい打撃力を持つ三号突撃砲は
訓練された搭乗員の手によって、しばしば恐るべき能力を発揮し戦線を支えました。
1945年1月16日、東プロイセン防衛の任に就いていた歴戦の第190突撃砲旅団は僅か一度の斉射で20輌のT−34を撃破、
ソ連第1親衛戦車軍団の突破行動を阻止しました。

 

 

戦闘室部分ではシェルツェンが二重構造になっているのがお分かりかと思います。

「戦わなければ生き残れない」というキャッチコピーがありましたが、「生き残らなければ戦えない」とでも言えましょうか。

微妙な非力さと必死な生存努力がたまらない三突の魅力なのです。

 

戦局が挽回されることは決して無く、戦争は枢軸側の敗北によって幕を閉じました。
最後の三号突撃砲G型がベルリン郊外のアルケット社工場で部隊に引き渡されたのは1945年4月22日。
最前線は既に自走できる距離にまで近づいていました。
遂に「突撃砲、前へ!」の絶え間ない呼びかけは終わり
現在では「突撃砲」のカテゴリーに属する兵器は軍事力の世界には存在していません。
我々がその姿を知るには書籍や博物館、あるいは一部の好事家の下を訪れるしか方法はありませんが、
こうして模型として手にとって眺めることは出来るのです。

 

最後にB型と並べてみる。

戦争始まったころは左のヤツで十分だったのに、終わる頃には右でも全然足りなかったのが第二次世界大戦の実相というもので

土曜の昼間に気楽にそれを眺められるのは平和な社会の賜物なのです。

 

「ドイツ軍の主力戦車がタイガーやパンサーだと思うのは間違いだ」とよく言われます。

「それらは強力であっても生産数の少ない例外的な存在である。真の主力戦車は7000輌以上作られ全戦線に投入された四号戦車だ」と。

しかし自分は声を大にして言いたい。ドイツ軍の真の主力装甲戦闘車輌は

10000輌以上が作られポーランドを除く全ての戦線で歩兵の傍らにあった

三号突撃砲なのだ、と。

 

三突を作り、それについて文章をものすのはサイト開設以来の夢でした。

決して舞台の中心でスポットライトを浴びることのない、地味な存在。

しかし、それは堅実で信頼性に溢れる、頼りになる相棒なのです。

サブキャラ万歳。

 

ところで、そろそろ彼を成仏させても宜しいでしょうか?(汗)

 

「造」の部屋に戻る

inserted by FC2 system